社会保障制度改革は、第二次世界大戦への突入を止めるほど難しくはない
社会保障制度は、第二次世界大戦に突入した大日本帝国のように行きつくところまでいくしかないと悲観論を語る人がいる。
しかし、これほど違いすぎる状況もない。
表にまとめる。
実はできることは非常に多いし、その政治的リスクは小さい。
まず、対立が国内で完結しているし、現役世代も高齢者も日本が良い国であってほしい、という点で利害は共通している。
日本が滅びても良いから私の年金と医療を充実させてほしい、と表立って発言する高齢者は少数派だろう。
一方で、米国と軍事的対立をしてしまったら基本的には折れるかつっぱるかしかなかった。そして国民が交渉に携われる余地はなかった。
言論の自由も大きい。
日本が負けると発言すれば警察のお世話になった時代だ。政府の見解に異議を唱えることは、時に生命のリスクも覚悟しなければならなかった。
一方で、社会保障の負担が大きいとSNSや居酒屋で話しても、投獄されるリスクはない。
ABEMA Primeで2021年に高齢者の集団自決を提唱した成田悠輔氏も、仕事を失ってはいないし、SNSのアカウントも活動している。自由論の新訳にまえがきを寄稿しており、特に出版業界からキャンセルされたわけでもない。
国内の独立行政法人にも論文を投稿している。
戦時中に正しい情報を得るのは困難だった。データは改ざんされていた。
現代では保険組合や各種省庁、病院のホームページからデータを入手できる。また教科書にも社会保障の負担に関しては記述がある。
戦前の大日本帝国は普通選挙法により男性の選挙権はあったが、治安維持法により結社の自由は制限されていた。
一方で現代の日本は結社の自由が存在する。
戦前は限られた人しかマスコミを通じて意見表明ができなかったが、現代はインターネットに接続すればすべての人間が自分の意見を原理的には日本中に伝えることができる。
デモも可能だし、政治家や各省庁への意見表明も可能だ。マスメディアを通じて自分の意見を表明することもできる。CM枠は高額だけど、選挙演説としての意見表明は被選挙権があれば誰だって可能だ。
戦前においては日中戦争をはじめてしまっていたし、日中戦争をはじめた昭和12年からは軍事費の国家予算に占める割合が70%以上になっていた。
現在の日本は幸いにして、国家予算に占める社会保障費の割合は、30-40%程度だ。
また、国際社会からの信頼もあるので、国債発行の余地も一応ある。
政治活動の自由があって、声を上げることもできる。
次世代運動は実際に社会保障費削減を主張したデモをしているし、だからと言って投獄されることもない。
せいぜい、ABEMA TVで茂木健一郎氏に反論されるくらいだ。
日本維新の会も配信をしてた時に乗り込んで政治的主張をしてきた方がいたが、彼も怒ってはいたが暴力は振るわなかった。
とにかく、社会保障の削減を叫んでも、身体に危害が加わらないことは間違いがない。
そして僕は世代間対立というのは存外、社会保障費負担が大きく、削減すべきだ、という声を届け続けることで少しずつ解決するんじゃないかと思っている。
なんなら、次世代運動を通じてテレビCMや新聞広告、ラジオCMなどを出せれば、存外状況は変わってくるんじゃないかと考えている。