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逃げる自分と挑戦する自分

 私は10代に野球と中長距離走をやり、大学の物理学科に入って在学中に短期留学でオーストラリアやドイツに行った。その後は製造業の会社で新製品の開発や営業、さらには製造現場での仕事をも経験した。この話を聞いた人はどのように思うだろうか。

 私自身は上に挙げたことをしながら、常にその一つ前のことを十分にやり切らないまま時間切れになって逃げてしまったとの認識を持ち、かつてやり残したことをやらなければ一人の人間として生きたいように生きる資格がないかのように思っていた。
 こうした自己像およびマインドが今までに自らの本心に従って行動することを不可能にしていたように思う。実体のない漠然としたイメージで悩んでいたから、ここまでできれば満足だといえる基準がなくていつまでも自信がつかなかった。

 何をしてもやがてはそれまでの自分のやり方・感覚で通用しないようなところに差し掛かる。元々好きでやっていることでないとそこで辛抱強く取り組めはしない。だからそれ以上頑張れないし他の人に頼れもしない。
 そうして何かをやり残して他のところへ移れば、己の生き方には「耐えるか逃げるか」の2つしかないような印象が残る。そのため新しく知り合った人に私がこういうことをしている人だと紹介されるといつも後めたい気持ちになった。

 しかしながら私以外の者からは、むしろ様々なことに興味を持って次々と新しいことに挑んでいるように見えたかもしれない。そうして私に興味や好印象を持ってくれた人は、思い返せば10代の頃からいたように思う。
 ところが私はそうした人との関わりを避けようとした。先に挙げた方の解釈や自己像に拘っていたから。そうして自ら「耐えるか逃げるか」しかないような生き方を選んでいた。まさに自縄自縛だった。

 以前やろうとしたことから逃げているとの認識は決して間違いでない。しかしそれだけでなく次々と新しいことに挑んできたとの解釈もまた矛盾なく成り立つ。このことに思い至って私は俄に気が楽になった。

 かつては先に挙げた方の解釈や自己像を無理に変えようとした。だがやろうとした水準のことができなかった事実は動かないから、これは無駄なことだった。そうではなく他の捉え方があることを認めさえすればよかったのかもしれない。
 この好意的な方の解釈を知ってから、気付けば私は自らのしたい生き方や好きなことについて話すことが怖くなくなっていた。確かな自信がついたとも少し異なる感覚で、ただ自然体・平常心で話せるようになったということだ。

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