旅の流儀~そこで暮らすこと、現実逃避という経験
先々週、先週と行われていました、公認心理師のための実習(学部を卒業するためのやつ)に臨むための授業は昨日で最終回でした。
8,9,10月に少しずつ実習が入っています。
授業の3日目は、公認心理師が働く現場(実際、心のある人が関わっている世界にはどこでも、心の専門家が求められる場面があります)の各領域について学んだり、心理検査の結果表の書き方について考えたりしました。
今回、先生がとても接しやすく、可能な範囲で率直に話をしてくれたし、砕けた話と真剣な話の締め方・緩め方が上手な方だったので、長時間の講義でも苦痛じゃありませんでした。
これまでに学習したことを復習しておけばよかったとも思いましたが、
実際の現場に行く前の授業ということで、それまで教科書等を睨んでいるだけでは得られなかったようなリアルな話も出てきて、
ぼんやりしていたものが少しずつ輪郭を伴ってくるような感覚がありました。
わたしが在籍しているのは通信教育課程で、これまでのスクーリングや試験も時期的にすべてリモートで済ませてしまいました。
そのため、キャンパスの設備の使い方をまったく知らなかったのですが、
今回2週間ほど滞在する、そして極力軽装備での旅にしたので、キャンパスのパソコンで作業を進めさせてもらうことができました。
学費払ってるんで…少しでも利用できてよかったと思います。
今回、
#忘れられない旅
というタグを付けているのですが、
わたしは旅の中でも、
・そこに行くこと
・そこで暮らすこと
に価値をおいていて、まあ昔よりはいわゆる名所とかのありがたみも感じられるようになったとは思いますが、そういう観光地に行くのではなくとも、
そこにいる人達、自分のことを誰も知らない人達の中に紛れ、日頃の自分に被せられたマスクとかレッテルとかを剥いで、自分の時間軸でやりたいことをして過ごす
そのために、どこかへ旅することが必要だと思ってます。
今回も授業は週末しかなかったので、平日はほとんどそんな感じでした。
といっても、実習のために資料を作らないといけなかったり、検査を受けないといけなかったりで、退屈はしなかったのですが。
それで言うとわたしの忘れられない旅は、2つあります。
ひとつは以前にもボランティアの記事を書いたのですが、バス泊で宮城の海沿いの村へ行ったこと
そこで何をするというか、1日の滞在で何かを為せるわけもなく、でもそこでの人との関わりとか、自分の足でそこに立ってどんな景色を見たというのが、その後の自分自身に染みついて行動を左右していく経験になるということを感じたものでした。
もうひとつは、JRの青春18きっぷを使って中部地方~香川に寄り道~福岡までの大移動をしたこと
このきっぷは確か、5日間で追加料金が要らない列車が乗り放題になるというものだったと思います。
1日の中で大部分の時間が移動になるような日も多かったと思いますが、その移動の中で見える景色や人の流れがおもしろく、苦じゃなかったです。
逸話、というか今では自分でも「やべぇな」と思う話なのですが、京都駅で降りた夜、予約していたホテルまで行こうと歩いていたら知らない車のおじさんから声をかけられて、「乗ってきな」と言われるままに乗せてもらい、なんとなーく雑談とかして予約したホテルで下ろしてもらいました。
当時のわたしとしては、そこで泊まったホテルの方が小ぢんまりして古っぽくて、怖さを感じた記憶があります。
地元から出て1年程度のわたしが、乗り換えを調べたり寄り道をしたりしながら、行く先でのホテルを自分でおさえて旅行した経験は、だいぶ自分をたくましくしたと思います。
そうそう、途中(兵庫駅だったかな、四国に行く前の駅)できっぷを失くして大焦りしまして、最終的にどこで見つかったのかは覚えてないのですが、その過程で係員さんへも声をかけたりして、当時のわたしにとってはすごい成長だったなあ、なんて覚えています。
あ、もうひとつ印象的な旅がありました。
これは一人旅ではなく、会社の先輩とその友達に付いて行ったのですが、京都で5日間ほど滞在した旅で
日中は別行動のときもあったので、ホテルでゲームのイベント周回してたり、ぶらーっと商店街を歩いたりと自由に過ごしました
ちょうど平成から令和に変わるゴールデンウィークだったので、思い出になっています。
現実逃避のために旅をするのであって、その先で何かしようと無理をしなくていいと思います。
ただ自分の思うままにそこで過ごして、帰ったらまた日常を頑張りましょう。