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草木たちの朝 1

文:谷口江里也
©️Elia Taniguchi

1 山の上の木の話
2 谷間の沢の草の話
3 水に漂う草の話


1 山の上の木の話

千年に一度だけ実を付ける木があった。
木は遠くに街を望む小高い山の上でおよそ六百年
同じ場所に立っていた。
木は六百年前に、正確には六百三十四年前に
自分がその場所で、芽を出した日のことを覚えている。
それは暖かな春の日の朝だった。
目を開けたとき木は自分が光の中で光を浴びて
この地で木として生きる幸運を得たことを知った。
目を開ける前のことは覚えていない。
だから木の記憶の全ては、この小高い山と共にある。

この六百三十四年の間に
その数だけの春が来て、その数だけの夏が来た。
その数だけの秋が過ぎ、その数だけの冬が過ぎた。
だから、そこでどんなことがあったかを木はみんな覚えている。
木は自分のまわりで起きたことの全てを一つ一つ
年輪として自らの体に大切に刻みこんできた。
だからもう一度春が来れば
木はそこで自分が見たことを、その春と共に記憶する。
もう一度秋が来れば、その秋のことを
木は、その秋と共に記憶するのだった。

自分が千年に一度だけ実を付ける木だということを
木がどうして知っているのかはわからない。
いつ知ったのかもわからない。
けれど木は自分がそういう木だということを
なぜか確かなこととして知っていた。
そのことは自分の記憶の年輪の
どこに刻み込まれているわけでもなかったけれど
ただ、体の中を流れる水のように確かだった。
風が吹いたときなどに小枝の先の葉がたてる音のように確かだった。
しかも自分がすでに一度
たくさんの実を付けたことがあるような気さえする。
そんな気持ちがどうしてするのかはわからない。
もしかしたら、いつかそんな夢をみたのかもしれないとも思う。
その夢を記憶しているのかもしれないとも思う。
でも、もしそうだとしたら夢を見た日のことを覚えているはずなのに
その夢を、いつ見たのかがわからない。
もしかしたら、未来を記憶しているのかもしれない。
でも、そんなことがあるのだろうか。

ともあれ木は自分が千年に一度、実を付ける木だということを
確かなこととして知っていた。
千年に一度だけというその年が、はたしていつなのかはわからない。
あと三百六十六年、つまり自分が芽を出してから
ちょうど千年経ったその年に実を付けるのだろうか? 
どうも、そうではないような気がする。
陽の暖かさは毎日違う、風の強さも毎日違う。
ある年、ある特別なことがあった冬の後に
いろんなことが気持よく重なり合った春が来て、夏も来て
そして迎えたある秋に、自分は実を付けるような気がする。

それがいつかはわからないけれど
そのとききっと水と光が綺麗なダンスを踊ってくれる。
それがいつかはわからないけれど
そのとききっと風が、優しい歌を歌ってくれる。

遠くに街を望む小高い山の上で木はすでに六百三十四年、生きてきた。
北の方の遥か遠くに大きく広がって見える街は
今からおよそ百二十年ほど前に鉄の道が出来た後に生まれた。
街の中に何があるのか、どんなことが行われているのかを木は知らない。
街は、遠いところにあるからだ。
ただ木の近くにある、人間たちが住む家の大きいのや小さいのが
たくさん集まっているのだろうということだけは、なんとなくわかる。

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