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「就職氷河期世代」を「父と子サイクル」に位置付けて考える

困難な時代に育った世代は、どんな犠牲を払ってでも秩序を支持する傾向にある。ということだ(たとえその政治体制が正当性を欠いているようにみなされても)。しかし次の世代は混乱を直接経験していないため、既存の秩序の転覆を支持するようになる。そのような原動力により、40~60年周期の二世代サイクルがもたらされるはずである。
(中略)
社会政治的な不安定性の高まりは出生率を低下させ、小規模なコホートを生み出し、次世代間の競争は少なくなる。したがって次世代は経済的に恵まれて、動員の可能性も低くなり、生まれる赤ちゃんの数も増える。そのようなメカニズムは、少数でおとなしい世代と多数で好戦的な世代との繰り返しをもたらすはずである。

国家興亡の方程式 歴史に対する数学的アプローチ ピーター・ターチン著 水原文訳 ディスカバーテゥエンティワン  2015年出版


この文章は、数多くの歴史的ケーススタディから導き出されるパターンを記述したものだが、安価で安全な避妊法が一般化される時代より前の歴史的事例に限られている点には注意が必要だ。(人口抑制計画は1950年ごろに開始、ピルの一般化は1970年頃、コンドームも1986年頃であることに留意)


ただ、要点は、多数で好戦的な世代と、少数でおとなしい世代が交互に生まれることで、40-60年ごとに反乱の起きやすい波が来る、ということだ。
この小さな波を父と子サイクルと呼ぶ。

また、より大きな国家崩壊の危機に瀕するような、200-300年ごとに繰り返される大波を永年サイクルと呼ぶ。

さて、ここで氷河期世代を考えてみよう。
団塊世代が1947-49年生まれ(現在75-77歳)
そして氷河期前期世代が1993年から1998年に卒業した世代
大卒か高卒かによって微妙に計算が異なるが、年齢としては44歳から52歳
氷河期後期世代が1999年から2004年卒、年齢としては38歳から47歳
となる。

さて、僕が不思議に思うのは、なぜ氷河期世代は上の世代が行ったような闘争(東大闘争はもともとインターン制度の廃止…つまり医師/医学部生の待遇改善のための闘争だった)を行わなかったのか、ということだ。

これは父と子サイクルである程度説明できるように思う。
つまり、上の世代が闘争をしているのを不快に思って、秩序を維持しようとしたのではないか。

これが僕の仮説である。

なお、氷河期世代が存在した背景としては
公的資金投入、不良債権処理、非正規労働者生成による賃金コスト低下、為替介入によって購買力を流出させて円安を誘導させた、などの要因が考えられている。

なお、不良債権の多くは1980年代からのバブル景気からバブル崩壊(1992年)に至る土地価格の急激な下落に起因して発生した。

前置きが少し長くなった。
ここから氷河期世代の話に入ろう。

本書は豊富なデータで氷河期世代と就職氷河期世代を描き出し、その実情として氷河期前期世代と後期世代に分けて語り、またそれ以降の世代と比較した点が特徴的だ。

完全失業率、就職率などの指標で見てみると、前期氷河期世代の数字はそれ以降のポスト氷河期世代、リーマン震災世代(2010年-13年卒)と比べて悪いものではないことがわかる。

また、初職が非正規雇用の割合も高い。しかしこのデータも、前期氷河期世代は後の世代に比べて悪くない数字だ。

時間がたつと正規雇用の割合は増えてくるのだが、年収の格差は縮まらない。

ちなみに、男女ともに35歳、40歳時点の既婚率は単調低下傾向にある。
興味深いのは、僅かではあるが団塊ジュニア世代(1970-74年生まれ)より、氷河期前期世代、氷河期後期世代と平均子供数は増えていく傾向にあることだ。
これに関して、本書では詳細な分析はされていない。
僕自身としては、世の中が良くなっていく見通しがあるかどうかが、子供を作るうえで大事なのではないか、と考えている。
もしくは、自分より良い生活を子供が体験できるとどのくらい信じることができるか、と言い換えても良い。

少しわき道に逸れた。

男性の場合は初職が非正規か正規雇用かが40歳時点での既婚率で20%程度の差となっている、という残酷な現実もある。

また、卒後10年目の給与の格差はバブル世代が最も小さく、ポスト氷河期世代、前期氷河期世代、後期氷河期世代の順に格差が大きい。

また、ニートや孤立無業者は、世代を経るごとに割合が増えている。

本書は豊富な図表と共に氷河期世代を前期世代、後期世代と分け、さらにバブル世代、その後の世代と比較した点が画期的だ。

思い返すと、2010年には、景気が悪いから氷河期世代が生まれた、という論調が主だった。

まあ、それは間違ってはいない。
問題は、なんで景気が悪くなったか?だ。
先にも伝えた「日本経済のパースペクティブ」では
バブル期にできた不良債権(これは団塊世代とそれより上の世代が作った)
を処理するために
製造業を強化し、外貨を獲得するため
リストラと雇用の引き締めを行い(これが氷河期世代の就職率低下を引き起こした)
非正規労働者を増やし(これは主に氷河期世代以後の世代が犠牲になった)
ゼロ金利政策を行い
為替介入を行って円安を誘導した(これが同世代の購買力を低下させた)
ということになる。

世代間闘争が起きてもよさそうであるが、氷河期世代の人で、上の世代との対決姿勢を隠さない人はあまり見たことがない。どちらかといえば争うことを恐れているように思える。

今回の選挙の投票にも、それは表れているように思える。

https://x.com/gyui_san/status/1850631406008832501

https://twitter.com/gyui_san/status/1850631406008832501


https://x.com/gyui_san/status/1850631406008832501  より引用

ざっくり現役世代支持政党を国民民主党、日本維新の会と考えてみる。
その支持率は
10代 26%
20代35%
30代34%
40代 26%
50代 21%
60代 17%
70代以上 12%
と、40代で急激に低下する傾向がある。
実際、社会保障の持続可能性について40代半ばくらいの人の認識は、それが続くものだと考えている人が多いように思う。
続かないと思いますよ、と伝えても続いてほしいなあ、とどこか他人事の感がある。

さて、この関係性はなぜなのか、と考えた時に、2つの可能性がある。

1つは、財政的に両親に依存関係にある点、つまり、両親の年金と資産による援助や相続財産を受けられる可能性がそこそこある点だ。
だからこそ、年金や医療保険が高額になることは避けたい、ということだ。

もう1つは、最初に述べた父と子サイクルの影響だ。
つまり、父親世代(団塊世代)が、あさま山荘事件をはじめとする暴力的な闘争を行っており、こうした闘争は不毛なものだと学習し、行わないよう決断した、という可能性だ。

通常、その次の世代は人口が増えるはずなのだが、日本に団塊ジュニアジュニア世代というのはいない。
団塊ジュニア世代の出生率が非常に低いため、人口のこぶが生まれなかったのだ。

通常であれば増えるはずなのに、なぜか、と思ったが、ピーター・ターチンの分析は主として福祉国家を対象としておらず、避妊も困難で、寿命も50歳前後の時代を対象としているからだろう。

そのため、福祉国家で、産児制限が容易で、寿命が84歳の社会でどのような経緯をたどるのか、ということははっきりしない。

しかし、おとなしい世代の次の世代が攻撃性が高い、というのはありそうである。
幸いにしてその攻撃性は、「真顔」という形であり、特段武力闘争を意図している様子はない。

だが、何かのきっかけで組織化がされれば、それは何かしらの具体的な運動に至るだろう。







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