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プラナカンを考える
「プラナカン」
この言葉を、私はシンガポールのツアーガイドから初めて聞いた。
プラナカンとは?
Peranakan(プラナカン) とは、マレー語で 「地元で生まれた子供」 という意味を持つ言葉。
15世紀から19世紀にかけて、中国大陸からマレー半島に渡り、財を築いた ストレーツ・チャイニーズ(南洋華人) の人々のことを指す。
彼らは地元のマレー人女性と結婚し、子孫を繁栄させていった。
富を守るための結婚 💰💍
熱血ツアーガイド・ワイマンさんの話によると、
中国人は財を築く際、 まず土地を購入 するという。
私はこの話にすごく驚いた。
でも謎が解けたようだった。世界中のチャイナタウンの由来を見たようなだった。
話を戻すと、その土地を元手に商売を始めるが、海外へ進出したり、中国へ帰国する者も多かった。
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しかし、せっかく築いた財産を守り続けるためには 信頼できる現地の人とつながることが不可欠 だった。
そのため、地元のマレー人女性と結婚し、土地や財産を維持してもらう戦略を取ったのだという。
一人の人生を左右する大きな決断である 「結婚」 が、 富や財産を守るための手段 だったとは…。
現実的でドライな考え方だが、当時は 国の制度も整っておらず、お金だけが頼り だったのだろう。
しかし、ここまで徹底する姿勢には、思わず 「あっぱれ!」 と感じてしまう。
この中華系の価値観こそが、世界中どこに行っても チャイナタウンが存在する理由 につながっているのだろう。
シンガポールの成り立ち 🦁🌍
シンガポールという国名は、「ライオンの街」 を意味する インドの古語でsるサンスクリット語 に由来する。
これは、シンガポールの伝説的な建国者である サン・ニラ・ウタマ(Sang Nila Utama) によるものだとされている。
サン・ニラ・ウタマは パレンバン(現在のインドネシア・スマトラ島)の王子 であり、
1299年にシンガポール(当時は テマセク)を発見し、都市を築いたとされている。
彼は狩猟中に 赤い体と黒い頭、白い胸を持つ奇妙な動物 を目撃し、これを ライオン だと考えたことから、島を 「シンガプーラ(サンスクリット語で『ライオンの都市』)」 と名付けたのだという。
こうして、シンガポールはその名の由来を持つことになった。
プラナカンのエリート社会 📚🏦
イギリス統治時代、プラナカンの人々は エリート層 として認識されていた。
彼らは 教育の重要性を強く認識 しており、
子供たちは金融・医療・法律など 専門職に就くことが多かった という。
例えば、今回のツアーガイド ワイマンさん の祖父は 中国本土から渡ってきた鍼灸師 だった。
そして孫のワイマンさん自身は、シンガポールの有名大学で 経済とマーケティングの教授 を務めていたほどのエリート✨。
知識と努力を重んじるプラナカンの価値観が、現代のシンガポール社会にも受け継がれているのだろう。
プラナカン博物館 🏛️🎭
シンガポールには 「プラナカン博物館」 という施設がある。
この博物館は 当時の建物をそのまま利用 しており、建築様式は アジアとヨーロッパの融合 である プラナカン建築。
もともとは 福建省出身の中国人のための学校 だったそう。
館内では、プラナカンの 歴史・暮らし・服飾・食文化 などがテーマごとに展示されている。
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特に 家族写真 を見ると、ほとんどが 中華系に見える。
プラナカン文化が 「華僑文化」と深く結びついていること を実感させられた。
そして改めて、世界中どこへ行っても チャイナパワーの強さ を感じるのであった…💡✨。