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少子高齢化の実際

僕の知っている少子高齢化の進む地方に住む家族は次のような流れを辿った。

まず、1970年代には三世帯で暮らしていたようだ。
家としても三世帯どころか四世帯は同居できそうな農家だった。
1990年代には曾祖母、祖父母、父母、そして子供二人が同居していた。四世帯同居で、父母まではその地域に仕事を持っていた。

また、長子相続の伝統があって、長男ないし長女は家を継ぐものと皆が考えていた。
しかし不景気と高齢化の影響を心配して、子供は二人とも大学に進学し、東京で就職することになった。

今は祖父母も他界し、70代になった父母世代だけが四世帯が住める家に住んでいる。

もう一つの家族は少し異なった流れを辿った。
祖母、父母、そして四人の子どもが同居していた。
地元に根ざした中小企業を経営していた。
子どもは東京に出ることもあったが、最終的に家に帰ってきた。
歳月とともに祖母は施設に入居し、父母と四人の子供が同居することになった。
そして四兄弟は50歳に近づいたが、未だに同居が続き、誰も結婚していない。

これは僕が描き出せる2つの例にすぎない。
しかし、少子高齢化が進行するのは、このような家が増えることなのだ。

最初の家族を僕は少子高齢化に対処した家族だと僕は考える。
つまり、少子高齢化のトレンドは地域によっては1980年代から予測できた。

ここで環境収容力という概念を考えてみよう。
これはある土地は何人の人間をやしなえるか、といった考え方だ。
勿論人間はインフラを整備したり灌漑したり中央政府が補助金を送って仕事を作り出したりすることで環境収容力を増やすことができる。
しかし、恐らくは戦後の人口増加は、乳幼児死亡率の劇的な低下に起因しており、また高齢化も歴史に例のない医学や栄養状態の進歩によるもので、あらかじめ予測することは難しかった。

しかし、1980年にもなれば、この土地の環境収容力を越えているのではないか、という感覚が生まれても不思議はない。
そして、多く資源を消費し、少なく生産する世代、つまり児童と高齢者は、環境に占める負荷が現役世代に比べて大きい。
ゆえに、高齢者が増える中で、環境収容力の余剰が少なくなるのは予測できた。

これに備えて、子どもに教育を与えて、地元以外で生きることを可能とした。
これは家系内のサバイブだ。つまり、地元で生き延び続けることが難しいと考えて、脱出する手段を子供に授けたのだ。

このように、地域の少子高齢化に家系内で対策する場合、かえって少子高齢化を進行させるということがあり得る。

また、環境収容力が限られている場合、高齢化は少子化を促す。
これに抗うには、高齢化に対処するか、インフラの拡充や産業の振興などを通じて地域の環境収容力を増加させる必要がある。
しかし年金+医療制度の組み合わせから、高齢化への対処はする必要がなかった。つまり、高齢者は地域を豊かにしてくれるような制度が作られていたのだ。また、インフラの整備や産業の振興は実施されたが、思ったように生産性が高まったわけではなかった。

それに、官製の需要創出も医療による需要創出も、更なる可能性の拡大を期待させるものではない。だからこそ、上記の家族は子どもを地元に残さないことを決めたのだろう。

じゃあいったいどうすればよかったのか?という点について、僕はよくわからない。というか、ある程度対策を実施したからこそ、中国、台湾、韓国のような急激な少子高齢化の進行を回避できたのかもしれないとさえ、考えている。




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