最適な家族なんて存在しない【第4話】 微笑む男

フリーライター・早島チサ43才、独身。政府主催の親子マッチングプロジェクトに不正があると疑い、参加することで真偽を確かめようとした。「親」としての役割が振り分けられ、17才の少年との共同生活がはじまる……はずだったが、そうはならなかった。

なぜなら「息子」として指定され、「家」で待つ保取コウジは、もうすぐ還暦を迎える男だから。

出会ってしまったよ、その二。

 左手には大量な雑誌や封筒が整然と並ぶ、壁一面の本棚。斜め後ろにはプリンターなどの事務機器で、トイレか洗面所に続くのだろうとのドア。

 キッチンの横には大きな冷蔵庫と、奥の部屋への仕切り扉が見える——目の届く範囲を一通り確認したチサは、何かを意を決したように、あるいは何かを諦めたように、マスクを外した。

 そして掌を合わせて。

「いただきます」

 置いてあるカップを手に取り、ゆっくりとコーヒーを啜る。

 透明感のある酸味。

「おいしいです」

「お口に合ってよかったです」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 定型文のような会話を交わしながら、おっさんは淹れたてのコーヒーを片手に、チサの向かいに座った。

「冷静ですね」

「どういうと?」

「普通、何か聞くんじゃないですか? 『きゃー、あなた誰?』とか『きゃー、なんなのあなた?』とか、きゃあなぜ、きゃあどうして、毎回毎回しつこく、きゃあきゃあきゃあうるさく聞いてきますよね」

 やわらかな口調に心地良い声、紳士的な振る舞いと全く釣り合わない、小学生レベルの嫌味を吐く。

 ご丁寧に声まね入り。

 本人は嫌味のつもりで言っていないかもしれないが——語尾の「よね」とは、こちらの賛同を求めようとするとも解釈できる。

 ちなみに「きゃー」か「きゃあ」を言うたびに角砂糖を一個。七つも入れた。

 よほどの甘党と見る。

 その入れ方では透明感も酸味も台無しだろうと、無言のままあきれているチサ。

 つうか——「普通」って何なんですか?「毎回」って何回もこのような場面があったのですか? どういう根拠からの「普通」でしょうか?

 そもそもどちらさまですか?

 17歳のコウジくんはどこにいますか? おとうさんですか? 本当は一体おいくつですか? スキンケアはどうしていますか?

 なぜお酒が大量にありますか? ウィスキーが好きですか? キッチンパネルに真っ赤なタイルってどういう趣味ですか? よく見ると天井も真っ赤じゃないんですか? こんなとこで打ち合わせなどをして、頭はおかしくなりませんか?

 このゲーム雑誌コレクションは誰のですか? 『PC Engine FAN』に『マル勝メガドライブ』って、なつかしすぎませんか? ずっとここで読んでもいいですか? なぜ復刻版の『新青年』もあるのですか? 揃うのにおいくらかかりましたか? 中野ブロードウェイで買ったのですか?

 ここは私が今日から「親」として「息子」と暮らす「家」ですよね? 何かの間違いはないのでしょうか?

 なぜ私の親にでもなれそうな、あなたのようなおっさんが、ここにいるのでしょうか?

 なにが、どうなって、どうしてですか——と。聞きたいことは山ほどあって、聞こうと思えば思うほど支離滅裂なので、チサはまぶたを閉じ、深呼吸をひとつだけ。

 それから目を開いて立ち上がり、相手を真っすぐに見つめるように。

「……こんにちは。早島チサといいます。今日から、えっと、よろしくお願いします」

 一礼して、着席する。

 かなり端折ったが、用意したセリフが言えた。

 けれど、おそらく笑えていない——おそらくでなく、自覚はある。

 ひきつる笑顔。ひきしまる空気。

 しばしの沈黙。

「…… はじめまして。保取コウジです。小説家です」

 座ったまま、おっさんはぺこりと軽く会釈した。視線を交わしながら、念押しするように、にっこりと微笑んでみせた。

 しかし目は笑っていない。

同情するなら金をくr……あ。いいえ、なんでもないです。ごめんなさいご随意にどうぞ。ありがとうございます。