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福祉国家は世代を経るごとに連帯意識が低下する
14世紀にイスラム世界で活躍した歴史家・政治家のイブン・ハルドゥーンは、王朝の衰退のメカニズムを詳述している。
ちなみにこのアイデアを数理モデルを用いて拡張したのがピーター・ターチンのエリート過剰生産論だ。
話がわき道に逸れた。
イブン・ハルドゥーンの説明はイスラム地域、つまり砂漠の民を念頭に置いていることは留意が必要だが、その発想は現代においても敷衍できる。
われわれは王朝の存続期間が一般に三世代を越えることはないと述べた。第一世代は田舎的遊牧的性格、質実剛健性、砂漠の野蛮性を保持している時期で、つまりその人は困窮に慣れ、勇敢で貪欲であり、またお互いに栄光を分けもっている。したがって、彼らはまだ連帯意識の力を保持しており、鋭敏で大いに恐れられ、人々は彼らに服従する。
第二世代の人は、王権と安楽な生活のもとに田舎的遊牧的生活から都会の生活へ、困窮から奢侈と豊富へ、全員が栄誉を分担する状態からある者が栄誉を独占して、他の者が栄誉を競わず怠慢になる状態へ、誇り高い名声から卑しい追従へと変わる。こうして、連帯意識の力が多分に損なわれ、人々は卑賎と服従に慣れる。しかし、彼らには古い徳性の多くがまだ残っている。というのは、彼らは第一世代の人やその生活状態に直接な接触を持ち、彼ら自身の眼で第一世代の人のもっていた気高さや栄誉への努力、またみずからをまもろうとする意欲といったものを目撃していたからである。彼らは古い徳性の大部分をなくしたとはいえ、そのすべてを喪失したわけではない。第一世代の人々の存在した状態が回復するであろうという希望のもとに生きるか、あるいはこれらの状態がまだ存在しているという錯覚の元に生きている。
第三世代になると、田舎的遊牧的生活と質実剛健性との時代を、あたかもそれが存在しなかったかのように完全に忘れてしまう。彼らは強圧的な支配を受けているので、名声の喜びとか連帯意識とかをなくしてしまう。またあまりにも繫栄と安楽な生活に慣れて、奢侈もその極に達するので、王朝に寄りかかって、保護を要する女や子供のようになってしまう。連帯意識はすでに完全に消え、彼らは保護や防衛や目標追求とかを忘れる。身に装う徽章、衣装、乗馬、洗練された武技などによって人々を欺いているが、実は彼らの大部分は、後方に残る婦女より臆病で、誰かに要求されると、それを排撃することができなくなる。そこで、支配者は自分を支持してくれる勇敢な者を別に求め、多数の家臣や従臣を採用する。このような者はある程度王朝を助けるが、それも神が王朝の崩壊を許すまでで、やがて王朝は、これまで維持してきたあらゆるものとともに滅び去ってしまう。
さて、現代日本に考えてみよう。
1973年に日本が福祉国家として歩み始めた、と考えることができる。
実際、「福祉元年」というキーワードも作られた。
この時代には医療は拡大を続けた。新しい治療、新しい制度、新しい病院、多くの矛盾をはらみながらも、少なくとも医療が激務だという認識は共有されていた。1974年から1984年に研修医となった人たちがいまは64歳から74歳で、病院経営を担う年齢となっている。
医療の第二世代を20年後としよう。1994年から2004年に医師になった世代で、年齢としては、44歳から54歳になる。
この世代はいまだに激務であったが、一方で立ち去り型サボタージュ、医療訴訟などが増え、幾分医師たちが防衛的になった世代と考えることができる。ただ、この時代には良い医師になるために努力する、という風潮が保たれていたように思う。また、若いうちは激務が当然、という空気も色濃く残っていた。
第三世代が2014年から2024年に医師になった世代と考えよう。
年齢としては、24歳から34歳だ。
直美(初期研修を終了して直接美容外科に進むこと)、ドロッポ(フリーター医)、QOML(クオリティ・オブ・メディカルライフ)なんて言葉が普通に使われるようになった。
初期研修の目標は倒れずに終えること、と言われるようになった。退院サマリを上司が書くことは当たり前になったし、具合が悪い患者さんがいても当直に任せるようになってきた。
また、初期研修医は保護される存在になり、超過勤務させないように指令が出るようにもなった。
診療科としても人気なのは当直が少ない、開業しやすい、急変が少ないなど、負担が少ない診療科になってきた。
精神科など、以前とは全く違うタイプの今までだったら循環器内科や外科に進んでいたであろうタイプが志望するように変化してきている。
つまり、医師免許を使って楽にお金を稼ぐことが目的になっている。
FIRE、つまり金融的な独立と早期退職も視野に入っていて、つまり医師免許を使ってお金を稼いで若いうちに資産運用だけで生活できるようになろう、ということを目指す人も増えている。
では、医療を受ける人はどうなっているだろうか。
これに関しては僕は時代の変化、というのを余り感じたことはない。
ただ、昔は医師の言うことは絶対という雰囲気はあったようだ。
人口動態に関しては、団塊世代→団塊ジュニア世代→団塊ジュニアジュニア世代(人口ピラミッドの瘤として存在しなくなった世代 世代論はない。1995-2000年生まれと暫定的にする)と考えてみよう。
団塊世代を団塊ジュニア世代が支えることは、恐らくギリギリできる。
氷河期世代の非正規労働者の多さと雇用環境の不安定さは医療・介護業界に人材を供給した。また、デフレによって民間企業が苦境にあえいだ時代に、医療・介護は安定して比較的高収入な仕事を提供した。
だから、このままなんとか団塊世代に手厚い介護と医療を提供することはできる。
一方、団塊ジュニア世代が後期高齢者になる20年後、2045年に、この世代の膨大な人口を支える現役世代は最早存在しない。
また、団塊ジュニア世代の後ろに控える氷河期世代は、老年期を凌ぐ貯蓄や不動産を持っていない独身世帯が多い。また、非正規雇用が多いため、雇用の安定性も低く、国民保険しか加入していない可能性も高いだろう。
つまり、何かのきっかけで働き続けられなくなったら、生活保護以外のセーフティーネットが乏しい世代なのだ。
実際、生活保護受給者のうち高齢世代の割合は半数以上が65歳以上であり、この比率は増加傾向にある。
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つまり、今後15年くらいかけて氷河期世代の高齢化による困窮化が進行し、生活保護受給世帯が増えることが想像される。
もしくは、生活保護受給水準の生活を送るが、生活保護を受給できない人がいる。しかしそうした人も、脱水、低栄養、アルコール利用障害などを発症し、いよいよ暮らせなくなって最後は病院を受診するかもしれない。
つまり、病院を受診したけれども生活保護を受給しなければ家に帰れない患者さんが増えてくる。
士気の低下した医師が、生活保護に至るしかない高齢者を診療することになる構図が生まれるわけだ。
さらに言えば、医療・介護リソースはさらに制限されているから、退院先も見つからない可能性がある。
士気の低い医師は、入院を敢えて長期化させることで新しい入院を防ぐ技を使うこともある。こうした居場所がない高齢者を長期に入院させ、退院調整をすすめず、実際に進まない状況が生まれるかもしれない。
本当に必要だったのは30年前に安定した仕事を用意することだったかもしれないのに。
こうした時代が10年から15年後に迫ってきている。
この社会保障制度は最早維持できない、と気づくのは早い方が良い。
その方が、医療・介護・年金を適切な規模に縮小し、持続可能な形式に組み替える時間を稼ぐことができるからだ。
急に壊れるよりはゆっくりと縮小した方が、各人が変化に備えることができる。
変化に備えることができれば、被害を減らすことができる。