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氷河期世代の産児制限によってもたらされた束の間の政治的安定をつかって、何ができるのか

氷河期世代は結婚が遅く、婚姻率は低く、出生率も低い。
これは氷河期世代より上の世代の雇用を維持しながら、氷河期世代より上の世代がもたらしたバブル崩壊による不良債権を処理するために、氷河期世代の就職を制限し、この世代の非正規労働者を増やして安価な労働力を確保し、その差益によって不良債権処理を進める必要があったからだ。

その結果として不良債権処理が可能となり、経済成長が再び始まり、その下の世代は就職に困ることは少なくなった。

氷河期世代はこの苦難の時代に、結婚を諦め、子供を作らないことを強いられた。

それを可能にするような文化的な豊かさは生み出されていたし、産児制限技術は進歩しており、既存の価値観を上書きするような新しい社会規範が作られた。

ここでもし、氷河期世代が子供を作っていたらどうなったか?を考えてみよう。

つまり、結婚しない人間や子供のいない人間が徹底して差別される文化規範が強固な社会に変化していたと仮定しよう。

その場合は、貧しいままに結婚した人たちと、差別に憤る人たちが生まれるだろう。そうした人たちは潜在的に反乱を引き起こすポテンシャルを持つ。

また、子どもが増えることで社会保障費の負担が増えるので、現在の社会保障費の圧迫はもう少し早く明らかになっていただろう。

氷河期世代の子供たちも就職に苦しんだかもしれない。この世代は上の世代に対する反乱を起こしたかもしれない。

でも、実際には産児制限のために若い世代は(これでも)豊かになり、数が少なくなった。

そのため、反乱を起こすための政治的な不安定性は回避された。

同じようなシナリオは中国や韓国、ひょっとするとロシアでも起きていることが推定できる。

この政治的安定性を使って僕らは何ができるだろうか。

安定した!良かったと考えて何もしないでいることもできる。

だけど少子化がこのまま続けば、現状の社会保障制度が維持できず、インフラの維持も徐々に難しくなるだろう。

そうしてゆっくりと荒廃していく国を眺めながら手をこまねいているのが正解なんだろうか。

そうではない。

国土は荒廃するべきではない。それは全員が損をする選択肢だ。
社会保障制度を維持するための議論が積極的に展開されるべきだ。

医療の効果については真剣に見直されるべきだ。
特に無償の医療と、高齢者医療がもたらす価値については厳しい目が向けられるべきだろう。

これは単に、社会保険料がより多く使用され、自己負担額が少ない分野はそうでない分野よりも厳しく監査・評価するべきだという主張だ。

もしあまり有効に使われていないことがわかれば、有効に使うためにどのような制度設計が望ましいかが再考されるべきだ。

ナチズムと違うのは、劣った人種や属性を選別し、日本人を優れた人種にする、みたいな意図はないことだ。

単に、国や保険組合から多く補助されている分野は、その分使い道も厳しく評価されるべきだ、という観点だ。

効果の乏しい、もしくは無益な医療が自己負担額の少なさゆえに実施されないようにするという戒めだ。

医療従事者はこうした医療を制限する立場に対して、道徳的優位性をもって反論することができている。

少なくとも、今のところは。

でも、道徳的優位性を振りかざせば振りかざすほど、長期的には厳しい目線を受けることになるし、反発も受けることは理解しなければならない。

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