アテネブルーの空の下
私の住む町にも、間もなく聖火リレーがやってくる。アテネオリンピックが開催された2004年の夏、約3カ月にわたりギリシャを旅した。「ウェルカム・ホーム」の言葉に迎えられ、発祥の地に帰ってきたオリンピック。真っ青な空を背景に、聖火の炎が揺らめいていた。
工事中のスタジアムへ
埃っぽい乾いた空気がアテネの街を包んでいた。私が到着したのは6月で、8月開催のオリンピックに向けて、街のあちこちで工事が行われていた。
開閉会式が行われるスタジアムを見に行った。地下鉄に乗り、最寄りのイリニ駅へ。駅前からのシャトルバスがカーブを曲がると、白い大きなドーム状の骨組みが見えてくる。手荷物検査を終えて中へ入った。トラックではオリンピックの予行演習を兼ねた陸上競技大会が開かれていた。
スタジアムの周囲にはクレーンや工事車両が並び、建材が積み上げられている。開会まであと2カ月。まだ一部は完成しておらず、屋根の上を作業員が行き来し、工事の音が響く。間に合うのだろうかと思ったが、案内係の女性に話を聞いてみると「あと1カ月で完成する」と断言された。
ギリシャには「パラペンデ(5分前)」という言葉があると教えてもらった。いつもギリギリになってしまう気質をいうそうだ。島時間のようなものだろうか。何かとギリギリになりがちな私、なんだか親しみが持てる。
6月には古代オリンピックが開かれたオリンピアや、マラソン競技のスタート地点のマラトンにも行ってみたが、どちらもあちこち工事中だった。
聖火燃ゆ
アテネ近郊の港町ピレウスに、古代の手漕ぎ船を再現した船に乗せられ、聖火が到着した。夜空に花火が上がる。聖火はアテネに向かう。8月13日、開会式が行われ、いよいよオリンピックが始まった。
再びメイン会場へ行ってみた。万国旗が風にはためき、世界中から訪れた観客が行き交う。スタジアムの大きな白い屋根が美しい。青い空を背景に、赤々と聖火が燃えている。工事中だったころを思うと感慨深い。
噴水やモニュメントが日の光に輝く。なんとも言えない高揚感で、浮き立つような気持ちになる。記念に買ったピンバッジやキャラクターのグッズは、今も家にある。
せっかくなので、競技も見に行った。人気のチケットは売り切れていたり、目当ての試合に行けなかったりしたが、それでもいくつか見ることができた。
Volosという港町に行ったときには、日本から来ていた女性Tさんと知り合い、一緒にサッカーの試合を見た。地元ギリシャの人たちが日本チームを応援してくれていて、黒澤明監督の映画が好きだ、と話す男性もいた。
印象的だったのは、体操競技男子の個人戦。ギリシャの選手が登場すると、「エラーダ(ギリシャ)!」の大歓声。ギリシャの流行歌が流れ、国旗を振り回し、歓声を上げて躍る人たち。演技が始まると「しーっ」と声を潜め、高得点にまた大歓声。次の選手の演技が終わり、ギリシャ選手の方が高得点だと分かると歓声が起こる。次の演技が始まると再び「しーっ」の声。歓声と「しーっ」の繰り返し。
徐々にみんなの期待と興奮でざわめきが起こりはじめる。ギリシャ選手の金メダルが確定すると、爆発的な歓声が。国歌斉唱は会場中大合唱になった。同じ会場で、日本選手の銅メダルを見ることもできた。
外へ出ると、会場周辺は歌ったり、踊ったりで喜ぶ人がいっぱいだった。後日郵便局へ行くと、金メダリストの姿は早速切手になっていた。街角の売店には、ギリシャ選手の活躍を伝える新聞がズラリと並べられていた。
オリンピックのボランティアをしていたギリシャ人女性Mさんを紹介してもらい、彼女がボランティアに入る日に一緒にスタジアムを訪れた。Mさんの母は日本人で、ギリシャ選手と共に日本選手も応援していると話してくれた。
チケットも持たずに来たのだが、Mさんとボランティア仲間の人たちが手助けしてくれて陸上競技のチケットを購入でき、日本男子チームも出場していたリレーを見ることができた。この日は陸上競技の最終日。競技が終わると、Mさんたちボランティアが、ギリシャ国旗を掲げてトラックを走った。
アテネブルー
この旅の間、お世話になっていた方を誘い、一緒に競技を見て、メイン会場を歩いた。ギリシャに住む日本人女性で、知人を通して紹介してもらった。私と出身地が同じで、親戚のようによくしてもらった。夕暮れの中、写真を撮ったのも懐かしい思い出だ。
ギリシャ滞在中に、アテネの街中やメイン会場で、日本代表の選手を間近で目にし、驚いたことがあった。
オリンピック最終日。競技は終わっていたが、男子マラソンのゴールのパナティナイコ・スタジアムの近くまで行ってから、シンタグマ広場まで戻って来た。すると、つい先日、レースを見た日本陸上男子の選手たちに遭遇した。遠くから走る姿を眺めていた人たちが目の前にいる。
私が日本人だと気づいたようで、写真を撮らせてもらった。「一緒に入らなくていいんですか?」と言ってもらえたのだが、遠慮してしまった。周りに撮影を頼める人も見当たらず、まさか選手の誰かにシャッターを押してもらうわけにもいかない。自撮りに挑戦すればよかったのかもしれない。
この日、閉会式が行われ、夜の闇に輝いていた聖火の炎も消えた。
旅を前に、国際電話対応の携帯電話に替えてギリシャに来た。選んだ色は「アテネブルー」。もともと青は好きな色だが、名前で選んだようなものだ。
その後、機種変更しても処分せずに記念に持っていた。東京での開催に向けて、メダルの原料に携帯電話などを集めていると聞き、ちょうどよい機会だから提供しようと思っていたのだが、収集場所へ行きそびれてしまった。いまだに引き出しの中には、アテネの青い空を思わせる鮮やかな水色の携帯電話が入っている。
(Text&Photos:Shoko) ©︎elia