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46 学校や教室も、自分が大事にされていることが感じられるデザインだったらいいのにな。 

こんな一節がある。

手にとった瞬間、モノを通じて自分が大事にされていることが感じられるデザイン。
柳氏がアートセンタースクールで感じた心地悪さは、デザインが「人を幸せにする」という本来の目的を離れ、デザインのためのデザインという堂々めぐりに陥りはじめている、その無自覚性にあったのだと思う。
(引用終了)

授業も似ている。デザインのためのデザイン。子どもが透明人間になっている。いてもいなくても変わらないデザインになっている。学校や教室も、自分が大事にされていることが感じられるデザインであったらいいのにな。 

そう思っていたけれど、普通にちゃんと力がつく授業をすればいいんだろうな、本当は。でも、僕にはそれができない。果たしてどうすることが正解なのだろうか。