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行く道

わたしはよく今とは全然違う境遇の自分を想像する。
田舎で自給自足っぽい生活をしている自分を思い描く。
実際には田舎に住んだことすらないんだが……。
英国の田舎か、英国がEUから離脱しないという奇跡が起きるならば、どこかEU圏の田舎に家を買うなり借りるなりして、家の前に畑を作る。
ねこも一緒に、愉しく質素に生きる。
もしも日本の田舎だったら、温泉の近くがいい。

もうひとりの自分が田舎にいて、朝早く起きて野菜の世話をしている。
目を上げれば、山があって、空気のなかに白い朝靄がたなびいている。
鳥の声がして、風が静かに流れて冷たい。

実際の自分は夜遅く寝て、朝遅くぼんやりと起き、ロンドンのド真ん中の職場にバタバタと遅刻を気にしつつたどり着き、毎日何十人ものひとに揉まれ、慌ただしく昼食をたべ、コンピューターとプロジェクター、立ったり座ったり、何度もツイッタとインスタグラムをチラ見しながら、夜ごはんも職場でお弁当、遅くまで仕事をしている。

田舎に移住する夢はなかなか具体的にならず、その代わりに都会でまた学生に戻って勉学に勤しむ道に進もうとしている。
それでいいのかは、知らない。
ほんと、わからない。

でも、流れがそういう方向へ行っていて、そうするのがよいような感じなのだ。

道はいくつもある。
ひとつ選んだら、ひとつが消えてしまうわけではなくて、数年後に選ばなかった選択肢のほうへ行くことだってあるかも知れぬ。
だれにも未来のことはわからない。
どの道に進んでも、結局「なる」自分は同じなのではないかと思う。
すべては自分の思考の癖が招くことのような気がする。

いま勉学の道へ進んでも、いつか田舎で野菜を作っているのではないかな。そういう思考の癖がアイロンで転写したみたいに自分に焼きついている。

反対に田舎で野菜を作っていても、勉学の道に進むのかも知れないし。

やりたいことと、流れには逆らわないほうがいい、できないことには道は拓いていかないものだから、できるし、拓かれているなら先に進むのが吉かな、と自分を鼓舞する月曜日の夜だった。

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