富士山の初ゆめ
元旦の夜に観る夢が初夢ですね
今この記事をアップしようとしているまさにこの時です
いち富士
に鷹
さん茄子
特に富士山の初夢は憧れですよね
残念ながらわたしは観たことはなくて、生前遭えなかった恩人に縁の深いおばあさんが若い頃に観たそうです
それも単に縁起がよいというだけでなくてとても深い意味を持っていました
恩人のココロが自然と胸に入ってくるようになったそうです
そのおばあさんは自分の観た富士山をこんな風に表現してくれました
「すり鉢をひっくり返したような見事な富士山だった」
わたしの街にはとても神聖な神々さまの山ともお阿弥陀さまの化身とも呼ばれる山やまがおわします
恩人も恩人に縁の深いおばあさんもずっとわたしたちの街に暮らしてきてその山やまを畏敬もしていましたので、仮にゆめに観るとしてもわたしたちの山やまかとおもったのですけれども
富士山であったのです
そうしてわたしは今にしてようやくわかったのですけれども
富士山は日本一の山であるだけでなくて日本が日本であるための、わたしたちが想像するのをはるかに超えた見当の取れないほど力あり重要なお山だろうということをです
そうすると恩人が一体何者であったかということや
恩人に縁の深いおばあさんがわたしに今まで参っておいで、と促してくれた神社仏閣が見事なまでにつながってくるんです
熊野大社 那智のお滝
こんぴらさん
鞍馬山の護法魔王さま
それからわたしがうつ病で苦しくて苦しくて這うようにして参拝させていただいた神社も
護国神社
お伊勢様の遥拝所がおわす神社
柞原八幡宮
一社、こんぴらさんに詣でた後に予讃線に乗って小高い山が観えてきて途中下車して参拝させていただいた神社をわたしははっきりとは覚えていないのですけれども、推定する限りはそちらもおそらく
だからどうしたとお思いになられるのはよくわかります
偶然だろうと
あるいはこじつけだろうと
よくこんなことが言われます
お伊勢様には呼ばれたひとしか参れない
わたしはそうは思いません
神様は依枯をなさいません
お伊勢参りできた方は行こうと思ってそれを神様はお拒みになられないから行けたということです
わたしの場合はさらに明確です
わたしは恩人に縁の深いおばあさんから「指示」されたんです
つまり富士山の夢を観た時から恩人のココロが自然と入ってくるようになった恩人に縁の深いおばあさんの指示であるということは、恩人が直接わたしに指示したということです
唐突ですが、わたしが書いている小説は恩人のココロによる自動筆記としか考えられません
それはいわゆる霊現象てきな、ある著名な小説家の方が『こっくりさん』というような言い方をしておられたようですが、そういう神がかり的なものではありません
そういう曲芸的なあたかも神がかり的なものではなく
表面からはわからない、肚の底に伝わってきてまるで自然に鎮まるようなそういうホンモノの自動筆記と思います
これも唐突ですが、今わたしが応募原稿をすでに電子データで渡してある小説新人賞の審査員の方が、「書くあなたが凄いんじゃなくて小説が凄いんだ、ということを言いたい」というようなコメントをしておられました
そのとおりと思います
わたしがすごいのではなく
わたしの肚に鎮まって「書けよ」とわたしのココロに溶け込んで あたかもわたしの思考によってタイピングしているようなホンモノの自動筆記です
書いている最中は仕事や介護がありましたので細切れにしかかけませんでしたが、平均したら1万字/hぐらいのスピードでタイピングしていたと思います
わたしは富士山の夢がみたいと恩人に縁の深いおばあさんにその話を聴いた時からずっと思っていました
まだ観ることはできません
代わりにどうしてかこの絵をSNS用の年賀状としてツイッターやインスタに投稿しました
護国神社で撮らせていただいた、屋根からの雪が小さなお山と積もったその写真をAIに取り込んでそれを元に描かれた絵です
わたしは観れないかもしれませんが
もしこの絵と元の写真をご覧になって、令和五年の元旦の夜に、すり鉢をひっくり返したような見事な富士山の初ゆめを観る方がおられたら
まこと目出度いことでございます
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