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サバイブ志向は変革を遅らせる
ちょうど15年ほど前だと思うのだけど、ツイッターが流行りだしたころだ。
意識高い系なんて言葉が生まれたりしていて、基本的にプログラミングと英語を学んで海外で働ける人材になって終わった国日本から脱出しよう、というのが30代くらいの人のスタンスとしてあった。
その変種としてpha氏などもいて、働かなくてもインターネットの恵みを使って生きていくことができるかもしれない、というものだった。
少し方向性は違うけれども、大槻ケンヂ氏の「サブカルで食う」も同様の方向性だ。
いずれも現状の日本社会に対する反発はあったが、それに対して真っ向から戦わずに、サバイブすることを目指していた。
これはその時代には確かに合理的に思えた。円高で社会保障負担も現代ほど大きくはなかったので、海外に脱出することでそこそこの暮らしを続けることができそうに思えたのだ。
一方、革命のビジョンを描いたのは村上龍の「希望の国のエクソダス」くらいだろうか。
それだってやや荒唐無稽なものだった。少なくとも、多くの人間を動員して政治活動をする、というまっとうなアイデアは全く現実的な者とは思えなかった。
所謂運動となると左翼色が強くなりすぎて、デヴィッド・グレーバーやスラヴォイ・ジジェクの運動は確かに関心は持ったけどそれが実際に何かを変えるようには思えなかった(し、結局はトランプがやってきて変えた)
結局のところ多くの人々が組織化されて具体的に活動することが大事だったわけだ。
そしてサバイブした人々の手記が少しずつ出てきて、確かに生き延びることには成功していたんだけど、それは新しい道を切り開くものではなかったようなんだ。
サバイブしようと思えば、どうしても踏ん張りがきかなくなる。
異議申し立てを本気ではできず、腰が引けて行うことになる。
さらに言えば、その発言を聞く側も、結局ずっとここにいるつもりじゃないんでしょ、とあまり真に受けたりもしない。
Z世代が真顔なのは、円安と手取りの少なさゆえに海外脱出という選択肢が最早現実的でなくなったからだろう。
ただ、今でもやっぱりリスク回避のために財産をオルカン・S&P500に投資している人々は少なからずいて、僕はそれが変革への胆力を減らすことを懸念している。
特に医師で投資やっている人で、国内株の投資を長期でやっている人、というのはネットでも現実でも殆どみたことがない。
たいていは米国株投資で、時にオルカンといったところだ。
リスク分散としては賢明だと思うし、特にそれを個人の選択として否定するつもりはない。
しかし、何かを変えようとするときの踏み込みは少し弱くなってしまうだろうな、とは思う。