#牧歌日記 稚拙な吐露
今年の1月に祖母が、そして7月に祖父が亡くなった。まさか同じ年に2人とも亡くなるとは思ってもみなかった。
祖父はとてつもなく我が強く、口は悪いが仕事は丁寧にやる職人気質で、反対に祖母は、朗らかでいつもニコニコ笑っている可愛らしい人だった。
凸凹な夫婦だったのでよく衝突していたが、僕の両親も凸凹夫婦なのでよく衝突している。もし僕が結婚したらおそらくそうなるのだろうと思うと、杞憂だが嫌になる(そもそもどこの夫婦もそんなものなのだろうか)。
祖父は遊びをしない人だった。酒もタバコも博打も旅行もほとんどやらないで毎日働いていた。楽しみといえば隔月にやっていた大相撲をテレビで観ること。だけど祖父は令和5年の名古屋場所を見ることなく逝ってしまった。
祖父は亡くなる直前まで農作業をして働いていた。あの気力や体力は一体どこから出てきたものなのだろうか。
祖母は芸能に明るい人だった。かつて祖母が東京で暮らしていた時、歌舞伎や舞台や寄席、映画館によく行っていたらしい。僕が芸能や芸術に強く興味を持ったのは祖母の影響なのだろうか。
ちなみに祖母と僕の母は血が繋がっていない。祖父の前妻は叔父(母の弟)を産んでからすぐに亡くなっている。墓誌を見ると20代の後半で亡くなっているため、僕は血のつながった祖母と会ったことがない。そしてその後、再婚したのが正月に亡くなったと祖母だ。しかしこの祖母と僕とは少し遠いが血縁がある。この辺の話は昔はそれほど珍しくも無いことらしいが、色々と複雑であり書くのが面倒なので割愛する。
祖母は孫からお年玉を貰うのが夢だと言っていた。この夢は叶えさせてあげたいと思っていたが、僕は大学を卒業後、定職に就かなかったので夢を叶えてあげられなかったのが心残り。
祖父も祖母も戦前に生まれ、敗戦、そして今日の繁栄まで長く険しい道を生きてきた。祖父母の幼少期や青年期の話を聴くと「いつの時代の話!?」と驚くことばかりで、60年違うだけで、こんなにも時代は違うのかと感慨深くなる。が、もうそんな話も聴くことができない。芸術に片足を突っ込んでる人間なら死すらも芸術に昇華しろという話だと思うが、作品を作る前にこんな稚拙な吐露をしてしまうあたり、つくづく僕には芸がない。
祖母の時も祖父の時も後悔したくなくて、たくさん会いに行って、たくさん農作業の手伝いをした。親戚はみんな偉いねだとか、助かるだとか言ってくれたが、僕はひねくれ者なので、素直にそれらの言葉を受けとめることができなかった。なぜなら後悔したくないというのは、利己的な思いだからだ。ここで会わなかったら後悔する。ここで会話しなかったら後悔する。自分ができることはやったと会う充足感、自分の大切な人が死ぬことへの恐怖。これらを感じてる自分がとてつもなく嫌いで、情けなく、そして楽だった。
こんなことを考えること自体、間違っているというのは充分わかっているが、結局僕は祖父母に何かしてあげられたのだろうか。
僕はどこまでも利己的だ。
だから利己的な感情の吐口としてここに書き記しておくし、言わせてもらう。
おじいちゃん、おばあちゃん
今まで本当にお世話になりました。
がんばるから見ていてください。
本当にありがとうございました。