生き延びるための後期高齢者医療
若手内科医が病む理由は少なからず高齢者医療を、高齢者医療の道具を使わずに実施しているからだと感じている。
医学生をやって、研修医をやって様々な知識を身に着けたうえでそれが役に立たないと感じるのは絶望でしかないだろう。
勿論知識はちゃんと勉強して身に着けるべきなのだが、買った本によっては誤ったコンテクストに落とし込んでしまっているものもあるし、理念重視で役立たないものもある。
まずは診療の流れからポイントを書いていこう。
なお、これは基本的に高齢患者さんのご家族が読んでも役に立つように書いておくつもりだ。
1.前提
高齢者医療として捉えているが、基本的には85歳以上や、慢性かつ進行性の基礎疾患が複数あってもともとある程度日常生活に介助が必要な高齢者が感染症や食思不振、熱中症などで入院したときを想定している。
背景疾患として問題になるのは、認知症、心不全、腎不全、フレイルなどだろうか。
2.問診
まず、ADLやIADLを確認する。要介護度も加えて確認する。
なぜこれが重要かといえば、熱心ではない家族や、施設職員も答えることができるからだ。認知機能に関して言えば、高度な認知症があっても年相応と答えることがある。
しかし、料理が作れない、バスに一人で乗れない、掃除ができない、トイレにひとりで行けない、と言った状況が数年前から見られるなら、慢性進行性の認知症、老化、心不全などの基礎疾患が背景にあることを示唆する。
特に認知機能の推定は重要である。
とはいえMMSEなどは救急外来ではなかなか実施できないし、そうした場所では信頼できない。それに、別にMCIを探し出したいわけじゃなくて、退院した後やっていけそうかを知りたいのだから、別に認知機能の詳細を評価する必要はないのだ。
そういう基準であれば、入院前の元気な時に何mくらい歩けていたのか、杖を使っていたのか、伝い歩きだったのか、そもそも寝たきりなのか、ということの方がずっと有意義な情報である。
勿論、誰に聞くのかも重要だ。
施設職員なのか、同居家族なのか。
同居家族が意志決定担当として妥当そうか、というところまで考えなければならないこともしばしばある。
誰もいない、という状況はそれはそれで、然るべき手続きを踏んで医療従事者内で最善の対応を行う方針にすればよい。
ただそれには誰もいない状況であることを確認する努力をしなければならない。
そして第一回の話し合いは早い方が良い。
なんなら、最初の話し合いの時点で次の話し合いの日程を決めてしまった方が良いこともしばしばある。
3.入院時に退院まで見通して話をする。
超高齢者が入院し、同居家族がいる場合、退院できるかは病状ではなくて、同居家族に依存する。
もともと認知症があって介護が限界だったところにたまたま肺炎が起きた場合、問題は肺炎よりも介護が限界であったことにある。
その場合は肺炎の治療と同時に「介護が限界である」ことを何とかする必要がある。
また、医療に何を期待しているかを予め聞き出して、医療が提供できるのがどれくらいかを伝える必要がある。特にリハビリは過度な期待を抱かれることが多い。しかし認知症がある高齢者へのリハビリテーションはどうしても効果が限られてしまう。
予め介護が限界であることが分かっていれば、早期に退院先の方向性を話し合うことができる。これによって入院期間が無為に延長することを防ぐことができる。
4.次の入院を見越して話をする
誤嚥性肺炎を発症した場合、どうしても再発を考えなければならない。
心不全も腎不全もそうだ。
認知症を背景とした色々な問題も同様である。
それは入院中かもしれないし、退院後かもしれない。
だから、次起きたらどうするか、ということを話し合わなければならない。
救急車を呼ぶのか、かかりつけと相談するのか、訪問診療を導入してそこで話し合ってもらうのか、看取りを前提として環境を整えていくのか…。
そして可能であればそれをカルテに残して、診療情報提供書にも話し合いの結果を記載するのが望ましいだろう。
これは誤嚥のリスクもそうで、勿論訴訟の全文を読んだことはないのだが、特養でのパン誤嚥による訴訟も、診療情報提供書に
「2023年1月13日に本人、長男、看護師、主治医による病状説明を実施しました。嚥下検査の結果からも誤嚥を再発する可能性は非常に高く、それが窒息死につながることを伝えました。しかし高齢でありそれは寿命であると認識している、そのうえで食べたいものを食べたい。もし誤嚥したとしても入院はしたくない、施設でできる範囲の対応をしてもらえば十分である、と本人が希望しており、その希望を長男も尊重したいとおっしゃっていました。食形態の変更も提案し、実施しましたが、ご本人が食べたくない、とおっしゃり口もつけなかったため、現行の通りの食事としております」
と記載されていれば、裁判にはならなかったのではないかと推定する。
まあ、僕自身は医療裁判の経験はないのでわからないのだけど、予見される出来事(誤嚥)を伝え、その顛末(窒息死)と対応(施設内での対応)を本人、家族、看護師が確認していることは裁判において重要な情報になるように思う。
ところで不思議なのは、裁判を恐れる医師は自分が訴えられるリスクを減らそうとはするのだけど、他の人が訴えられるリスクを下げようとはしないことだ。
それはさておき
5.医療デバイスの装着・行動制限・安全確認のトレードオフを説明する。
認知症高齢者に複数のデバイス(点滴、経鼻胃管、心電図モニター、フットポンプなど)を装着すると自己抜去のリスクが生まれ、せん妄のリスクも高まる。そうなると行動制限が必要になるが、これは入院期間の延長に繋がるし、本人にとっては不快である。
一方で安全管理の面からすれば経鼻胃管は確実な内服を保証するし、心電図モニターは不整脈の早期発見をするなど医学的なメリットがある。
つまりこれらはトレードオフの関係にある。
6.治療の目的を確認し共有する
ざっくり言えば医療には症状緩和と生存期間延長、そして機能回復の3つの側面がある。
そして高齢者医療では症状緩和と生存期間延長が相反してしまうことがしばしばある。
そのため、どちらかを選ばなければならなくなった場合、どちら側で治療してほしいか、という希望を確認することが大切になる。
ここで症状緩和の方針を本人、家族が希望している場合、心肺停止時の蘇生処置の可否や気管挿管、CV挿入などと言った侵襲的治療についても、必要になったときはまず話し合いをしてから、実施するかを決めることが妥当だとわかるし、突然の話で驚かれることも少ないだろう。
さいごに
医学的なことはもちろん大事なのだけど、それより治療目標から逆算して治療計画を立てていくことがとりわけ高齢者医療では重要になる。
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