あなたの夜を思うよ 短歌#2
こんばんは。
書きたい気持ちと書かないでお酒のんじゃいたい気持ちが喧嘩して、前者が負けたりして、みなさんちょっと久しぶりです。
今日の作品
エスカレーター、えすかと略しどこまでも えすか、あなたの夜を思うよ
初谷むい/「花は泡、そこにいたって会いたいよ」
短歌界隈はたまにバズる
ふと昨日、もしかしたら今日だったかも、掲出歌のことを思い出して頭から離れなくなったので紹介したい。
この歌を思い出したきっかけはツイッターの本垢でこのツイートが流れてきたことだったと思う。(この、む犬というツイッタラーが初谷むいさんという歌人。)
短歌用のアカウントでは毎日短歌の人が喋っているけれど、色々入り交じる本垢でバズって流れてくると、おっ、とおもってしまう。
これはきっとまちなかで自分と同じ色の同じ車種を見つけたときのような気持ちなんだと思うけど。同族意識というか、同じものが好きな人が有名になってたら少し嬉しくなる感じ。
ちょっと前には短歌界隈から木下龍也さんの短歌がバズっていた。
自分の好きな界隈がバズっているとやっぱりちょっと目を引くし、ちょっと嬉しい。みんな短歌面白いよ、短歌好きになってくれよなという気持ちをささやかに持ちながら眺めるのであった。
おそろしいほど
初谷むいさんはおそろしいほど相聞歌(恋の短歌)を作っている歌人だ。
歌集を開いたらわかるけど、ほとんど相聞歌しかない。読んでいると、相聞歌しかなくて、それにこちらまで埋め尽くされるようで圧倒される。
そのなかでも僕は掲出歌がいちばん記憶に残っている。
根源的欲求
そのままの意味でとるとただエスカレーターを愛でている歌みたいにおもえるけれど、エスカレーターにこんな親しみ深い愛をかけられる人が人間を愛してしまったら一体どうなってしまうのだろう、と僕は読む。読んでしまう。読まされてしまう。ちょっと不安になってしまうくらいストレートな相聞歌だとぼくは思う。
「えすか、あなたの夜を思うよ」に込められた感情たるや。
人間という生き物は根源的にこんな愛を欲しているのではないかと錯覚させられる。会っているときはもちろん会えない夜にもこんなふうにどこまでも思われていたいよね〜〜〜〜。
絶対的な発想の強さ
短歌を読んでいると、たまにどうやってこの着想にたどりついたんだ?と思う作品に出会う。そういう作品に出会うとアハ体験のような感覚に陥るとともに、自分には絶対生み出せないものを生み出している人がいるという事実に絶望のような感情を抱く。
掲出歌においても上の句の「エスカレーターをえすかと略す」発想がぼくには絶対できないと思う。この発想の絶対的な強さにこの歌は支えられている。
後半の「どこまでもあなたの夜を思うよ」という思いは、恋するものならば比較的誰しもがもちうるものだ。
前半の絶対的な非凡さが後半の普遍的な恋情を強く強く支えている。
絶対この発想に至らないんだけど!という短歌を読むと生きててよかったと思うし、人生の素晴らしい刺激であることは間違いない。読者の方々にもそんな体験をしてほしいのでこれからもそういう短歌を紹介していきたい。