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no.17 着想 ― コネクト、コントリビュート、クリエイト

クリティカルコアを発見し、正しい決定に到達するための、計算されたステップがある。次に紹介しよう。
 
テーマを定義する基準(テーマを満たすための条件)のマトリックスを使用し、ステップを積み重ね、それらを順位付けして着想を得るという方法で、その着想を評価する一定のシステムとともに成り立っている。
これは企業でよく使われる方法だ。 新製品を開発したり、困難な状況に対処するための適切な戦術を開発したりするなど、ビジネスにおいて、人々が、正しい決定に関する合意を作成するためにも役立つ。
 
わたしはこのやり方を、日本の古事「忠臣蔵」を使って大石内蔵助の着想を追いながら説明することにする。
「事実は小説より奇なり」とよく言われるが、日本の芸能・文芸作品を生み出す宝庫である忠臣蔵の史実は、小説、演劇(歌舞伎など)やオペラ、映画など様々なメディアで取り上げられている。
大石良雄のアイディア創造のステップを学び、事業組織の責任者に近い彼の立場に身を置いて考えてみよう。そのプロセスからもう一つの着想の方法を学べるはずだ。

江戸時代(1603~1868年)、幕府と朝廷の間では新年の挨拶を交わす習慣があった。

年の初めに、幕府側の使者として、将軍に代わって高家の者が上洛し、天皇に挨拶し、贈物を献上する。
この格式高い高家は儀式の細部にまで精通しており、禄高は5,000石を超えなかったものの、1万石以上の大名よりも官位は高かった。彼らは、宮廷手続きの専門家であった。高貴な家と呼ばれており、武士の歴史に名を残す名門であった。

幕府から献上物があったあと、朝廷は3月に江戸に奉納使(幕府への感謝を伝える役職)を送り、答礼を行った。
これらの慣習により、1701年(元禄14年)3月、東山天皇の勅使が江戸に到着する。
この年、広島の浅野家の支流である5万石の大名であった赤穂藩主浅野長矩は、この勅使の接待を担当した。

行事の3日目、3月14日、浅野(内匠頭)長矩は、高家を代表して同じくこの行事を担当した高家当主の吉良(上野介)善央に斬りかかった。
江戸城の有名な松の廊下(城で最も広く、最も長い畳の廊下)で起こったのだ。その原因として、広く知られているのは、吉良が浅野に勅使を饗応するやり方の詳細を教える立場にあったのにもかかわらず、教わる側の浅野が吉良に賄賂を贈らなかったため浅野を適切に指導せず、浅野をいじめたから
だといわれている。 (この時代、贈収賄はごく普通のことだった。) 吉良は、こういった場で準備し、行わねばならないことに関する多くの情報を出し惜しみし、浅野に恥をかかせた。それに対する浅野の恨みから事件が起きたという。

(㉗)

これは浅野のヒステリックな性格によるものでもあると、いくつかの記述では指摘されている。吉良の皮肉な性格が浅野を苛立たせ、吉良の挑発に対する、浅野の素朴で率直な反応だったといわれる。
元禄時代(この事件が起こった江戸時代)は金が物を言う時代であり、賄賂が当たり前の時代だった。そして、将軍名代気分の強い吉良長老が、若い理想主義者の浅野を軽視し、馬鹿にしたのも事実だったのだろう。

当時、そのようないじめによって引き起こされた暴力(いじめは武士の場合、やむを得ないけんかの原因と定義されていた)は、暴力を行った人も受けた人も責任を負わなければならなかった。つまり、両者を処罰する<喧嘩両成敗の原則>が武家社会の掟だった。

しかし、将軍綱吉は天皇の使者を接待する重要な日に江戸城で流血事件が起きたことに激怒し、浅野に切腹を命じた。
吉良は額と背中に切り傷を負ったが、軽傷だった。そして<喧嘩両成敗の原則>に反して、何の罪も無く生き延びた。
これが有名な忠臣蔵事件の発端となった。

当時江戸にいた浅野の妻阿久里は、もちろんショックを受けた。そして夫の切腹の後、髪をおろして瑤泉院と改名した。
当時江戸にいた安井と藤井の二人の家老をさしおき、彼女は大石(在赤穂の家老)がどう反応するかを気にしていた。「私は何をすべきか? 大石はどう思っているだろう?」彼女は大石の助言に頼っていた。

大石は書画など芸術に造詣深く、歌や踊りも得意で遊郭で遊ぶこともあった頭の良い人だった。一方で、8歳から16歳までの成長期には、著名な学者である山鹿素行から儒学や兵学を直接教わった経験もあった。
この山鹿素行はしばらく赤穂城に滞在し、赤穂藩士を教育した。そのためもあって赤穂藩全体が、質実剛健な気質をもっており、赤穂の武士たちは、戦国時代の精神を尊重し、武士としての生き方を大切にしていたのである。

こういった歴史的出来事、そこに登場した人々のストーリーをこのテキストで取り上げる意味は何だろう?あなたは疑問に思うかもしれない。それは、この事件に対する大石の反応と考え方を要約したストーリーから彼の意思決定の方法、コネクト、貢献、クリエイトを学ぶことができるからだ。この物語には、クリティカルコア発見のヒントもあるのだ。

事件の直後、早打ちの使者が江戸を発ち、赤穂藩に事件を知らせた。当時藩主の切腹であれば、幕府からの城地召し上げ命令により、この藩がほぼ100%、滅亡するのは必至だった。

このニュースは赤穂に数日で届いた。大石は日常業務でも地味で目立たず「昼行燈」と呼ばれるほどだったが、主君は切腹を余儀なくされ、今や赤穂藩のトップは大石。
300人近くの男性と女性が城で働いており、薬師、その他の城のヘルパーを合わせると、500人以上の人々がすぐに生計を失う可能性が高い。

思いもかけず大石はこの危機に対処するための最高経営責任者になった。

彼はまた、この危機のために彼自身の将来の見通しを失い、完全な暗闇の中で一人ぼっちにされたように見えた。彼は混乱したに違いない。なお悪いことに、彼は、この藩の500人以上の人々の未来が彼の決定にかかっていることを理解せざるを得なかったのである。

彼は、自分にこの状況を解決する責任があることを認識し、それを解決するために、まずこの複雑な問題の問題点を整理した。

コネクト <テーマの設定、テーマを補完するために必要な条件の抽出>

①    私(大石)は赤穂藩の責任者である筆頭家老。問題から逃げずに、すべてを踏まえて正しい判断をしたい。 (テーマ:危機における正しい判断と実行)
②    テーマに対して達成したいことと回避したいことを明確にする。
A.     領民の生活を守る:赤穂に住む人々、主に農業、漁業、製塩、小さな商売を営む商人を含む。領民の不安を取り除く必要がある。
B.     藩士の再仕官
C.     自分の家族を守る
D.    浅野家の名誉を傷つけず、浅野家を再建(お家再興)する
E.     将来のために有意義な目標を持ちたい。
F.     吉良の処分について社会に正義を求める
G.    武士の面目を保ちたい
H.    私の危機への対応について世間から受け入れてもらいたい
I.      赤穂藩内での乱闘は避ける/家臣団をバラバラにしたくない。
J.      封建社会での赤穂藩家老として法的役割を果たす
 
ただし、このリストだけでは、次に必要なアクションを明確に決定することはできない。

③    次に、大石はリストを見て、それぞれのアジェンダを再考し、なぜそれを達成したいのかを考えた。
a.     個人的な楽しみ。大石自身の幸せを見つけたい (E,G,H )
b.     家長としての大石の責任を果たすための発想(C)
c.     リーダーとして組織の執行、家老として次の行動の目的を定める(A,B,D,F,I)
d.     発想は日本の法、社会正義に沿っている必要がある (F, G, J)
 
こうして、処理する必要がある問題全体の要素が少し明確になった。
 
彼はそれを解決するために自我を無にしようとした。藩の最高責任者は、自分のことを優先すべきではない、また、権威ある立場:将軍側に立つべきでもない。今最悪の状況にある浅野(赤穂)家のために働くべきだ。
今、浅野家のために全能力を尽くさなければ武士としての価値はない。それができるのは自分だけだ。私は自分の立場を神に感謝し、この問題の理想的な執行者になるよう自分自身を励ます必要がある。
 
④    ここで大石氏は「深刻な危機に瀕する法人赤穂藩の正義を実現するための決断」をテーマに掲げた。
 
⑤    そして次に彼は、この決定が満たすべき必要条件を整理することを考えた。
 
領民(赤穂の人々)の生活を守り、不安を取り除く(A)となると、まず最初にすべき議題は藩札である。
藩札は、赤穂藩が発行する通貨。藩札は赤穂領内のみで流通しており、藩が断絶すれば無価値となる。そのため、大石は藩の責任者として、藩札を藩庫の限られた資金を活用して全国に流通できる通貨に交換する必要がある。この経済問題を公正かつ迅速に処理しなければ、赤穂領全体が経済危機に陥るだろう。
 
また藩士が、将軍に代わって城明け渡しに来る使者と戦えば、領地全体が戦場となり、人々の命を脅かす危険性がある。したがって、これも避ける必要がある。
 
家臣団(B)の再雇用に関しては、お家が再興されれば、藩地の規模が縮小されても、一部の藩士はそこで働くことができるかもしれない。
 
赤穂の藩士全員に金を分配し、彼らがなんとか生き残ることができるようにすることが重要だ。資金調達には、米造りや赤穂藩の製塩業の余剰資金を活用することも考えた。これらに未払いの年貢の徴収、江戸屋敷からの送金が加えられる。
 
浅野家の名誉(D)に関しては、家を再興し、吉良の責任を明らかにして同等の処罰を求めるのが最善だ。ただ、それに加えて、浅野家ゆかりの寺に永代祭礼料を寄付する必要がある。そうすれば家が取り潰されても家族は安心できる。
 
浅野家の名誉にとって本当に重要な要素は吉良だ。吉良は、武士世界の法則「喧嘩両成敗」に従って罰せられなければならない。吉良が咎められないなら、どんなにその裁きが正式であっても赤穂藩としては認められない。家臣の多くは吉良の処分を要求している。 (F) 吉良が無事に生きているという知らせが藩に届いた後、籠城、抗議の集団自決、吉良の暗殺など様々な意見が藩内で入り乱れ、喧嘩が多発した。
しかし、大石はここでまとまりのない状態で事にあたるのは好ましくないと考えた。
 
我が一族も藩の一員であることは間違いないので、その将来を守ることは重要だろう。 (c)
侍の誉れ(G)については、籠城を主張する者のような死の美意識も個人としては魅力を感じたが、しかし、自尊心は最後まで秘しておく必要があるだろう。
 
この段階で、彼は個人的な興味 (E,H) に基づく発想を放棄し、これら条件のリストをもう一度確認して、次の表を完成させた。

・(ここでは、次の計量的意思決定につなげるために、各基準の重要度に応じて重み付けを行った。その中で、絶対条件は、意思決定の選択に必要な最低条件とした。)


貢献/アイディア開発

次に、テーマに対する実際的かつ実現可能なアクションのリストを考える。ここまでで表面化した藩士たちの意図は、大きく4つに分類できる。
 
一つ目は無条件開城・恭順。つまり、幕府の命令と法律に従うということ。我が主が切腹を余儀なくされたのは残念だが、法を犯したのには違いないので仕方がない。また、浅野家お家取り潰しは幕府の命令である限り従うべきである。
 
2つ目は、籠城し、最後の一人まで戦うこと。公正さを欠いた幕府の決定は、抗議されるべきだ。そして、武士の名誉に固執し、城の明け渡しをせまる軍と戦う。
 
三つ目は殉死。不当な要求に抗議する自己主張。 (ただし、殉死は法律で禁止されている。)
 
四つ目は吉良の暗殺。家臣は藩主に命を捧げるべきだという考え。この場合、吉良を殺せなかった藩主の意志に沿うべきであり、したがって、吉良はできるだけ早く殺害されるべきである.
 
ここで大石は家老としての貢献案を整理し、別の案、第五案を立てた。この考え方の背景は次のとおりである。 (基準の設定と基準に与えられたポイントの重みが、彼がこの5番目のアイディアに到達するのに役立った。)
藩士のことを第一に考え、将来を見据えて、浅野家を再興し、そして藩主の恥を雪ぐことが何よりも重要。これを認めるようにとの幕府への継続的な請願が、最も重要だ。地を這うような努力の必要があっても、最善を尽くす。家の再興と吉良の処罰がどうにもならないことがはっきりしたとき、初めて吉良を倒すべきだという考えが浮かび上がった。つまり、5つ目の案は、嘆願、そしてそれが不首尾であることが明らかになった時点で吉良を叩くというものだ。
 
では、計量的意思決定のシステムに従って、これら5つの提案を評価してみよう。次ページの表を参照してほしい。



ここでは設定された絶対条件と相対条件を5つのアイディアのそれぞれがどのように満たしているかをチェックする。 3つの絶対条件を満たさない提案は、最初の段階で却下される。
 
相対条件については、各提案が相対条件をどの程度満たしているかを考慮し、0点から10点までの点数を評価点とする。
次に、重要度点と評価点を掛け合わせる。
この乗算は右側の列に入力、最後に、これらのポイントが各列毎に加算される。

実行アイディアの創出・選定とクリティカルコアの発見

ご覧のとおり、ここでの5番目のアイディアは、相対基準で圧倒的に高いスコアを達成し、絶対要件も満たしている。
このように、各案を比較し、最終決定の策定はこの第5案の適用が基礎となる。
では、ここでのクリティカルコアは実際何だっただろう?

その過程で、大石は「遅かれ早かれ、この事業のために私の命は失われなければならない」ことに気付く。

「命がけ」という言葉があるが、幕府に嘆願しても、自我を一切捨ててやらないと成立しない。
また、吉良を攻撃することになってしまった場合、最後には間違いなく命はない。
この第五案に賛同する者も、最後は命を落とすことを覚悟して臨む必要がある。
この決定を実行するために人を募集する場合でも、彼らはこの事実を認識している必要があるため、
チームメイトを慎重に選択しないと、このベンチャーは達成できない。

このクリティカルコアの発見により、大石は(300人の藩士から)100人弱の仲間を選抜することに
なった。長い準備期間の中でこの100人から脱落したメンバーも静かに許し、計画を実行に移した。

元禄の世、安全な江戸の地で、浅野家の名誉を守るという目的を達成し、吉良を始末した。実際、江戸の人々は、このベンチャーの価値を理解して、敵討ちが行われることを望んでいたが、実際にそれが可能になるとは思っていなかった。大石は47人のメンバーからなる実行組織を作り、チームを維持し、綿密に計画された素晴らしいプログラムで彼らを導いた。


このアクション プラン (実行戦略) を構築するプロセスは、このテキストの後半で紹介する。




参考文献

㉗: 「47: The True Story of the Vendetta of the 47 Ronin from Akô」トーマス・ハーパー著

(リーツアイランドブックス)