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おにいさん、こちらへ

たぶん初めて日本語で書いた小説。クリープハイプの『鬼』を聞きながら書いたショートショートで、基本はホラーだが読順を少し変えると「真犯人がいる」仕組みになっている……はずです。

 妹の様子が異様だ。

 とはいえ、鬼のような形相で迫ってくるとか、とろんとした目で誘ってきたとか——そういうのではなく、ただただ静かに、居間の座椅子に腰掛けているだけだが。

 灯りもつけず、明かりもない居間に。

 とても静かに。

 見えるはずもないのに——微笑みでも浮かべているような顔でじっと、こちらを見ている。

 異様すぎる。

 そして、ぼくは


 謎のメッセージを残し、おにいさんはそれから部屋のドアを開けることなく、すでに三日間も過ぎました。

 「異様だ」やら「異様すぎる」やらと言われるのが、ムカつくっていうか少し腹も立ったけれど、ドアの向こうにいるおにいさんのほうが心配です。

 食事——せめて手元に飲めるお水があればといいけど。

 どうでしょう。

 最後に見かけたとき、食料品を持ち込んだのに見えないんだなあ。

 うーん。

 もしかしてあたしが見てなかっただけかもしれない。

 きっと何か食べれるものがあるって。

 そうだといいよね。

 三日間も飲まず食わずでいるのが、さすがに身にこたえますから。

 ノック? それは当然しましたよ。この三日間で何回も。ドアをココ、ココッと叩いて、おにいさん、おにいさんって呼びかけましたよ。しかしね、全然返事してくれないの、ひどいでしょう。

 最近は特にひどいんだよ、おにいさんって。ちょっと反論するぐらいで逆上するし、人の頭なぐるし。ひどいよ。

 なんというか、成績がよかったから? 顔もある程度整ってるし、小難しそうな本もいっぱい読んでて、パソコン得意だし。まあモテるかどうかはわからないけど、とにかくえらそうですよ。

 パパとママにも期待されてるしね。

 えっ? あたし? ぜーんぜん。

 期待なんかされてませんよ、なにも。

 まあ。運動神経と顔は勝ってるかな、あはは。

 おにいさんは「ある程度整ってる」というのなら、あたしはかなり、いや、非常に整ってますよ。パッチリとした目がキラキラ光る、自他公認めっちゃカワイイ十五才です!

 ……と。ずっと言ってみたかったけど、言う機会がなかったのですよ。でも言ってみると、やっぱ、なんというか、はずかしいですね。

 けど、この前のオーデションだって最終選考まで進出しましたよ。うん。あの雑誌とテレビがいっしょにやったやつ。二年生に上がるときにね。本当本当。最終に入ったから、名前も写真も雑誌に載ってるって。調べればわかるよ……最終選考には選ばれなかったんですけど。

 めっちゃヘコみました。

 選ばれた子はプラチナカワイイから、負けは認めますが、やっぱヘコむよ。

 ダンスはあたしのほうがうまいし……

 うんうん。でもあの子は本当にすごいから。演技もできるし。あたしももっと勉強しなきゃ。

 と。思いましたけどね。

 そういえばあのとき、パパやママは「ほーら、どうぜダメだって」と口揃えていたけど、おにいさんだけがなぐさめてくれたのに。

「こんなわけわからんのに選ばれてもしょうがないんじゃん。今度は国民的美少女にでも出てみれば」ってね。

 この一言ですごく励まされたよ。

 うたも勉強しなきゃって。

 ママはお金出してくれないから、今は学校の先生に頼んで稽古しているよ。高校に入ったら、バイトでレッスン代を稼ごうかなぁと思ってます。

 中学卒業までには選ばれたらもっといいけどね。

 あまいか。

 あまいね。

 世の中はそうあまくない。

 あまいものに、目がないのに。

 あらやだ。おにいさんの話をするのにね。

 ケイタイもかけてみたよ。一回はつながったけど、そのあとはまったく。電波が入らないわけでもないし、ドアの向こうからかすかに着信音も聞こえて、きっと、出ないだけだよ。

 ああ。聞こえますね。

 でも声よりも……音? かな。ブツブツとか。カサカサとか。

 初日は大きな音もしたね。ドンドン! ドンドン! ドンドン! と。壁か何かを強く強く叩く音。しばらくは続いて……あ。ガラスをひっ掻く音も聞こえたよ。それはちょっと怖かった。なんかこう、おにいさん、ついおかしくなちゃってって感じ。

 パパとママに連絡? パパとママは学会で海外なの。戻ってくるのが明々後日。うん。二人ともお医者さんよ。

 おにいさんも、お医者さんになるって言ってたけどね。

 二浪してまでたった一つの志望校に入ろうとしましたし。ええ。あと三ヶ月でまた受験だよ。

 まさかこんなことに。

 お医者さんになる前にお医者さんに見てもらう必要があるようです。

 まったく。しょうがないおにいさんだね。

 ドアを開けてこちらへ来ればいいのに。わかってないな。

 なに? メール? それは送ってないね。ダメだよ。送れないよ。見れないし。

 えっ? おにいさんが残したメッセージのこと? ああ、ごめんごめん、勘違いしちゃった。ごめんなさい。

 それメールじゃないよ。ううん、LINEでもないよ。音声メッセージ。聞く? はーい。ちょっと待ててね……


『……そして、ぼくは』

 呼吸の乱れをも聞き取れるような、紛れもなく友人の声であるメッセージはここで途切れ、なぜか電話もここで切れてしまった。

 高校時代の友人からめずらしく電話がかかってきた——と思って出てみたらその妹で、別に知りたくもないことを延々に聞かされたあと、締めにコレかよと実に後味悪い。

 しかし、気になる。

「異様だと言われてムカつく」とかなんとか言うけれど、聞き手からにしては、兄があんな状態になったのにもかかわらず、親しくもない人にこんな電話をしてくる女子中学生は確かに異様だ。

 かと言って、気になったぐらいでその自宅へ出向くような誼みもなく、そもそも一年のときから大学の近くに部屋を借りて暮らしているゆえ、卒業アルバムなんて実家に置いてきたし、友人の住所さえも確実に把握してなかった。

 とりあえず通報した。

 かかってきた電話番号——高校のとき登録していた、彼の自宅の固定電話番号を教えて、適当に「友人の妹さんから助けてくれと」や「このままじゃ友人は死んでしまうかもしれない」とか、少し芝居じみて大げさに言ってみた。

 結論から言うと、これでよかったかもしれない。なぜなら、どことなくおぞましい予感より百倍、いや、千倍以上に、事態がおぞましかった。

 大げさなんてもんじゃない。

 むしろ控え目すぎるぐらいだ。

 一階の窓ガラスを外からよく見ると血痕だらけだということで、警察官が異常アリと判断した。扉を破って玄関から入り、壁も床も血塗られた居間で体も精神も衰弱しきった友人と、その妹だった死体を発見した。

 バラバラにされ——所々かじられた死体を。

 血糊と肉片がまとわりついて、すっかり切れ味の無くなった包丁も。

 玄関の扉のみならず、一階の居間にある窓、二階も含めてほとんどの部屋へのドアはすべて閉め切って、ロックもしてないのに、まるで接着か溶接されたように開けられない。


 冷蔵庫もクローゼットも、扉という扉がどれも開けられない。

 家中で唯一普通に開けられるのは、居間と隣接する「勉強部屋」のドアだと。友人が浪人になった以来、もっぱらその部屋にこもるらしい。しかしその中にあったのが——

 両目が抉られた、妹さんの首。

 死亡推定時刻は五日前で、死因は撲殺だった。頭を鈍器でなぐられて死んだらしい。それから首が切り落とされたのが、少なくとも死んでから十二時間経過してからと、警察の人が言った。

 だけどその眼球は見つからない。

 なぐられて意識を失い、まだ息のあったときに抉られたかもしれないとか。

 兄に食われたのじゃないかとか。

 ひどすぎる。

 第一通報者として警察に呼ばれ、根ほり葉ほり聞かれたけど、ぼくは本当になにも知らない。ついでにあれもこれも教えられたけど、ぼくは本当になにも知りたくない。

 なにがあったのか、どうしてあんなことになったのか。なぜあの電話が、ぼくのところにかけてきたのか——なにもかも、知りたくない。


 丸一日も潰されて、ようやく帰路につけた。ぐたぐたになって下宿先に戻り、なにげなくゴミ置き場に目をやると、紐に縛れた、ある雑誌の束の一番上に乗ってるのが、まさに「あの雑誌」だと気づいた。

 気づいてしまった。

 魔がさしたように、ぼくはその雑誌の束を部屋に持ち帰り、紐をほどけ、「あの雑誌」を手に取った。友人の妹の名前と、写真を確認した——大きな目が印象的な、カワイイ子だった。

 思い出した。

 この子に会ったことがある。

 高校の卒業式で、友人といっしょに行動していた、あの子だ。

 とてもとても、仲のいい兄妹に見えたのに。

 きれいな目をした、妹なのに。

「ぼく妹がないから、うらやましいよ」

「要るならあげるよ、こんなのでよければ」

「なに言ってのよ、おにいさん」

「おいおい大切にしろよ。こんなきれいな目をしている女の子はさ、そうそういないって」

「そうかな」

「そうだよ。こんなパッチリとしたきれいな目、ぼくもほしいなあ」

 お世辞だと言ったら多少お世辞のつもりで言ったけれど、生まれつきの細い目がコンプレックスだったからの、あの日の自分の言葉を思い出す。

 ふっと。

 ジーンズのポケットに何か入っているような気がした。上から触ってみると、なんだか柔らかい球体っぽいものが。

 そして、ぼくは——

同情するなら金をくr……あ。いいえ、なんでもないです。ごめんなさいご随意にどうぞ。ありがとうございます。