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80代の医療と介護と年金は年間平均320万円で、20代の平均収入とほとんど同額である。
高齢者は生きるのにお金がかかる。
それは年金を受給するし、医療や介護を受ける可能性が高く、その費用が高額になりやすいからだ。
年間一人あたりの医療費は80代以上だと、一人あたり年間100万円程度の費用がかかる。(2019年統計)
また、年金に関しては男女で差があるが、平均すると一人あたり約160万円程度である。(2017年調査)
また、介護費用は一人あたりおよそ60万円である(2018年調査)
つまり、80代の人が1年生きるとき、医療・介護・年金で平均すると320万円程度の費用がかかる。
一方、20代の平均年収が360万円である。
つまり、20代が1年間働いて稼ぐお金が、80代が生きるのに必要なお金なのだ。
そして2025年現在、日本の80代は人口の8.3%を占める。
一方日本の20代人口は9.9%にすぎない。
これが団塊世代が全て80代になる2030年には
日本の80代は11.2%を占め、同時期の20代の10.6%を超える。
つまり、この段階で20代が稼ぐお金は殆ど、80代が消費する金額と等しくなる。20代が稼ぐお金が丸ごと、80代の生存に使われるようになる。
こうした格差に対して、若い世代が対応するなら、結婚、出産、恋愛、マイホーム、人間関係、健康、夢などを諦めるしかないだろう。
実家でお金のかからない娯楽と最低限の労働をして過ごすのだ。
多分新型コロナウイルスの流行とその対策は、この傾向を強化した。つまり、人間関係や消費を避けて一人娯楽を楽しんで生きるスタイルが確立した。
コロナ以前からすべての世代で未婚率は上昇している。婚姻率に関しては5年毎に発表されるので、2027年にその劇的な低下が衝撃を与えるだろう。
増大する社会保障費を全世代で支える場合の未来は、こうだ。残念ながら。
しかし異なったシナリオはあり得る。
つまり、保険、年金制度の意義を考え直し、その改革を迫るシナリオだ。
今まで書いてきたように、年金制度は第二次世界大戦によって財産を失った人たちの生活を保証する意味合いがもともとは強かった。
また、医療保険の高齢者優遇は、1972年に選挙で負けそうになったときの選挙対策の名残だ。
介護保険制度に関しては、介護をする家族への負担を軽減することが目的だった。
しかしこれら別の視点から考えてみることもできる。
年金制度の確立により経済的な理由で亡くなる可能性が低下した。
高齢者医療無償化により、高齢者向けの医療システムが拡大し、また無償化になったことで医療需要が増加、それに対応して病院や診療所が増えた。
無償化による需要増と医師会による交渉で、医療従事者の収入と交渉力が増加し、政治力を獲得した。これによりさらに高齢者を尊重するイデオロギーが広まった。
その結果、高齢者は病気になっても長生きできるようになったので、老化による身体機能低下が長引くようになり、介護を必要とするくらいまで長生きするようになった。
と、壮大なマッチポンプであると解釈することができてしまうのだ。
少しずつ、なぜ20代が結婚や出産を諦めて80代を延命させなければならないのか?と疑問を持つ人が増えてくるだろう。
異議申し立ての形を取るのか、離脱の形を取るのかだが、いわゆる政治活動に応用できるノウハウはコロナ対策で継承されなかったことから、離脱の形が主体になるかもしれない。
個人的な関わりの範囲では、その離脱の兆候は見えている。
しかし為政者は離脱に敏感である必要はない。むしろ気づかないほうが自分の任期を無事に終えることができるだろう。
政治的な対応が図られなければ、破滅的な影響が起きるまで、離脱は続く。
だから離脱が起きている現実と、その原因について、目を背けることが不可能な形で伝え続けていかなければならない。
その一つが次世代運動の活動に参加することだ。
2月22日、霞が関で次世代運動のデモが行われる。
筆者も参加する予定だ。