介護ハイウェイ①
⚡ハイウェイを駆け抜けるワナビ
ワナビというのがわたしの一番しっくりくる属性なのだろうと思います。
ではなぜにハイウェイなのか?
別にハイになってウェイウェイやるような陽キャではありませんので純粋に高速道路のことです。
高速道路をなぜに走るのか。
その道が東都へと続いているからです。
⚡⚡東都を目指すワナビ
もともと前職では東の都たる東京に住んでいましたので懐かしさはあれど憧れというものではなく純粋に雑事のために参るのです。
実家の両親の介護に関して。
兄夫婦は東京在住で諸般の事情により実家にほとんど帰省することがありません。ほとんど、と書きましたけれどもまさしく10年に一度という天体ショーレベルの頻度で、義姉に至ってはこれで約20年遭っていません。
その遭遇困難な兄と義姉に両親の現状を実際に見せるために上京いたします。
目にもの見せるぞ見せさすぞ!という気分がわたしの側で勝手に盛り上がっております。
⚡⚡⚡艱難辛苦するワナビ
そもそも文法が違うだろうとおっしゃりたいお気持ちも分かります。
艱難辛苦を経るとか艱難辛苦に遭うとかいうのが正しい用法であって『艱難辛苦する』とは何事かと。
けれどもこれはワナビたるわたしの座右の銘でありわたしの人生の宿命であるとも思っております。
『我が執筆は艱難辛苦を旨とす』
これがわたしの執筆にあたっての座右の銘であることは下記記事をご参照ください。
あなたのココロに緑の綺麗な地平線が観える|naka-motoo|note
この素晴らしい歴史作家である先人の言葉を肚に据えてワナビ活動を行うわたしにとって、艱難辛苦は受動的に経験するものでも偶発的に遭遇するものでもなく自ら虫けらが飛んで火に入るようにその身を晒し実行するものなのです。おそらく飛んで火に入る夏の虫はこの場合の例示としてまったく的外れでしょうけれども。
ともかくも「来い!」「嫌だ!」「来い!」「嫌だ!」「なら行く」という風になったのであって、このワナビたるわたしは実際の現実世界の人生においてもわたしの小説の主人公たちに勝るとも劣らぬピンチと窮地と死地へと突っ込まなくてはならないのです!(ピンチ・窮地・死地では同義の強度の差でしかなく必死はかわらず。ああむ)
⚡⚡⚡⚡完徹ハイウェイ・ゴー・ゴ・ゴー
別に徹夜で運転して向かうわけではないのですけれども、このサブタイトルになみなみならぬ激情を込めつつ、わたしはわたしの小説の主人公たる18歳のスカジョ3年生女子である『ロック』が廃車寸前のバンを疾駆して東京へとハイウェイを激走するそのシーンにあこがれるのです。
お時間ある方はぜひ下記リンクからそのエピソードだけでもお読みくださいね(宣伝も欠かさぬ水も漏らさぬワナビ)
「あなたの道を走れ、廃車寸前のバンで」第26話 完徹ハイウェイ・ゴー・ゴ・ゴー
ああところがそれなのに
ああなんとまたまあ
⚡⚡⚡⚡⚡さよならだけが人生だ
別に両親の身に何かあったわけではありません。
このご時世ですので両親が利用しているデイサービス等の施設に濃厚接触の狭間のような微妙な状況が生じてきたわけです(非常にセンシティブな情報ですので詳細は割愛させてください)
消去法というか必然的に選択肢の余地が狭まった結果、差し当たり介護の度合いも低い父親のみを車に乗せ、兄夫婦と面と向かわせてわが実家の行く末と命運とを当事者たちで合議し互いの肚の内を臓物を晒す切腹のごとき熱き想いで語り合い怒鳴りあいして決着をつけてもらおうということにいたしました。母親は濃厚接触の狭間の微妙な状況の渦中にないショートステイに預け、雪の降る前に出発することといたしました(近年、東京においても降雪・積雪すらあることをご想像ください)
ただ、母親の年齢を考慮した場合、この機会を逃すことは母親と義姉はもはや生きている内にまみえることはかなわないでしょう。
それも人生です。
いざ征かん(逝かん)戦いの地へ!
介護は戦いです!・・・よね。
扶養義務者同士の戦いです!・・・よね。
扶養義務者同士だけでなく、被介護者と介護者との戦いです!・・・よね。
ともかくも「来い」「嫌だ」「来い」「嫌だ」を喧々諤々と繰り返してきた両者が相まみえるのですからただで済むわけがないでしょう。
わたしの立場からすれば
「貴殿に分は一分も無し!一厘といえども貴殿に理、無ぁし!」
という気合で臨めば
「我らの境遇は必然なり!やむなき苦渋の決断なり!」
と兄夫婦は防戦するでしょう。
攻防も善悪も陽キャ陰キャも混然一体となってドロドロのこおろこおろに地の初めのごとく善き喜(うれ)しき解を!
結果は次回「介護ハイウェイ②」を楽しみにお待ちください!
ちなみに『ゴー・ゴ・ゴー』のサブタイトルはエレカシの名曲「まぬけなJohnny」の衝撃のコーラスからヒントを得ました🎸