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もう一つの世界との対話 1

文:谷口江里也
クレイドール:カイトウハルキ
©️Elia Taniguchi & Kaito Haruki


目次
第1話 スカートの向こうの海との対話
第2話 虫の向こうの空との対話
第3話 鳥が見せてくれた森との対話
第4話 おとぎの国に住むカニとの対話


もう一つの世界との対話 1-1(表紙)


第1話 スカートの向こうの海との対話

正直言ってこの世はとても退屈だけれど
それでもたまには、やっぱり生まれてきてよかったと
そう思えることだってある。
このまえも、わたしが自分の部屋の鏡の前で
柔らかなスカートをはいて軽くダンスを踊りながら
そんな自分の姿に何となくうっとりしていると
突然スカートが青く透明な海になり
そこから一匹の魚が、ぴょんと飛び出してきて言った。

海の中は素敵だよ。
君のような女の子がたくさんいるよ。
もちろん海の中のことだから、人間じゃないよ。
それにしてもまいったね。
かわいい女の子を見かけて、ちょっと海の外を覗いてみたけど
この空気とやらの息苦しいのなんの、全く息が詰まっちゃう。

どうして魚が? とは思わなかった。
だって私は不思議なことが嫌いじゃない。
というより、不思議なことの方が
ずっとリアルだと思えることがよくある。
すべてが、まるであたりまえのような顔をしているけれど
どうして? と一度考え始めると
なんだか訳が分からなくなってくる普通のことと比べれば
不思議なことはいつだって
いきなり始まってしまうのでむしろ気楽だ。
だから私のスカートが突然海になって
そこから魚が飛び出してきて私に話しかけてきたときも
不思議というより
オオツ、なんだか面白いことになってきたなと
そう思った瞬間、何もかもすっかり忘れて
私の体は魚に聞きたいことでいっぱいになってしまった。
海の中は何がどんなふうに素敵なの? 
私はそこでもかわいいの?
私みたいな魚が、ほんとにそこにいるの、私もそこに行けるの?

もちろん行けるさ誰だって、行こうと思いさえすればね。
現にこうして僕はもう君のところに、君はもう
こうして青い海の中にいるじゃないか。

確かにそうだと私も思った。
そしてそう思ったとたん、私は自分がむかし
海に住んでいたことがあるのを不意に思い出した。
冷たく澄んだ水の記憶や揺らぐ光の美しさがハッキリと眼に浮かぶ。
いつの頃かは分からない、それがどこだったかも分からない。
生まれてから今日までの自分のことを振り返ってみれば
自分がかつて海に住んでいたという証拠は何一つないけれど
それでも私は自分が、かつては海に住んでいたのだと
そう確かに感じる。


光が揺れる浅瀬で下半身を海の水に浸し
裸の上半身を海の外に出したまま、一人で夕陽を見ながら
打ち寄せる波の音を聴いている私がそこにいる。
遠い遠い昔のようにも
ちょっと前のことのようにも思えるその記憶の中で
私は、ちょうど今の私くらいの年格好に見える。

どうしてだろう?
それが昔のことだとしたら、どうして私は子供じゃないんだろう?
それが最近のことだとしたら
どうして私はそれを覚えていないんだろう?
ほんとに確かに感じるけれど、あれは夢? 

何を言ってるんだよ君らしくもない。
時間をひとつながりの紐のようなものだなどと考えるから
捨ててしまうしかない記憶や
思い出せない未来なんかが出来てしまう。
切ってしまったらもうおしまいとか、逆にはたどれないとか
ひとり一本しかないとかなんだかややこしいことになってしまう。
ほんとに全く君までが……

魚にそういわれてしまったので
私はややこしいことを考えるのを止めて
私は自分が海の中に住んでいた時のことだけを、その記憶だけを
私の体が覚えている感触だけを一生懸命思い出してみることにした。
するとひとつ、とても確かな一つの場面を思い出した。

その頃の私には足がなく
そのかわり腰から下が魚のようになっていた。
つまり私は人魚だったのだが、不思議なのは私がそこで
私の下半身を包む半透明の美しいウロコを一枚
なぜか剥がして手に持ち、不思議なものでも見るように
それを光にかざして見ていたことだ。
何故そんなことをしていたのだろう……?

ふと気づくと私のスカートの海の中の魚が私の方をじっと見ていた。
そして、それを見たとたんに思い出したのだが
それは人魚だったその時の私のそばで海の中から私を見ていた
一匹の魚の心配そうなまなざしと同じだった。
あなたはもしかしたら、あの時の、あの魚?

ばれちゃったんならしょうがない、そうだよ、あの時の魚だよ。
でもうれしいね僕のことを覚えてくれていたなんて。
君のことを僕らは本当に、ずっと心配していたんだから。

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