【他人と自分を比べるのをやめれば幸せになる】という言葉に対して感じる違和感
こんばんは。エルドラドです。
SNSをみていると、
しあわせになるための方法について説いてる記事をたくさん見かけます。
1番よく見かける言葉が
【他人と自分を比べるのをやめよう】系
わたしはこの言葉を見かけると
なんか違和感を感じます。
比べるのをやめろと言われても、
私はムリです。
私は他人と自分を比べるときがあります。
(*比較しても、妬んだり、羨ましいと思ったりすることは一切無いです。『羨ましい』という言葉は嫌いです)
それにしても他人と自分を比べてしまうことを
完全に、やめることはできるのでしょうか?
この競争社会でムリだと思います。
他人と自分を比べることは、悪いことでしょうか?
仕事の場合、自社と他社を比較することは避けられないことだと思います。
そして私のように、ほぼお一人様経営の場合、
自社=自分であり
他社=他人なのです。
なので比べることは悪…というような罪悪感をもたせるような精神論の押し付けはスピリチュアルではないし読んでいるとちょっと疲れます。
他人と自分を比べて妬んだり落ち込んでる人にとってはきっとさらに自己否定が増す重い言葉だと思います。
そもそも、
『他人と自分を比べる=幸せになれない』という説を、脳に植え付けるのは、良くないと思います。
私の場合
他人と自分の比較は仕事上避けられないので私は
【他人と自分を比べても、幸せな人】
で、いようと決めています。
他人と自分を比較してしまう、
人間ってそうゆう社会の生き物だから仕方ないです。そのことに対して罪悪感をもたず
受け入れて幸せになるために活用するのです。
どうせ比べてしまうなら、
それをプラスにする。
その方法は…
上ばかりみないで、たまには下を見る。
上ばかりみないで下をみる。
この言葉は中村天風の言葉を借りしました。
人と比べても、いいんだ!と
気がラクになる深い言葉がたくさん書いてありますのでオススメの本です。
それから、比べないと見えない幸せがあります。例えば拙宅は、夫が休日に家事をしてくれます。お料理と洗濯物、掃除、買物などなど色々やってくれます。なのでお正月も、私はほとんど家事をしません。
それが、私にとって当たり前なのでシアワセなことだ…ということを普段忘れてしまいますが、まわりから、あなたのご主人みたいに優しい人はなかなかいないよ、と、たまに指摘されることにより自分のシアワセを再認識します。これも比較されたから知ることができるシアワセです。
自己肯定感と優越感
しあわせになるために
他人と自分を比べるのをやめよう
そして自己肯定感を持ちましょう…
とよくいうけど、自己肯定の感情って優越感もふくむ場合もあるので自己肯定感が低いときに何かと比較せずに自己肯定をするのは、意外と難しいと思います。自己肯定感が低いときや自信が持てなくて不安なときは、他者/社のサービスと、自分はどこが違うのか?自分のレベルはどのくらいなのか?自分がダメなところも見えてくるかもせれませんが、自分の強みも見えてきて自信につながるときがあります。
優越感をもつことや他者と比べることを
否定する裏には、妬みやひがみやっかみの念が見え隠れしている…と感じるときもあります。
(優越感とは
自分が他者より優れているとの認識、およびここから生じる自己肯定の感情である:wikiより引用)
幸せになるために
他人と自分を比べるのをやめると
自己肯定感が薄くなってしまう可能性がある…
自己肯定感が薄いと幸せでしょうか?
自己肯定感の逆は劣等感です。
完全に比較しないで生きることは難しい…
それが出来ないことに対してさらに自己否定や罪悪感のような気もちを抱えるなら、比べてしまうことも受け入れた方がラクだな…と思います。
誤解のないように書いておきますが、他人と比べないと自己肯定感や自信を持つことは出来ないから積極的に他人と比べて優越感に浸ろう、ということではないです。もし比べてしまってもシアワセを選択することはできると思う、という事を書きたかっただけです。
おわりです。お読みいただきありがとうございました。