見出し画像

人が好きだけど会話が苦手な人

会話が苦手な人、いるだろうか?
喋れないって訳ではないけど、喋りたくない訳でもないけど、苦手な人。

私の場合、文章の読み書きは好きだ。
考えるのも好きだ。脳内はいつもぐるぐるなんらかの思考が渦巻いている。

対して、会話における言葉数は、あまり多くはない。
家族3人において、喋る量はだいたい、5:4:1。ちなみに1が私。

人は好きだ。会話も好きといえば好きなのだ。
ただ言葉にするテンポがちょっと遅いだけ。

昔、「あなたと話していると疲れる」と言われて、とてもショックだった。
ちょっと変わった視点でものを言うために、結構な頻度で話の流れをぶった切ってしまうからかもしれない。

面白いね、って笑ってくれる人もいた。
でも「疲れる」との評価が気になって仕方なくなった。
それから、極力空気を壊さないように、極力人に合わせ、顔色を伺って話をするように気をつけた。
それを10年以上続けた。

結論、しんどかった。
元来の遅めのテンポの言語化を、周囲に合わせて無理やり早めたことで、発言の中身が薄っぺらくなった。
周囲に流れに合わせて無理やり笑うことで、逆にうまく笑えなくなった。
人と一緒にいるだけで、勝手に消耗して、誰にも会いたくなくなった。

それで一度折れて、ボーっと休んで、ゆっくり回復した。
まず健康を見直した。心の健康の土台は身体の健康から。食べ物に気をつけ、夜ふかしもしなくなった。

大切なのは心身のリラックスだと分かってきた。
誰かといるとき、いつもいつも緊張していた。それを悟られないように気を張ってきた。

まずは、今の自分の状態や特性を、そんなもんだよなと認めることからだ。
そんな感じで余裕が生まれたとき、はじめて周囲が見えてくる。案外、みんなもいろいろなことで悩んでいるものだ。

そう気付いたのはいいけれど、恥ずかしながらちゃんとした会話はご無沙汰だった。
一度折れたときに、大半の人間関係を切ってしまっていた。しがらみなく休んで、自分と向き合うために。

さらに、コロナでもともと少ない交流がさらに少なくなった。
そこで勇気を出してオンライン交流したりして、よみがえるトラウマに落ち込んだり、でも楽しんだりした。やっぱり人とともにあるのは楽しい。

ふと、気軽に会話の練習ができる場がないかな、と探した。
話すのが上手くなるためのセミナーや、趣味の発表会、といった情報を見つけたが、なんかそういうのじゃないなぁ、と感じた。

求めていたのは、会話技術や発言力じゃなくて、「リラックスして素直でいられる場」なのだと感じた。
ある意味、会話は二の次なのかもしれない。

「リラックスして素直でいる」ことにも、練習できる場があったっていいでしょう、と思った。
そうしていればきっと、話したいことは、言葉は自然と出てくる。

そういう場を、小さな窓口を、作ろうかなと思った。
不器用だからこそ分かる、そういうことにちょっと悩んでいる人へ。
ただそこに居るだけでも良い、小さな喫茶店みたいなイメージがいいなあ。




いいなと思ったら応援しよう!