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古典と好きなものを忘れる話

私は古典がとてつもなく好きだ。古文や漢文も好きだけど、特に西洋古典が好きだ。古典を読んでいると、暖かい嬉しい気持ちが胸の辺りから指先まで、じわじわと広がっていく。本当に生きていてよかった!こんなにすごいものに出会えたなんて、なんて幸運なんだろう!冗談抜きでこんな気分になる。

社会人になって5年ほど経つが、先日無職になるまでこの感覚を忘れていた。日々仕事をこなして家に帰って泥のように眠ることを繰り返す中で、古典を好きなことが丸ごと記憶から抜け落ちていたかのようだった。今年の10月に無職になって、何もしない日が続き、自分がなんのために生きているかわからなくなってしまった時に、自分が「生きててよかったな」と感じた瞬間を書き出してみようと思い立った。今まで生きていてよかったと感じたのはどんな時だろう。美味しいご飯を食べた時?家族や友達や恋人と過ごした時?否、私が真っ先に書き出したのは、「古典を読んでいる時」だった。古典を好きなことを私はすっかり忘れていたのに、無意識下ではちゃんと覚えていたようだった。ありがとう、私の無意識。

古典を読むのがどうして面白いかというと、自分とは時代的にも地理的にもかけ離れた時と場所で生きていた人たちが、何を感じどう考えていたのか、わかるような気がするからだ。私が読んだことがあるのは英雄の叙事詩が多いのだが、英雄のやることは色々とぶっ飛んでいることが多い(そのぶっ飛び加減もすごく面白い)。そこにその時代と場所に住んでいた一般人の姿が正確に描かれているわけではないが、その人物が当時の「英雄」だったこと自体が現代では想像し難いことだったりして、そんな時はその時代を生きた人々の理想や当時の社会における模範が今とはだいぶ異なることを実感できる。同時に、特に叙情詩を読む時は、人間の感情はどんなにかけ離れた時間や場所にあっても共通しているということを感じる。遠い昔の遠い異国の人なのに、その伝えんとする感情が手に取るようにわかってしまう詩もあるのだ。あとは、時を越えて読み続けられているだけあって、中身がかなり面白い。英雄がどうやって困難を乗り越えて目指すものにたどり着くのか、ハラハラドキドキしながら読めるし、詩人の紡ぐ言葉から生き生きとした情景が想像できる。もちろん言葉が難しい時もあるのだが、それを乗り越えた時に感じる達成感も込みで楽しい。

こんなに好きになったことを忘れてしまうなんて、人間の脳って一体どうなっているんだろう。日々の生活に追われると、普段触れないものならなんでも忘れてしまうんだろうと思う。とにかく、もう2度と忘れることがないように、普段から古典に触れていこう。このnoteでも紹介していけたら嬉しいが、まず読み直すところから始めなければ。今枕元に置いてあるのは、「ギルガメシュ叙事詩」だ。深淵を覗き見た半神半人のウルクの王の物語。少しずつ読んでいきたい。

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