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熱帯に来ぬ

昭和11年3月4日。箱根丸で欧州へ向かう途中だった高浜虚子は、シンガポール停泊時にジョホールバルを訪れています。同じ船に乗っていた横光利一と一緒に、アブバカールモスク、スナイのゴム園、マムディアの王墓などを巡り、そこで一句。

熱帯に來ぬジョホールも一見す

スナイのゴム園は、シンガポールまで船中で一緒だった奥田支配人が案内したとのこと。鰐を見たことが虚子の「渡仏日記」にも横光利一の「欧州紀行」にも書かれており、印象に残ったようです。シンガポールの在留邦人との句会にて、虚子が撰さる横光利一の二句はこちら。

水牛の車入りけり仏桑華(ブッソウゲ=ハイビスカス)
鰐怒る上には紅の花鬘

ちなみに。杉田久女の箱根丸事件とは、この渡欧時の見送りのことでした。
横浜から乗船した虚子の門司での停泊時。面会できない久女たちを気の毒に思った横光利一は(=門司から乗船)短冊を書いて渡してあげたそうです。

横光利一の渡欧は、ベルリンオリンピックの取材です。「大阪毎日」(および子会社である「東京日日」)の特派員として派遣されました。選手団は往路は陸路だったようですが、復路は何グループかに分かれてシンガポールへ寄港しています。前畑秀子選手は鹿島丸。シンガポールで交流試合や懇親会に出られた写真は残っていますが、ジョホールまで足を延ばされたかどうかは不明。田畑監督や松沢コーチが乗った靖国丸のご一行は、自動車15台を連ねてジョホール見学をされたそうです。

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