ワインコラム47:北関東平野文化圏
タイトルデザイン☆Ryoko Sakata
写真☆Masaru Yamamoto
関東平野が北に広がり山が始まるところ、言わば平野と山との際(きわ)に沿って、JR両毛線が走っている。
両毛線は、栃木県小山駅と群馬県高崎駅を結ぶのだが、栃木県内では南の県境に添うように走っている。
その中に佐野という街がある。
私が18まで暮した栃木県の街だ。
ラーメンと厄除け大師はそこそこ知られているようだが、それらを除けば取り立てて特筆すべきことは無い平凡な街と言える。
話は変わるが、国内の色々な地方の食べ物や風習を紹介するテレビ番組がある。
その中で、群馬県の訛と紹介された言葉が、驚くことに、私の母や叔母たちが話していた言葉と同じであった。
郷愁を覚えながらも、なぜ群馬と同じなのだと驚いたが、少し経って理解が追いついてきた。
両毛線の駅で言えば、佐野の隣は足利でその次は、もう群馬の桐生である。
つまり佐野、足利と近隣の群馬の街は、同じような言葉を持つ文化圏ということである。足利の高校に通っていた私は、陸上の大会で宇都宮に行った時、「あんたら足利の人だろ?」と言われたこともあった。宇都宮を中心とする、いわゆる栃木弁を話す人たちとは、私と友人たちの言葉は違うようだった。
佐野、足利は栃木県で在りながらどちらかといえば、群馬や埼玉の一部と同じ文化圏に属するようである。
地形を考えれば納得できる。佐野も足利も北には山があるが、群馬と埼玉側である西、南は開けている。佐野の東には、険しくはないが山がある。
関東地方の地図の県境を取ってしまうと良く分かる。
佐野、足利と群馬、埼玉には北関東平野文化圏と言って良いような、山裾から広がる平地がある。鉄道や車が無かった時代、頻繁に人の行き来があったことは容易に想像がつく。
佐野にはJRの他に東武線も通じている。
佐野の人達には重要な路線で、この線で館林まで行き、伊勢崎線に乗り換えれば浅草まで行くことが出来る。先程の文化圏内の足利や太田の人たちにとっても、東京に通じる重要な路線だ。
東北の人々が上野を目指すように、私たちは浅草を目標としていた。
東京の文化も浅草経由で入ってきた。子供の頃食べていたもんじゃ焼きも、下町浅草から入ってきた文化の一つなのだろう。
今は若者たちに人気があるようで、繁華街などで店の看板を見かける。
しかしアレは子供が食べるもので、大人が食べる物ではなかった。小学生の頃駄菓子屋の片隅の小上がりで、小さな鉄板を囲んで個体とも液体ともつかぬ物を、小さなヘラで口に運んだことを覚えている。そんなに美味いものでも無かった。ただ子供にとっては、店で注文した物を自分で焼いて食べるという大人びた行為が、楽しかったのだろう。
もんじゃ焼きは小学生の頃の想い出で、その後は食べたことはない。
駄菓子屋の綺麗とは言えない小上がりで食べた、アノ不思議な形態をした物を、大人になってまで食べたいとは思えないのだ。