初めての「不在者投票」から考える、わたしたちの大切な選挙のこと
新しい年になり3ヶ月目ですね。昨年の10月はすでに5ヶ月ほど前ということになりますが、2021年10月31日(日)に日本国内では何がおこなわれたか覚えていらっしゃいますか?
2021年10月31日(日)は、第49回衆議院議員選挙及び第25回最高裁判所裁判官国民審査がおこなわれました。
総選挙がおこなわれると知ったとき、わたしの投票する権利はどうなるんだろうと一瞬混乱しました。
なぜなら、10月に新しい土地に引っ越ししたばかりで、引っ越し直後に選挙がある状況が初めてだったからです。
投票しなくてもまいっか、なんて思えなかったですし、あきらめることもしたくなかったので、面倒くさがりなわたしですが投票する方法を調べ始めてみると、いろんなことがわかりました。
5ヶ月前のことをわざわざこのタイミングで? と思われるかもしれません。
理由は、先日の3月9日(水)に行われた韓国の大統領選挙や、昨年10月の経験を通じて、選挙や投票に対する自分の考え方の変遷を書き記したいと思ったからなんです。
「不在者投票」について調べて知ったたくさんのこと
選挙期日に投票所に行く以外でわたしがこれまでに利用したことがある投票制度は「期日前投票」、それ以外で頭に残っていた言葉は「不在者投票」でした。言葉は知っていても該当しないと真剣に制度を把握しようとはならないものだなと今回のことで痛感しました。
前の住所の選挙管理委員会に不在者投票用紙等を請求すれば投票できると知り、詳しい情報を知りたいと調べたものの最新の情報は見当たらず。それは公示の翌日に情報が公開されるルールだからでした。
公示は10月19日、投票できるのは期日の前日まで。郵送で請求が必要(マイナンバーカードを持っていれば電子申請は可能でしたが専用のカードリーダーが必要という記載もありわたしは郵送一択でした)。
必要な書類は折り返し郵送されてくる。わたしは平日に役所に行けない。投票のチャンスは限られている。
この選挙日程だと情報公開後に即請求したとしてもギリギリじゃないか? 時間が足りなくない!? とため息が出ました。
事前に調べていたことで早めに行動できたものの、もう少し日程に余裕があればいいのにというのが正直な感想でした。選挙の日程はもっと全体的なことを考えて決定してもらいたいという新たな強い希望を持つ経験にもなりました。
ちなみに、前の住所の選挙管理委員会から投票案内状が送られてきたので不思議な気持ちで開封すると、新たに知ることができた情報がありました。
そもそも転出時期と選挙のタイミングにより、わたしは前の居住地の選挙人名簿に登録されている状態だったので、今回の投票期間中や投票日当日にもし前の居住地に行く予定があれば、投票方法別の指定場所(役所やこれまで行っていた投票所)に行って投票することが可能ということでした。
今回わたしは遠距離の引っ越しだったのでそれはできなかったのですが、引っ越し先が近い距離(隣の区に引っ越ししたなど)であればこういった方法も利用できるのだとまたひとつ勉強になりました。
(不在者投票についての案内もありましたが、投票案内状が届いたタイミングで知って請求しようとしても投票締め切りに間に合わないのではと不安になっただろうなと再度、選挙日程に対するモヤモヤを抱えました……)
不在者投票は最寄の選挙管理委員会に行く必要があったので、選挙期日前日の土曜日に市役所に向かいました。当日も方法に若干の違和感(不安)を持ちつつも、初めての不在者投票を無事に済ませることができました。
(もちろん最高裁判所裁判官国民審査も調べて考えて出した答えで投票しました!)
選挙についての現在までの変遷
子どもの頃から、選挙があると(どの党や立候補者に投票していたかまではわかりませんが)、親が近所の人たちと連れ立って朝から投票に行っている姿を見ていました。
しかし全体的に見れば、その頃から日本では選挙の投票率は低く政治に無関心な人が多かったのではないかと思いますし、子どもだったわたし自身も選挙当日はテレビが選挙情報一色で、通常の番組が見られないことをつまらなくてイヤだと思っていました。
高校生になっても日本では政治に無関心な人が多い印象でした。当時は政治家の発言を聞いていると、こんな状況では期待しない人や投票しない人が多かったとしても仕方ないよと考えていました。
しかしあるとき急にハッと気づいたのです。そんな状況だからこそ無関心ではいけないのだと。この状況がダメだと思っているなら投票して意思表示しなければいけないと。そうしなければますます望ましい状況は遠のくだろうと。
高校生だった当時はまだ投票する権利はありませんでしたが、それを境にわたしの選挙や投票に対する意識が変わったのです。
しかしいざ投票できるようになったからといって最初からスムーズに選択ができたわけではありません。
自分が暮らしている街に対する大きな不満があったわけでもない、好きな政治家がいたわけでもない、盲目的にこの党を応援するといった軸があるわけでもない。
よくわからないという気持ちでいっぱいになると判断が億劫になったことも正直ありました。
この党の人には投票しないなどの基準を持っても、たったひとりを選ぶことが難しくて悩みながら投票していました。そのため、最初の頃は投票という行為はしていても自分の中でスッキリ感はなかったのです。
今でもいつかの地方選挙での投票で後悔していることがあります。そのときはわからないなりに期待できるかもと思ってある候補者に投票しましたが、その後、その党の実態を知れば知るほど当時の自分の投票を悔しく思うようになりました。
選挙があるたびに、なんとなくではなくちゃんと考えて投票したいという思いも強くなっていき、わからないならもっと知ろう、自分なりの答えを出せるように極力フラットな情報を集めようとするようになりました。
試行錯誤する中で信頼できるメディアを見つけ、(選挙情報だけに限らず)既存のテレビや新聞では得られない情報があることを実感しました。
自分の問題意識、自分が願うことなどがクリアになっていくと、集めた情報から判断もしやすくなりましたし、投票に迷いがなくなっていきました。
投票したい人(や党)が自分の選挙区にいなかった場合は残念な気持ちになりますが、セカンドベストを選択しました。
自分の一票を活かせる方法について考えることもありました。
全体をみると日本での投票率は低いままですし、身近にもわからないから選挙に行かないという人は何人もいました。
2017年の衆議院議員総選挙期間中もこんなことがありました。
同年代の親戚の家から帰るタイミングで、その子が郵便物の中から投票案内状を見つけた瞬間に、「こんなの行かないよね」と問いかけられました。
わたしは日本の明暗を分ける、日本の未来がかかっているとても大事な選挙だと思っていたのでその言葉に衝撃を受けました。
しかしタイミング的に長く話す時間がなかったので、とっさに、絶対に行ってとだけ伝えて別れました。
その当時も事前に見ていたSNSでは、日本を憂いている人、現状に危機感を持っている人はたくさんいて心強さを感じていました。しかし実際にはそういう人たちはまだ少なかったということなのか、投票率の低さもあり、個人的には変化が起こるのは難しいのだという現実を知りました。
重要な権利を持っているわたしたち
人それぞれもちろん状況がありますし、すべてのことに精通することはできません。余裕がなくてたくさんのことを把握するのが難しいというのも日々感じます。
さらに、大事な情報や本当のことはコントロールされていて、知るのが難しい状況に置かれ続けているのではないかと感じることも多いです。
そういった社会で暮らすのは気持ちいいとは言えませんし、とても怖いことでもあります。
でも、だからこそ選挙が重要なんですよね。
性別、国籍、人種などに関係なく安心して暮らせる社会・国を願う、作る、維持するひとつの方法が投票です。そして、制度に不備があると感じるきっかけも目の前の政治や選挙に関心を持つことから始まるのだと思います。
日本では今年7月に参議院議員選挙が実施されますね。
国民主権であることを忘れず、そして守るためにも思考停止になったりあきらめたりすることなくわたしはこれからも自分の一票を大切にしていきます。
Text by nakagawa momo(フリーライター)
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