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アルツハイマー病研究、失敗の構造とその歴史的背景を考えてみる。


アルツハイマー病研究の概略とその過ちの歴史について書かれた本書は、科学の収益逓減に関する陰鬱な歴史を描き出す。


さて、まずは日本の戦後を医学の歴史とともに簡単に振り返ってみよう。

1945年の終戦後まもなくは、死因の第一位が結核であり、ワクチン接種も十分ではなかった。この時期にワクチン接種と衛生環境の整備、感染対策が実施された。この時期の医療の効果は目覚ましいものだったし、実際生産年齢人口の人々が長生きするようになり、産科医療が進歩し、周産期、新生児死亡率が低下した。さらに子供も感染症により障害を残す可能性が低くなっていった。

この時期の医療は疑いようもなく価値があった。

続いてがんと生活習慣病の治療の時代がはじまる。
1970年頃から高血圧など生活習慣病の治療が行われ始め、1980年には悪性新生物、つまりがんが死亡率を高める要因となってくる。
抗がん剤や手術の進歩によって、癌もある程度克服できる疾患になってきたところで、次に立ちはだかったのが認知症だ。

認知症が直接の死因とされることは少ない。誤嚥性肺炎の多くは認知症と関連しており、ひょっとしたら老衰もそうかもしれない。
しかし認知症が直接的、間接的な死因となることはかなり多い。

認知症の代表的な病型としてアルツハイマー病がある。認知症の60%以上を占める。

この病気の特徴は、短期記憶の障害、病識の欠如、そして進行性の日常生活動作の障害だ。

そして、この病気を克服するような薬は今のところ出現していない。

近年、画期的な新薬としてレカネマブが導入されたが、この薬は

1.効果が乏しい
CDR-SBなる18点満点のスコア(高いほど重症)
プラセボで18か月後に1.66点悪化
レカネマブ投与で1.21点悪化
つまり、点数の差は0.45点である。これを100点満点のテストに直してみると2.5点の差がつく、ということになる。

2.非常に高価である
薬価で年間300-600万の治療を1.5年かけて行う。点滴や通院費などは別に計上する。最近の論文では、5100ドル未満(現状の日本円なら、約78万円)であれば、状況によっては費用対効果が良い、と記載されている。

3.2週間に1回の点滴を18か月続ける煩雑さがある
さらに、半年ごとの認知機能検査と家族からの聞き取り調査が求められる

4.脳出血の副作用がある
0.4%に脳出血が出現するとされ、また、脳浮腫(12.6%)や微小出血(10-20%)のリスクも報告されている。
そのため、投与中は頻回な頭部MRI撮像が求められる。

5.脳出血のリスクが高い群は遺伝子検査で特定できる。しかし、検査を行うことで、家族に認知症のリスクが高いことを伝えるべきか、伝えないでおくべきか、という難しいコミュニケーションが要求される

と、医学的な効果、医療経済、倫理の3つの面で疑問符のつく薬だ。
そしてこれは、認知症の医学の集大成、というのがアミロイド仮説の問題であり、異なった方面から研究することが必要である、と著者は書く。

この薬剤に対して、非常に不思議に思う点は、高額薬剤というのは、慢性疾患に使うものであれば、結構効果が実感できるものが多い。
関節リウマチを代表とする自己免疫疾患に対する生物学的製剤、免疫チェックポイント阻害薬などだ。

また、高価な医療行為である、人工透析や血漿交換、人工呼吸なども、適切に使えば劇的な効果がある。

しかし、レカネマブの効果は非常に小さい。

これほど効果が乏しく、これほど高額で、これほど処方対象が広い薬剤というのは、他に例がないのではないか。
また、忘れがちだが、薬剤費も点滴・心理検査・家族への聞き取り・通院・MRIなども当然のごとくコストがかかっている。つまり、この薬を使わなければ他のことができるはずなのだ。

こうした現状がなぜ起こってしまったのかを本書は良く理解させてくれる。

端的に言えば、
アルツハイマー病の疾患概念が恣意的に拡大されたこと
アルツハイマー病の病態仮説がアミロイドカスケード仮説一本に絞られたこと
そして、アミロイドワクチンの失敗にもかかわらず、この仮説にさらにのめりこむことになったことが、失敗の原因とされる。

著者は研究者だから、さらに多様なアプローチをすれば、つまり酸化、炎症、ミトコンドリア障害などの多様なアプローチから研究していけば、アルツハイマー病の謎をいつか克服できるだろうと楽観的に書く。

しかし僕は思うのだ。
医学がそもそも収益逓減の領域に至っているのではないかと。
これは最初に述べた感染症→生活習慣病→癌→認知症と克服すべき疾患が変化する中でも感じられることだ。

感染症の克服は生まれてから現役世代、なんなら高齢世代も含めて、全ての世代に利益をもたらした。

生活習慣病の克服や、動脈硬化リスクに対する薬物療法は、働き盛り、つまり50歳、60歳での脳梗塞、心筋梗塞の発症を70歳、80歳へと先延ばしにすることを可能にした。特に禁煙は、2-3年寿命を延ばす効果がある。

癌の死亡率は50歳ごろから上がり始め、年齢と共に上昇していく。
乳がんや子宮頸がん、白血病などの例外はあれど、基本的には60-70歳での治療がメインになるだろうか。がんの治療、予防も長生きを可能にした。
ただ、大腸内視鏡でも寿命が延びるのは、恐らく4か月程度だ。

認知症に関しては、レカネマブの効果は非常に乏しく、おまけに、まだデータは十分出ていないが、死亡率を高める可能性さえ示唆されている。

この流れを見てみると、医学はそろそろ長生きを目指す方向性は限界に来ているのではないか、と思わせる。

少なくとも、薬剤はどんどん高額になり、効果はどんどん乏しくなっている。

これは新しく生まれる治療の話である。
医療が必要ないとか、医学研究が必要ない、というわけではない。
ただ、限られていて、これからさらに限られるであろう人的資源は、できるかぎり有効に用いていく必要がある。

まとめ

アミロイド仮説に固執したことがアルツハイマー病研究の歴史と治療薬の発見において大きな過ちだった、というのはレカネマブを見るとはっきりとわかる。

一方で、他の経路を研究することで、アルツハイマー病を克服できる、というのはあまりに素朴な見方にすぎるのではないかと思う。

医学は収益逓減、つまり進歩させるための費用が増大し、その割に寿命や機能に与える効果が乏しくなってきているように思える。


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