最適な家族なんて存在しない【第1話】 親子マッチング
フリーライター・早島チサ43才、独身。政府主催の親子マッチングプロジェクトに不正があると疑い、参加することで真偽を確かめようとした。「親」としての役割が振り分けられ、17才の少年との共同生活がはじまる……はずだったが、そうはならなかった。
なぜなら「息子」として指定され、「家」で待つ保取コウジは、もうすぐ還暦を迎える男だから。
出会うまでのその一。
どういうわけか、親になってしまった。
まあ正確に言うと「『親』に振り分けた」のだが。
「親になりたい/子でありたい」との希望役割の項目をわざと空欄にした。単純に17才の子を持つ親になってもおかしくない歳だから、親に振り分けたかもしれない。
だとしたら実に雑すぎる。
飯田橋を通過するところで、近寄っては遠さがってゆく長い長いホームを車窓越しに見送りながら、早島チサは音を立てず、マスクの下でにっこりと、あるいはニヤリと、何度も笑ってみた。
何度も何度も。
「はじめまして、コウジくん。早島チサといいます。こんにちは。今日からあなたの、おかあさんになります。よろしくお願いします」
想定した無難な挨拶からの、笑顔の練習のつもりだけど、さすがにわざとらしいかな。
笑顔がひきつる。
◇
親子マッチングプロジェクト。
少子化も叫ばれて長いことだが、手当や補助金ぐらいしか策がないのは実状。晩婚化が進み、自然の流れで子宝に恵まれないカップルが多くなる割に、せっかく子供が授かったのに、不倫や離婚で簡単に一家離散、あまつさえ子供を虐待しては遺棄する。
逆に高齢化がここまで進んできたら、孤独に陥る老人も数多い。現役時には家庭とのコミュニーケーションを疎んで、定年後には子供にそっぽ向かれるケースや、病気や老化での影響で要介護になり、あるいは頑固になり、息子や娘の家庭に溶け込められずに疎外されて疎遠される。
極めて社会的な動物である人間が、生まれてすぐ「子」との役割で「家族」という小さな社会に参加する。やがて成人となり、子供を産み、「親」という役割を死ぬまで担い続ける。幼くて力が弱く、大きな「社会」とのつながりができなくとも、あるいは年老いて衰えてしまい、今まで作り上げたつながりが断たれたとしても、「子」か「親」かという役割で、人は生まれてから死ぬまで、社会とのつながりを持ち続けられる。
はずだ。
親が子をいじめ、子は親を棄てて、社会共同体「家族」が成り立ち難い時代。
子にはいられず、親にもなれない独身者だけが増える。
個人レベルで言うと、無数のゲームで擬似の役割が選び放題だし、どこまでも届くネットは、電波が切れていなければ誰とでもつながりができるから、全然問題ないはずだ。生涯縛られてつきまとい、悪化しても簡単に切れない親子関係なんかより、その気になればいつでもスタートできて、気が触れると感じればすぐなかったことできる、仮想的な関係性のほうがずっと楽。
しかし「国」ほど大きな社会共同体からすると、由々しき事態だ。
つなぎ合うのはいつでも切れるつながりが中心となると、人と人との関係性が不安定になりがちで、社会的な管理コストが増えるのを意味する。また人口が増えずに老化していくことは、生産力と消費力の減少、つまり国力の低下と導くサインでしかないのだ。
そこでの親子マッチングプロジェクト。
志願者を募集し、あらゆる家族のパターンを学習したAIが、提供したパーソナルデータと五百弱の設問に対する回答を分析した上、本人の希望を考慮して「最適な家族」をマッチングしてくれるという。
マッチングした結果は、お試し期間経て成立した場合、法的に認められ、かつ元の親子関係に上書きできるから、ちぎれた親子関係に、こじれた親子関係に悩まされた人たちへの「リセット制度」とも言われる。
里親制度の変形バージョンだと思われがちだが、従来の里親紹介システムより結婚相談所スタイルだ。条件は独身であれば誰も申し込みできると、親になると希望するのなら20才以上という年齢制限だけ。まさに試行段階であるが故の緩さ。
だからチサは試す気になった。
AIのほうを。
同情するなら金をくr……あ。いいえ、なんでもないです。ごめんなさいご随意にどうぞ。ありがとうございます。