自分を生きる、をちゃんとやる物語がはじまる。
無意識の中で
自分の恨みつらみを備蓄し、発酵させたものを引き揚げ
それ由来で自分の行動を決めてきた42年。
ほぼ全ての選択を。
恨みつらみ由来で決めてきたと思う。
恨みつらみを別のものに転嫁させて。恨みつらみの代償行為として
選択し、そこで生きていた。
それが根底にあるから
どんなにきらきらしたことを言ったとしても
恨みつらみが滲み出てくるのだ。
わたしの行動に
発言に
所作に。
それを見つめあぶり出したとき、またか。とげんなりする。
けれど、そこに座り込んでも、何も起きずに、むしろ状況は悪化するばかりだ。
見ないふりして、自分の怒りと恨み由来で人と地球に接してきたのだ。
それは、紛れもない、環境汚染。比喩でもなんでもない。ただの汚染。
ふと思い出した出来事。
30歳を少し過ぎた2011年。
地震が起きた年のこと。
当時私は会社員で、港区にある高層ビルの片隅で仕事をしていた。
ある日、クタクタに草臥れた終電間際の帰り道。
山手線でふと、頭の中に声がした。
「こんなに恵まれた環境にいて、どうしてやりたいことをやらないのか」
はっきり声がした。
それは、お昼休みに読んでいたWEB記事の、
マザーハウスという会社の社長の言葉だった。
お昼休み。こんなふうに生きてみたい。そう思っていた。
けれど、やりたいことなんて、そうそうないし、できるはずない。
そもそも会社を辞められない。
そう思って打ち消した。
あの声を聞いたあとも私は「やりたいこと」をしっかり見つめることもせず
なんのために生まれてきたのかにも対峙せずに爆走した。
なんのために生きて
私の能力、わたしのいのちは、
いったい、この地球に何を残せるのか?
全ての選択をするときに
私は
私がどう地球と生きていきたいのか
コミットすることもせず
ただながれるように
嫌われることだけを恐れて
自分の姿を直視することもせずに
逃げ惑うように他人から誘導されるままに
生きてきた
私はいま
こんなに恵まれた環境にいて、どうして自分がやりたいことをしっかりやらないのか
まじでもういい加減、行動するとき
腐った肥溜めかき混ぜてる場合じゃない
行動からしか、何も変わらないことには気が付いている。
自分が、ちゃんと自分の人生の舵を取るんだよ。
昨日のnoteにひとみちゃんからもらった感想。
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ひさしぶりに、
ひとみちゃんの言葉で、自分の中のがん細胞が暴れ出した。
わたしのせいなの?ねえ!
わたしに声をかけてくる。
うん。
もうあなたとは、一緒に生きていけない。
あなたのことを抱え込もうとした人生だったけれど
これからはもう
わたしの邪魔をしないで。
わたしは、自分の人生を自分で選んで進めることにしたから。
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