190724 修行の身
月日があっという間に経ってしまい、ついていけなくてあせる。
仕事をしていないのに、いや、特に何もしていないのに、のんきにしているのに、あっという間に1か月が過ぎてしまった。
それが誰かと常に一緒にいる魔法かもしれない。
ひとりだと時間はもっとゆっくりなのに。
自分のことを考えていたんだけど、なんとなく、もっとしあわせになれる、もっと和めるし、もっと波長が心地よく、やわらかい、温かい、やさしい、永遠にそんな感じの領域って自分にもあるだろうなとおもった。
ゆ氏は18歳みたいなトシで結婚したんだけど、そのとき若すぎて結婚相手とのトシの差とかで、ゆ氏はよく結婚相手のひとから指摘を受けていたようだった。
素直なひとなので、いろいろ受け入れて、がんばってたんだな。
傍目にもそれはわかった。
そういうカタチのふたりかとおもってたら、そうじゃなかったんだよな。
あるとき離婚したみたいで、ゆ氏はもうおとなの年だった。
それでゆ氏がいうには、まったく指摘をしない、放置してくれる、摩擦のない関係のひとっていうのがいて、暮らしながらその事実にびっくりした、楽だなーと。
へえ、相性の問題かー、やっぱりそういうの大切かもね、ってそのときおもった。
そうかとおもえば、
誰と一緒になっても自分次第で結局は同じなんではないかともおもったりする。
そんなに相性のぴったりのひとには出逢えない気もするし、出逢えたらすごい、でも、やっぱり難しいっていうのがわたしの人生の雑感、🍂はぴったりではない、でも、現れたんだぜ、目の前に!誰か現れないかなって願っていたら、ちょうどいい感じの。
ずうううううっと願っていたようにおもう。
わたしよ、賢く、愚かしく、素直に、自分をまず愛し、次に隣人を愛せよ。
このおまんじゅう屋さんの、彼との日々がしあわせいっぱい、80年台の少女マンガのようでわたしは少したじろいだ。
リレーションシップのネガティブな面がよくツイッタでは目に触れるけど、おまんじゅう屋さんはそうじゃないってことを書きたいって前に書いてた。
わたしは🍂と一緒にいるとき、まじで嫌な女って自分で自分におもうときがある。
完全に素が出ている。
正義を振りかざす傾向と武士っぽい潔癖さ(?)(例の「武士に二言はない」みたいな)が出てくるので気をつけたい。
そんな自分は滅多に出てこないのに、🍂といると出てくる。
出せるひとに出逢えてよかったけど、出すのはやめたい。
また🍂もわたしにだけ見せる面があって、それが可愛いときとムカつくときとがあるので、ムカつくときに自分がどうにかしないとダメだとおもう。
世の中には修行をしなければならないリレーションシップと、授受がうまくいっているリレーションシップが存在する。
わたしは修行中だ。
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