フィンランドの自然がもたらすのは「癒やし」だけではない。自分の心と向き合うために必要な「余白」と「勇気」と「希望」のこと
こんにちは。エラマプロジェクト代表、フィンランド生涯教育研究家の石原侑美です。
現地での研究、フィンランドツアー開催のため今年もフィンランドにやってきました。
この記事が公開されるのは1本目のツアー「フィンランドのサステイナブルな社会とウェルビーイングの暮らしを学ぶプログラム」が終わった後。そしてその約1ヶ月後、10/13からは2本目のツアー「”北欧のシリコンバレー”フィンランド・オウルで働き方とウェルビーイングを学ぶプログラム」を開催します。
8月中旬からフィンランドに滞在し、1本目のツアーが始まる前の約2週間はサイマー湖水地方で過ごしていました。
その期間でわたしが得られたことなどみなさんにも共有できたらと思う経験がありましたので、今回は「余白」と「対話」と「勇気」に関するお話をしたいと思います。
最初の2週間は森と湖に囲まれて
8月、フィンランドのサイマー湖水地方、プンカハリュに到着。ここに来て感じたのは、まず去年より湿気が多かったことです。滞在2週目のある日に森の中を歩いていたら暑くて汗をかきそうなくらいでした。
気温自体は日本と比べるとかなり低くて21〜22度くらいだったんですが、それ以上に暑く感じて、日差しも強かったです。
その週は1日だけ台風かと思うくらいの風と雨と雷がすごい日がありましたが、それ以外の日はずっと晴れていてとても気持ちよく過ごせました。
隣のコテージにはフィンランド個人旅行のコーディネートを担当した一家もいらっしゃって、約1週間滞在されました。スケジュールを一部ご紹介すると、ある夜はコテージでバーベキュー→サウナに入る→湖で泳ぐを繰り返し、みんなできれいな景色や自然の中の楽しさを味わっていました。
そして、個人では行くのが難しい、現地の小学校見学にも行きました。翌日は
プンカハリュ在住の森林浴ネイチャートレーナーで「SaimaaLife」を運営しているマリ・アホネンの案内のもと森の散策に行き、その後はコテージでカレリアパイとブルーペリーパイを作るワークショップがありました。
このようにわたしは通訳やガイドの仕事で人と過ごす時間はあったのですが、基本的にはいつもの暮らしとは違う形(家族と離れて一人)で過ごす時間がとても多く、自己対話の時間も生まれていったのです。
きれいな景色に癒されると病む?
フィンランドでも通常の仕事はしているのですが、その仕事でいろいろあり、どうしようもなくなったときがありました。
そういう場合は日本にいたらおいしいご飯を食べるとかお酒を飲むとかちょっと外に食べに行こうとか、そういった発散の仕方ができますし、わたしは家族と一緒に暮らしているので家族と話してちょっと気分転換することもできるんですが、一人だとそれができないんですよね。
今はオンラインという方法もありますが、家族も忙しくて1週間話せないという状況にもなりました。コテージの前に湖がある場所に滞在していたんですが、落ち込んだ気分で外をパッと見ると、すごく景色がいいから、より病んでしまったんです。
もちろんきれいな景色を見ると癒されますが、同時に一人だとすごく病みやすくて。日差しはあるのに病みやすかったです、その1週間は(笑)。
例えばあの人はなんでそんなことを言うんだろうとか、わたしがもうちょっとこれを確認しておけばよかったのかと後悔したりとか、自分ではコントロールが効かないくらいの、心の中のどろどろした部分、闇の部分というのがあって。
その中でハッと景色を見ると湖がキラキラ光っているし、白樺の葉も湖のきらめきのようにキラキラしていて。
光を見れば見るほど、美しすぎる景色の前でより自分の闇が出てくるような、闇があるということにどんどん気づくような。
光に照らされるほど自分の影が濃くなるーー。そんな感覚に陥ったんです。
これが、もし暗い秋や冬だったらまた違う感覚なんでしょうが、明るくていいものに出会っていくほど自分の闇に気づいてしんどくなる感覚です(苦笑)。
日頃から自分を見つめるという習慣はありますが、やっぱり生きているといろいろ起こります。そのたびに問いを立てて向き合ってはいるのですが……。
しかし、それでもその1週間はいい自己対話ができた日々でもありました。
自己対話と余白
わたしの場合は、自己対話は心の中だけでやっています。人によっては書き出したり、誰かに聞いてもらったりする方法の方もいると思います。
仕事以外の時間は、心地いいL字型ソファーに寝そべって過ごすことが多かったです。窓からは湖などの景色が見える位置だったんですが、気持ちがほどけていくからこそ闇だけではない自分の本音が見えてくるというのはあると思うんです。
ある日、自分の声なのでしょうがふと「わたし本当にその生き方でいいの?」がやってきたんです。自然の中で余白が多くなると自分と対話しやすくなるとあらためて気づきました。
実は答えも出たんです。
前々から、自分が近い将来にやりたいと思うものがありました。それは周りも賛成してくれているし、このまま実現のための準備をしようと思っていて、自分自身もそんなに疑問を持たずに進んでいたんですね。
でも、本当にその道でいいの?と思ったときに、それを「やらない」という答えになりました。正確に言えば、90%以上その結論に至りました。短期間にそんな疑問がすぐに出てきて自分で決断できるのは初めてだったので、不思議な体験でした。
この1週間はわたしにとって本当にしんどかった一方で充実していました。
結果的にひさしぶりの一人時間を満喫した、という話になりますね(笑)。
「余白」とは、日本にいるときなら、仕事がある程度落ち着いたら、次は夜ご飯を作るとか、明日のための準備をするとか、畑から何か取ってくるとか、家でやることがたくさんあります。
でも、一人になるとまずスケジュール的な意味での余白ができます。
それによって、考えなくていいことが増えて、頭の余白もできますね。
日本にいると「今日何作ろうかな、何を作る必要があったかな?」と思うと、そのためには買い物に何時に出て、何を買うと何のメニューになるかな、明日銀行に行かなきゃいけないよね、などなど、仕事以外にも考えることがたくさんあります。
でもフィンランドに来ると、旅行者だからというのもあってそれを考える必要がない。ご飯はずっと作っていますが自分一人のためだからそんな大したことはないので、どんどん頭の余白ができてくるっていうのは大きいかもしれません。その結果、心の余白ができたという感じです。
「勇気」と「希望」の関係性
前述のマリのプログラム(森の散策)に同行した際にマリが話してくれたことなのですが、自然に触れれば触れるほどいろんな神経系のバランスが整っていくそうです。
森の中であれば、木を見る、木に触れる、木の匂いを嗅ぐ。もちろん虫もたくさんいますし刺されてかゆい体験もしますが、自然の中にいると本音が見えてくるんですよね。日本でも自然の中で過ごす効果・効能は広く知られていますよね。
マリのウェルビーイングコースのプログラムでも彼女はよく「FIND YOUR NATURE」と言います。「あなたの自然を見つけよう」ということではあるんですが、natureという言葉には「自然」以外にもたくさんの意味があるんです。「人間性」も「本質」もnatureという言葉にできるんですよね。
だから「FIND YOUR NATURE」というのは、あなたの「自然」を見つけることだけではなくて、あなたの「本音」を見つけるという意味も含まれるんですよ。
仏教では「自然」を「じねん」とよんで「自ら然る」(人間の作意のないそのままの在り方
)という意味に解釈しています。自然というのは木とか水とかだけではなく、ありのままの自分でいるという意味の方が強いのかもしれないねという話を森の散策中にしていました。
さらにみんなで対話をしていると、「ありのまま」の難しさについての話になりました。
まずありのままの自分を知ることが難しいし、ありのままの自分がわかったところで、それになるのは難しいのではないかと。
例えば、何かしらの勇気を持ってやめるという決断をしなければありのままでいられないかもしれないし、勇気を持って自分の超えなきゃいけない心の壁に向き合う必要があるかもしれない。
ありのままでいるってすごく難しいことだし、勇気のいることだから、実はありのままでいようという話はそんなにキラキラしたことではないねという意見にまとまったのです(笑)。
自然の中にいると、明るくて美しくてキラキラしていて、確かに癒されます。でも、同時にありのままの自分をあぶり出されるから、それと向き合うことになったときに辛さも伴うんですよね。そりゃ勇気を持たなきゃいけないよね、と……。
何とかしてその苦しさを、自分自身の機嫌をとることで解消させなければいけないんだなと実感することになるのです。
他にも、幸せになるためには勇気がいる、自分らしくいるためには勇気を持たないといられないといった話も出て、対話はつきませんでした。
ふと、参加者の女性がマリに「勇気はどこから来るのか?」という質問を投げかけたんです。するとマリの回答がおもしろくて。
「勇気を出すというのは人間の特徴だ」とマリは言ったんです。
それは、勇気を持つためには自分が気づかなければいけないし、自分と対話をするために心にも頭にも余白を持って、それだけの体力がないといけないと。
病気(体も心も含めて)のときに自分と対話するのはすごくエネルギーがいるから、体力のあるときに、余裕のあるときに自分との対話をおこなうのだとも言っていました。
マリは「そうやって向き合うからこそ自分が幸せに生きたいという気持ちや『未来の希望の光』に向かって進むんだ」「それが人間の特徴なんだ」と言っていたんです。
それを促すために余白が必要ということなんですね。
それって「生きがい理論」にもつながるのかなと思います。
「生きがい」と「生きがい感」の違いを神谷美恵子さんが『生きがいについて』という本の中で書いています。生きがい感の定義として、今あるもの、目の前に集中して幸せなものを噛み締めることだけではなく、それに加えていかに未来への希望を持てているかどうかだとされています。
幸せになるためにはどうすればいいか?ということに対して、フィンランドでもいろいろな文献でも仏教的な思想でも、「今あるものに集中する」「今あるものを大切にする」という感覚がありますね。
本当に幸福感を持つためには「未来に明るい光があるかもしれない」という希望を持つこと。
それが勇気を持つためにもすごく大事なのかなって感じています。
人間の脳ってマイナス思考がベースなので、未来を思えば思うほど人間は不安になるんですよね。それは人間として当たり前ですし、不安を希望に変えられるのも人間の力だと思います。
マリの言葉とわたしなりに感じていることを総合すると、「希望を持たせる力」こそ勇気なのかなと思ったりしたのです。
「勇気をもらう」という言葉があります。勇気を持つことは、自分の中だけじゃないような気がするんです。
一方、覚悟となると自分の中にしかない印象ですよね。
フィンランドの書物にも「勇気を持って」という言葉はよく出てきますし、フィンランド人もよくその言葉を使います。覚悟ではなくて勇気という言葉が多いので、「勇気」は自分のライフデザインを考える上で大事だなと感じます。
「忍たま乱太郎」(アニメ)の主題歌で歌っていることは間違いなかったなって今になって思いました。そう、勇気100%(笑)!
そういえば、時代劇の水戸黄門の歌にも「人生勇気が必要だ」っていう歌詞が出てきますもんね。
フィンランド滞在報告会を予定しています
さて、今回は、余白をたっぷり味わった私が、フィンランドの自然の中で得たたくさんの気づきをお話させていただきました。
いかがでしたか?
10月下旬までフィンランドに滞在しますが、帰国後、今年もフィンランド滞在報告会を実施予定です。
きっと、さらなる学びと、濃い〜体験談、そしてもちろんリアルなフィンランドの最新情報をお伝えできると思います。
エラマプロジェクトのWebサイトやSNSでお知らせしますので、ぜひチェック&フォローしてくださいね!
どうぞお楽しみに!
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By 石原侑美(エラマプロジェクト代表)
Interview & Text by nakagawa momo(フリーライター)