最適な家族なんて存在しない【第7話】 いらない子
フリーライター・早島チサ43才、独身。政府主催の親子マッチングプロジェクトに不正があると疑い、参加することで真偽を確かめようとした。「親」としての役割が振り分けられ、17才の少年との共同生活がはじまる……はずだったが、そうはならなかった。
なぜなら「息子」として指定され、「家」で待つ保取コウジは、もうすぐ還暦を迎える男だから。
狂いはじめるあべこべ。
煽ってくるね——綿貫サブローはテレビでいじられキャラとされていたが、もともと学校や職場にいてはいじめられっ子にされやすい人だろう。
自己防衛の手段としての自虐が度を超してしまい、かえって相手の嗜虐性を掻き立てるタイプ。自分の弱みを隠すため、あえて暴力を振るわれるように仕向け、何かさえされれば、その既成事実をもって相手を悪や不正とし、内なる正当性を保とうと——虐められるのが多いけど、場合によって手強いいじめっ子にもなる。
チサは、日本と台湾で小中高の間に合計八年半も学級委員長を経験してきたから、何人かそんな感じの同級生の顔が目に浮かぶ。同級生たちの抱えた、それぞれの家庭事情を思い出すと、目の前の男も裏側にはそれなりの理由があると思うが、今はそれを知り得ない。
しかし妊娠したこともないのに、57才の男にこんな質問されて、チサはイラつきよりも怒りよりも、なぜかただひたすら不思議な気分になる。
彼の作品と同じぐらい不思議な人だな——20代、いや30代まではこんなのを聞いたら激昂してしまうかもしれないけど、四十過ぎだ今はね。
なぜこんなことを言うのだろう——嗜虐性よりも求知心が騒ぐ。
バカ丁寧な言い方をしてくるけど、友人の3才か5才の息子たちの言う「ママいらない」、「ぼくいらない子」とさほど変わらない。
普段ちゃんと大人に守られ、親に世話されている子供なら、具体的な例をいくつか挙げて「そんなことない」と言えるし、言えばたいてい釈然できるが——「そんなことある」だとしたら。
実際に親に「気に入らないからいらない」と言われ——されてきたとしたら。
難解な問題だ。
でも今はそんな問題ではない——難解な問題に見せかけた、ひっかけ問題だろう。なら解けるはずだ、と。チサは考えてみた。
試験にひっかけ問題だと見抜けた時、対応パターンはたいていふたつ。
ひとつ、正答がきちんと選択肢にある場合。「これがひっかけ」と見抜けられるぐらいの知識を持つとしたら、正答を選ぶのも容易なはずだ。悩む必要がない。
ふたつ、選択肢に正答がない、あるいはすべて正答の場合。現実的には九割九、出題者の手違いでカウントしないとかで収まるのだろうけど、「違わない」とすれば——
事実はどうあれ、「ぼくはいらない子」と言う子供は、本当に「自分は必要とされない」と感じているとすれば——その時は、安心感をもって応えるべきだ。
何も言わずに抱きしめるべきだ。
答えるべきなのは質問そのものではない。
かと言って、抱きしめあげられる距離も関係もない——政府機関のプロジェクトに指定されて一応、仮の親子関係は成立しているはずだけど、ただ紙に書いてあるだけの親子関係は他人とも同然。
変にあべこべの年齢差も厄介。
「……保取コウジが、私の息子として振り当てられたのに、不満はありません。仮に綿貫サブローが自分の息子だとしたら、誇りこそ感じるられど、気に召さないなんて、ありえない」
「うそつけ」
怒った口調。険しく眉をしかめたコウジ。口元が不自然に上げているままだが、チサはそこに潜める感情が全く読めない。
「57才のおっさんだぞ。あなたの親にでもなれる」
「うそじゃない……わかりました。正直にお教えしましょう。気に入らないのが、役割希望を空欄にしたのにも関わらず、『親』に振り分けられたことです」
「……」
「記入漏れへの注意も意思確認の促しも何もせずに、あまつさえ43才の私を、一回り以上も年上のあなたの『親』に指定してマッチングした。この税金を使ったプロジェクトはインチキだということに、非常に気に入らないのです」
チサは手帳から名刺を一枚取り出し、コウジのほうに差し出した。
「申し遅れましたが、私、こういう者です」
ウェブメディア中心ですが、複数の配信サイトで活動しています。ジャーナリスト、というのが畏れ多く、目標にはしています。今のところは、フリーランスで取材や編集をしている、ライターのような仕事を、コツコツと。拠点は台北になりますが、小さな編プロの経営もしています。これからはどうぞお見知りを——
おなじみの営業用あいさつを、チサはコウジの目を見て、なるべく彼の表情も感情も読まずにすらすらと言った。
最後は、がんばっての営業スマイルで。
「取材に、ご協力いただけませんか?」
同情するなら金をくr……あ。いいえ、なんでもないです。ごめんなさいご随意にどうぞ。ありがとうございます。