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「病床利用率」の問題点

多くの病院では病院経営改善のために、病床利用率を向上させることが目標とされる。
その理由は
病院の支出の約半分が人件費であること
病床数ごとの人員配置が概ね決まっており
入院による収益が収入の60-70%を占めるからだ。

病院は存在するだけで人件費が必要になる。
雇用する人数のルールを守らず、虚偽の報告をすれば当然犯罪となる。

そして医業による収入は保険点数によって決まる。
つまり、基本的に医療サービスの価格を病院の都合で変えることはできない。

売り物の値段は変えられない。
雇用しなければならない人数が決まっている。
支出の大半は人件費であり、上記のため人件費を削るのは難しい。

こうした理由から、病院は病床を最大限有効に使うことが経営を改善させる最良の方法となる。

また、病院経営に対する切実さがそこまで大きくない公立病院であっても病床利用率は、公的資金を使用する意義を証明するために重要な指標となる。
病床利用率が10%の病院であれば、当然ながら病床数は過剰だと判断されるわけだ。

だからこそ、公立病院も私立病院も病床利用率を高めようとする。

そして、日本の病床数は世界的に見て過剰である。

https://www.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20210120_1.pdf

2020年のデータでは、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、英国、米国と比較して、人口1000人当たり病床数は2倍から5倍、急性期病床だけ見ても類似した傾向がある。
また長期ケア病床に関しては、5倍から26倍存在している。

つまり国際的にみて病床数が過剰なのだ。

さらに言えば、地方においては人口減が進行しており、病床数は維持される限りますます過剰となっていく。

過剰な病床数に対して、入院患者数を確保しようとすれば、需要を発明する必要がある。
それが超高齢者に対する入院加療である。
超高齢者の急性疾患や食思不振を寿命と考えるか、医療需要があると考えるかは、恣意的に決まる。
個人の選択というが、医師や看護師が病床利用率を高めるように促されているか、限られた病床を有効に使うよう促されているかで、当然ながら話し方も変わる。

病床数が厳しければ寿命や医療よりはケアの対象であると考えられる傾向になるだろう。

一方で病床数が過剰で、高齢者に手厚い保険制度があれば、ケアより医療の対象と考える傾向が生まれるだろう。

諸外国の医療制度の詳細はあまりわからないのだが、日本の医療制度は後期高齢者に手厚い点で諸外国の医療制度とは趣が異なるように思う。

さて、日本の医療費が高額になる理由は
1.病床数が過剰である。
2.病床利用率を高めること以外に病院経営を改善させる方法が限られている。
ことによって
3.老化・老衰に対する医療を実施するインセンティブが強い

ことである。

これを改善する方法としては

1.病床数を削減する


これについて、厚生労働省は病床数を削減することによる支援金を交付している。

2.高齢者に手厚い医療保険制度を修正する


つまり、自己負担割合一律3割と高額療養費の修正である

3.高齢者への医療とケア、どちらが適切なのかを考える機会を広く周知する


ACPはその一つだが、それ以外の方法もある。高齢者医療に関する後ろ向き研究を行うことも一つだろう。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsdr/24/3/24_247/_pdf/-char/ja

上記研究では、誤嚥性肺炎の半年後の生存率は50%程度であると示している。


しかしこうした議論が広く周知されることはあまりない。
人生会議くらいだろうか。

保険制度も地方財政も様々なバランス機構が働くために、病床数を減らすことによる利益が緩衝されてしまうことも話し合いが進まない原因だろう。

それに、病院自体が地域における最大の雇用者であれば、病床数を削減することは病院職員を削減することと概ね同義であり、当然に抵抗があるだろう。

医療費の拡大について考えた時に、観念的な議論に陥ってしまうことが多い。
つまり、高齢者を大事にしなければならない、という価値観があって、それに応じて病床数が増え、高齢者を優遇する医療制度がつくられた、と。

しかし問題は、構造的なものなのかもしれない。
つまり

1.1973年の高齢者医療無償化によって、高齢者医療の需要が増加し、それに合わせて老人病院が増加した。

2.老人病院の増加によって病床数が過剰になったことをきっかけに、病院経営のため病床利用率を維持する必要性が生まれ、それを正当化するような価値観が作られ、広められた。

3.高齢者医療無償化が基準となり、高齢者の自己負担額増額は非常に緩徐なものに限られた。そして高齢者に対する医療行為を是とする価値観は、受け継がれ続けることとなった。

という流れだ。

しかし1973年の高齢者医療無償化が成立せず、一律3割負担の健康保険制度のままであれば、病床数が過剰になることもなく、病院で看取る文化も、延命を是とする文化も生まれることもなく、高齢になれば自宅で最期を迎える文化が維持されたのかもしれない。

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