080824 怒髪天で毛がボッ🔥とならないように
朝、目が覚めてしみじみと、自分は自分が知覚している以上の怒りを内蔵しているんだなあとおもった。
この手に余る扱いにくい怒りを成仏せねば、ととりあえず身体を縦にする。
前からずっと知っていたんだけど、でもそれよりもっと熱く激しくマグマのような怒りが心のどこかにふつふつしているみたいで、噴火の機会を伺っているような気がする。
すでにいくつか大小の物理的な噴火を繰り返し、やっときょう、それを相手のせいにせず自分のこととして軽く認知できた感じがする。
問題は相手にもあるわけなんだけど、それに対する怒りの度合いやその表現が今度は自分の問題になるのかもしれない。
いろいろなことにものすごい憎しみを持っているんではないかと、もちろん、そんな自分は嫌なんだけど、でも冷静に客観的に見て、そうなんではないかとおもう。
何に対して怒っているのかといえば、ほとんど全てのことに対して怒っているのかもしれない。
でも最大の怒りは自分に対してなのかもしれない。
ふしぎなことに、自分はしあわせなのにね。
たぶん、過去の自分の人生のなかで今が一番しあわせな状況なのに、怒りの感情はもしかしたら今が一番複雑なのかもしれない。
生きてきた分の怒りが蓄積してる。
その都度その都度発散させ、解決してきたはずなんだけど、それでもまだダメだったか…という…。
ならば、これからはその積年の怒りを、清い水に晒すみたいにして流すことがわたしの課題だな。
2024年の後半は怒りを手放すことに気を配ってみよう。
怒りは不快でありながらもある種の快感と結びつくので、それをあきらめよう。
怒りを内蔵することは、今やもう心を内蔵することと同じくらい自然で、出動の声がかかるのを待って牙を研いで目を光らせている、飼い慣らされた猛獣みたいな感じだな。
わたしは怒りの感情を違うふうに昇華したい。
怒りみたいなものは割と炭鉱のカナリアであったりするから、必要なときは使いたい。
ただ、怒りの扱いに気をつける。
具体的にどうするかといえば、あの6秒メソッドは全然効かないので却下、理詰め大好きなシャキーンとした頭脳に休んでもらうことが一番かもしれない。
阿呆になろう。
まずは運動だよな、やっぱり。
ボクシングを再開するか(自分には意外にも暴力性があるので、その解放)、全然未知のスポーツを試す。
あとはカウンセリングにも行くかもしれない。
できればカップルカウンセリングがいいかもしれない。
わたしは根本的に男を信用していないという矛盾の持ち主なので、そこ、どうにかしないと。
アートセラピーみたいなのもいいかもね。
何か新しいことに脳を占領させて、古い蓄積を除去したい。
これを書き終えたいま、たぶん、もう半分ぐらいは成仏したかもしれないね。
なかなか抜けないとおもえば、それは抜けないよな。
抜けられます。
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