【アークナイツ考察】テラ文明の原点、シーボーンの誕生に纏わる真実(大陸考察の和訳)
【翻訳転載の許可エビデンス】
◆リンク
https://www.bilibili.com/video/BV1ge411L7xd
◆作者様ID
杨颜同学
◆公開日:
2022-10-16 12:00:00
※大陸版ミヅキローグライク開始日:2022‐9‐27 16:00:00
本考察が書かれた時点で、「追憶映写」の実装はソーンズ編のみ。また、End4は未実装の為、現時点の実装済みの内容と異なる結論も含まれています。
【ネタバレ注意書き】
・サイドストーリー「潮汐の下」
・サイドストーリー「狂人号」
・サイドストーリー「騎兵と狩人」
・メインストーリー・8章
・オムニバスストーリー「VIGILO -我が眼に映るまま-」
・統合戦略「ミヅキと紺碧の樹」
【翻訳者の前書き】
中国語からの翻訳のため、いくつかの注意事項を書かせていただきます:
-原作者の注釈と訳した私の注釈を区別するために、私からの注釈は「*」マークを使用します。
-原作者の方の観点をなるべく忠実に再現したいと思いますが、専門用語の使用や表現は間違っている可能性があります。ご指摘いただければ修正します。
‐ミヅキローグライクの公式訳は初期の「巨獣」ミス、ファーストボーン・初生・新生命の表示揺れ等々あったため、引用部分について大陸版準拠で翻訳を変えることがあります。
‐ミヅキローグライクは確か公式が翻訳を修正したと思いますが、大陸版プレイヤーなので、エンド・碑群はYouTubeの動画を参考にして文章を書き起こすしかなく、修正前か修正後かはわかりません。スクショを提供してくださる方がいらっしゃいましたら大変ありがたいです。いただければ引用部分を修正します。
‐ビデオからの翻訳で、文章化して読みやすくするために軽く調整させていただいた部分があります。
‐また他に何かあればマシュマロまで→https://marshmallow-qa.com/el_prv
序文
初めてこの文章を読んだ時の衝撃を言葉で表現するのは非常に難しいです。「リターニア金律守護衛」のような初めて登場した概念を目にしたのもありますし、利刃と肩を並べて戦うようなシーンはまさか公式のストーリーで見られるとは思ってもいませんでした。ローグライクはいつも本編では書けない内容を出してきてくれていましたが、ここまで書くのは今回が初めてだと思います。ロドスが推し進めてきたテラ運命共同体がついに結成された感慨深さもありながら、その結成がもう人類文明が滅亡を迎える前夜であり、最初にして最後の無駄な抵抗であることには大きくため息をつくしかありませんでした。陸に上がった恐魚は怒り狂う天災に引き裂かれようと、同じ旧文明に遺された造物かもしれない源石はシーボーンを打ち破る可能性があろうと、退場寸前の人類にとってはもはやどうでもいい無関係なことになってしまいました。命を喰らい尽くすことで自身の増殖を図る源石と、資源を奪い取ることで環境に適応し、進化していくシーボーン、この両者間による大地と海洋の対決がひとたび真の始まりを迎えると、人類が滅亡していなくとも、目にするのは世界の終末しかないでしょう。
ミヅキローグライクのようなとんでもないスケールのシナリオを体験したドクターの皆様はきっとこの災難の経緯や経過をより体系的に知りたいだろうと思います。例えば、ミヅキローグライクのストーリーは今のテラ世界のメインストーリーとの分岐点はどこにあるのか、狂人号の後に起きたか否か、今後のエーギル編に影響があるかどうか、どれが実際に起きたことでどれがIFなのか、またはシーボーンの災難はなぜ起きたか等々。この質問の答えは早くもリリース当初の「騎兵と狩人」や、「潮汐の下」のサイドストーリーに明かしてくれたことがあり、この2本を改めて読み直してみれば、全てが自ら滅亡を招いたエーギル人たちの自業自得に繋げていくことがわかるでしょう。
IFルートのストーリーでは、私たちの馴染み深い人物たち、例えばイベリア裁判所の最後の聖徒・カルメン、狂人号でロドスに入ったアイリーニ、彼らの経歴と行方について話して、続いてはそれぞれのエンディングの中でのボスの由来について触れていき、同時に旧文明とシーボーンの関係性を深堀してみたいと思います。例えばスカジとミヅキが継承した「ファーストボーン」は何ものか、ファーストボーンはそれぞれどのような権能を持っているか、旧文明とシーボーンの関係性は本当に創り・創られの単純な関係なのか……ではおさらいはここまでにして、本題に入りましょう。
一、シーボーンの誕生と旧文明の真実:「それらの苦しみは変わらず存在し続けるのだ」
多くのドクターは「騎兵と狩人」のイベントでケルシーがスカジに言った例の言葉をまだ覚えているでしょう:「お前もお前の同胞たちも浅はかなものだ。」この妙に攻撃的な言い方は初期に多くの議論を引き起こしました。しかし、ミヅキローグライクのイベントが実装され、疾風枯れ葉を巻く勢いで人類を一掃するシーボーンを目にした後、狂人号でのウルピアヌスの推測、または潮汐の下でファースト・トーカーがスカジに教えた真実から繋がりを見出すことで、私たちはやっと1つの結論に辿り着くことができました。自分たちの文明レベルが陸に勝ることで偉そうに振舞っているエーギル人、特に深海教会に浸透され切ったエーギル文明のお偉いさんたちは、シーボーンの災難を引き起こすことにおいてどれほどばかばかしく、嘆わしくも憎らしい重要な役割を果たしているのか、この部分について詳しく議論する前に、シーボーンについて話しておく必要があります。
シーボーンは結局どのように生み出されたのか?手がかりが揃った今、シーボーンは旧文明の造物であると結論付けるのは難しくはありませんが、この答えは旧文明とシーボーンの最も重要な関連性をまだ説明できていないと思います。
ミヅキローグライクのイベント「無知こそ幸福なり」で、ドクターたちは旧文明に遺された4つのファイルを見つけることができます。この4つのファイルにはそれぞれ「成長」、「繁殖」、「存続」、「移住」と書かれております。
シーボーン文字の転写対照表を借りれば、CG画面の4つのシンボルマークの下に書かれているシーボーン文字を英語に翻訳することができ、4つのファイルとそれぞれ対応しているとわかります。この4つのファイルが何なのか、この神秘な端末設備はなぜミヅキローグライクに現れたのか、一旦記憶を3周年の狂人号イベントに遡ってみましょう。
以前、アビサルハンターを率いて海の中心に入った時に、ウルピアヌスは「文明の起源とでもいうべきもの」を発見し、言葉で「言い表すことはできん」建物を目にしました。その海の中心の「建物」の中で、彼は「何体も存在している」シーボーンの神を見ました。当時、洞察力のあるウルピアヌスは既に察していたからこそ、狂人号のイベントで「奴らの父(*SN-7)」という表現を使っていました。「奴ら」は疑いせずともシーボーンの神のことで、したがって、海神の「父」というのはその創造者のことを指すほかにありません。ミヅキローグライクの実装に連れて、公式はこの疑問の答えを探している私たちに、最も重要な手がかりを補完してくれました。
ミヅキローグライクのロード中Tipsで「ファーストボーン」の項目があります。「ファーストボーン」というのは「海で生まれた最初のシーボーン。巨獣のような体躯と強大な力を有している。現存するすべてのシーボーン及び恐魚はそれらの子孫である。」
ミヅキローグライク・エンド3のフラグで、「『ファーストボーン』の血がスカジを大群のもとへと再び導く」との言及があり、狂人号のストーリーで触れたように、スカジの身体には海神イシャームラの血が流れています。そのため、「ファーストボーン=海神」、同時に海の中には複数体の「ファーストボーン」が存在している結論は容易く得ることができます。ウルピアヌスの推測が正しければ、海が巨大な培養皿のようなもので、エーギル人が誇る文明こそが培養皿内に付着した菌類に等しい存在かもしれません。この培養皿は誰のものか、中で育てられている本当に必要とされるものは何だったのか、「無知こそ幸福なり」の端末から得られた4つのファイルは、私たちの仮説に根拠を提供してくれました。海深くの鍾乳洞にある研究施設から取り出したこの4つのファイルは、「資源」という言葉を中心に展開されています。
その中で、それぞれの担当分野について、「移住」は領土の開拓と資源の略奪、「成長」は養分の提供と資源の生産、「存続」は養分の収集と資源の分配、「繁殖」は効率的な繁殖と資源の消費を担っています。そして、「繁殖」という言葉からわかることは、略奪・生産・分配された資源は最終的に生命体によって消費されます。これはミヅキローグライク・エンド3「凪の代償」で言及されたシーボーンの発展のためにそれぞれ自分なりの貢献をしたシーボーンの神を連想させざるを得ません。更には、多くのドクターも既に気づいたと思いますが、この4つのファイルと4つのシンボルマークは、シーボーンの神に対応させることができます。
まずは「存続」ファイルに一致する神、「始原の命脈」について。エンド3のテキストは次のように書かれました。
だから理論上、「始原の命脈」は不死不滅の存在です。
次は「成長」ファイルに一致する神、「蔓延の枝」について。
テキストによれば、理論上この海神は既に死を迎えましたが、本能に従って成長し続けていて、「それ」から生え出た衰弱な体躯は幾千もの幼体たちに餌を提供し、極めて重要な食糧となっているそうです。
最後は「移住」に一致する神、「腐蝕された心」について。「腐蝕された心」、即ちスカジの身体に宿っているイシャームラのことです。エンド3「記録の碑群」のPart2・「追憶」からわかるように、イシャームラの担当分野は紛争で、これは「イシャームラ」の名前から連想する「イシュマエル」に一致します。現実世界で「イシュマエル主義」はよく生物間の争いを表現する時に使われ、これは「移住」ファイルで言及された「領土の開拓」と「資源の略奪」に一致しています。
(*上記の「イシュマエル主義」についての情報は中国の検索エンジンBAIDUのwikiページに書かれているでたらめです。実際の言葉にこのような意味はありません。紛争に関係があるとしたら、①神の使いにイシュマエルと名付ける時の予言、「彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす」中の「敵対」「こぶしを振るう」のこと、②Ismailismというシーア派の一派の起源の歴史で含まれる継承問題による派閥争いのこと)
前文で触れた3体の海神及びまだ登場していない繁殖の海神を含め、ミヅキローグライクの公式ページ、またはPVでフラッシュバックのように出てきた文字を通じて、「それ」らの権能はそれぞれ何なのかを知ることができます。
まずはミヅキローグライクの公式ページ。「湿った再生機」で、4体の海神に対応するシンボルマークをクリックすると、それぞれ特定のSEが流れてきます。ここで聞こえたSEは、ちょうどミヅキローグライクで新しい階層に入る時に「大群の呼び声」のバフがかけられた時に出てくるSEでです。
中で、「移住」の海神による呼び声は「探索」と「紛争」、「存続」の海神による呼び声は「改造」と「栄枯」、「繁殖」の海神による呼び声は「給養」と「衆我」、「成長」の海神による呼び声は「徒長」と「適応」です。
ここでは、直接SEを聞き分けてシンボルマークに当たっていくこと以外、8種類の呼び声のフレーバーテキストを読んだ上で判断することもできます。その前提は、大群の呼び声は2つで1つとなっていることに気づくことです。呼び声の本質は海神の囁きで、AVGのセリフと同じように、話し手の特徴が反映されています。
例えば「探索」と「紛争」の呼び声、共通点は「我々」を主語として使っていることです。
「給養」と「衆我」の呼び声はいずれもある海神がシーボーンの幼体に対する呼びかけで、故に文章の冒頭はいずれも「幼子ヨ」になっています。
「徒長」と「適応」の呼び声、テキスト中の「……」は言うまでもなく、言葉を発した存在は息絶え絶えで、言葉を流暢に話すこともままならない状態でいることを示唆しています。この状態は、既に死を迎えた「蔓延の枝」に一致しています。
この上、大群の呼び声を2つずつ組み合わせてそれぞれの海神に対応させることで、中の3体の海神がしてきたことを確認することができるようになります。
まずは「存続」の海神。「始原の命脈」は自らを海に変え、元の海洋環境を変化させました。海神の肉体が滅んだとして、大群の存続が成し遂げられ、海神の命は大群と共にある――これは「改造」と「栄枯」のテキストに対応しています。
次は「成長」の海神。「蔓延の枝」からは未だに新たな枝が生え出ていますが、本体はとっくに死んだ故、その枝は徒労に成長することしかできず、生者を養う養分になっています。この事実は「徒長」の呼び声の言葉通り、「徒長」というのは作物が茎や枝だけ伸びて、花も咲かないことを言う専門用語です。そして、「適応」の呼び声については、「徒長」の呼び声のフレーバーテキストからインスピレーションを得ることができます。
進化には代償が必要です。ならシーボーンの大群にとっては、過酷な環境への適応を実現するために、「成長」の海神が自らを犠牲にして大群の存続を支えた可能性はないでしょうか。
最後は「移住」の海神。狂人号のマップ探索時のテキストで、グランファーロの中央広場で死んでしまった恐魚についての描写があります。恐魚は命の最後まで、この大地を観察し続けようとしていました。
海の中で生活しているシーボーンたちにとって、見知らぬ大地は探索の対象になっているようです。イシャームラがスカジに憑いてこの大地を巡り歩く一方、ミヅキローグライクで恐魚とシーボーンを駆使して陸に攻撃させたことを考えると、「移住」の海神による「探索」と「紛争」の呼び声は非常に興味深い解釈を得たと思います。
続いてミヅキローグライクのPVで、海神の4つのシンボルマークに合わせてほんの一瞬だけちらっと出てきた4行の文字を見てみましょう。以前これに気づいたドクターは既にコラムとして翻訳してくれました。
もしまだ前文で触れた「……」のことを覚えてくれているのならば、この4行の言葉は実は大群の呼び声であることも容易に気づくでしょう。大群の呼び声が2つで1つのように、この4行の文章も繋ぐことなく、1つ1つ独立しています。
例えば、「every trench we fill-in, in predation we proliferate」は「探索」と「紛争」の呼び声に対応しています。「全てノ海溝吾ラ埋め尽ス、捕食ノ中吾ら増殖ス」、「trench」は 海溝に理解していいでしょう。同時に、この言葉は「塹壕」の意味もあります。
「we the anima, we the vicissitudes」、訳すと「吾ラ息吹なリ、吾ラ栄枯盛衰ナれり」、これは「改造」と「栄枯」の呼び声の、「環境モ大群ト同化すベきダ」に対応しています。故に環境の栄枯盛衰は実際には大群の変遷であり、大群の魂は環境と共に不滅です。
「breed beyond our death, arise among the colony」、パッと見ては「成長」の海神が己の死骸を以てシーボーンの幼体に餌付けするシーンに連想できますが、「breed」、即ち「繫殖」は更に優先されるべきキーワードです。それに、この文章のポイントは「arise among the colony」にあると思います。「colony」、つまり「大群」のこと、意訳すると「大群はあなたと共にある」という意味です。「給養」と「衆我」の呼び声の内容、「幼子ヨ、贈り物ヲ受け取リ、生き延ビるノだ」「幼子ヨ、お前ハ独リでハなイ、大群ガ共にアるノだカら」に結びつけると、この言葉は「繫殖」の海神が発したものだとわかります。
最後の「embrace more......intake more......」、「サラナル抱擁……サラナル摂食……」は前と同じ「……」で判断すると、「成長」の海神「蔓延の枝」が残した言葉だとすぐ気づくでしょう。意識が死んで、言葉も流暢に発せない抜け殻になっても、本能的に成長を続けています。
ここまでは、4体の海神及び「それ」らが代表するそれぞれの権能について考察しました。結論から申し上げると、ウルピアヌスが口にした「奴らの父」に繋げて、旧文明は研究施設で4体の「ファーストボーン」を創り出し、この4体の「ファーストボーン」は後に4体の海神になりました。現時点でテラ世界にいるすべてのシーボーンと恐魚は、この4体の海神が旧文明に予め設定された4つの指令に従って作り出した子孫です。しかし、なぜこの章の冒頭にシーボーンはただの旧文明の造物ではないかもしれないと言ったかというと、筆者には1つ大胆な推測があり、この推測はミヅキローグライク・エンド3の「紺碧の心」イベントから来ています。
ドクターたちは、「蔓延の枝」の核心となる器官が保存されている庭園を探すと、「紺碧の心」という名の秘宝を獲得することができ、エンド3への道が開けられます。
「紺碧の心」のフレーバーテキストに次のようなことが書かれています。
ここに1つ、個人的に非常に気になるポイントがあります。「同化できるのはシーボーンだけ」については何の疑問もありませんが、なぜ「そこにある感情を理解できるのは人間だけ」でしょうか?「最初のシーボーン」として生まれた海神の核心となる器官に、なぜそれらの子孫たちにとって理解できない人間の感情が残されているでしょうか?また、なぜこの文章は「進化を続けようとも、それらの苦しみは変わらず存在し続けるのだ」と書かれているでしょうか?「ファーストボーン」は既に「海の中の最初のシーボーン」なのに、「ファーストボーン」になる前に……「それ」らは……何者だったのでしょうか?ここまで言ったら、多くのドクターも私と同じように大胆な推測をしているはずです。
「進化を続ける」、つまり「それ」らの生命の形態は既に大きく変化したことを意味します。そして「苦しみは変わらず存在し続ける」のは、「それ」らは以前、苦痛を感じることができた生命だったことを示しています。なぜ「そこにある感情を理解できるのは人間だけ」なのか、もしシーボーンの神は旧文明の造物だけでなく、「それ」ら自身も旧文明の人類だったとしたら、全てが説明付くようになるでしょう。
この推測のもとで、次にぶつかる疑問は「なぜ旧文明の人類は人間の姿を捨て、進化の過程で次第に感情を失っていく運命のシーボーンに変わり、しかもその選択に対して断腸の思いを抱かざるを得ないのか」、というものです。この問題を考える際に、シーボーンという種の生命形式が私にいくらかの示唆を与えてくれました。人類がシーボーンに与えたのは無限に近い進化と適応の能力です。しかし、その本質は、シーボーンを種として存続させ、再び頂点まで発展することへの期待が込められています。1つ手がかりとなるのはステージ「蔓延」のフレーバーテキストです。
この文章を読むと、ストーリーの議論でよく取り上げられる旧文明が遭遇した壊滅的な災難に思い至ります。旧文明がいったいどのような災難に見舞われたかはまだ誰も知りませんが、前述の「無知こそ幸福なり」イベントと結びつけると、多くの方はオムニバスストーリー「我が眼に映るまま」でケルシーとドクターがオリジニウムの複製と増殖の公式について議論していた時の会話を思い出すでしょう。
ドクターの記憶喪失が完全に悪いことではないかもしれません。なぜならば、生存の重圧が遠ざかっていない状況下でも、今のドクターは目の前の平穏を楽しむことができ、耐えがたいほどの使命感に押しつぶされずに済むからで、この仮定を前提にして、多くの推測が成り立つようになります。
メインストーリー8章「怒号光明」の石棺の前で、プリースティスという名の女性は私たちの手を握り締め、宇宙が終焉を迎えようとも、ドクターとの再会を期待していると言ってくれました。今になっても、プリースティスは誰なのか、私たちはまだ思い出せていないようですが、この名前を聞いた時のケルシーのびっくり顔から、ケルシーは確かにプリースティスという名の人物を知っていることがわかります。
プリースティスが言ってくれた言葉は、いったい未来への熱烈な執着と構想によるものなのか、それとも既に実現不可能になってしまったロマンチックな本心なのか、私たちには知る術がありませんが、しかし、もしプリースティスが当時この言葉を言ってくれた背景が旧文明が差し迫る災厄を迎える直前としたら、「紺碧の心」に込められた悲しみの感情に比較的に納得がいく解釈を見つけることができるでしょう。文明がもうすぐ終焉を迎えるかもしれないその時、プリースティスのような人類の後ろには故郷も、友人も、親族もなく、想像できるこれからの千年、万年乃至千万年の時の中で、人類を待っているのはただ滄海桑田のような激しい変化と何も見えない暗闇だけで、しかしそれでも、プリースティスが言ったように――
このまま文明の死を見届けるべきか、それとも別の形で文明を存続させるべきか、シーボーン計画に参加した研究者たちが直面したのは、非常に残酷な選択かもしれません。彼らが信じ、望んでいたのは、息がある限り、長い進化の旅を経ていずれは再びすべての始まりの地に辿り着き、心から望んでいた人間の姿に戻れることかもしれません。
もし本当にそうだとしたら、テラ世界の深海教徒らは己の人間性を捨て、シーボーン陣営に加わり、より高等の種への進化を図ろうとしたとき、彼らはおそらく永遠に想像できないでしょう。旧人類が絶望の淵に立たされた時、種族を存続させるために人間としての感情を切り捨て、無益に命をむさぼるしかできないシーボーンにならざるを得ず、これらの人々が最終的に下した決断の背後には、いったいどれだけの苦痛が秘められていたかに対して、これ以上ない皮肉ともいえると思います。
二、エーギル文明の傲慢
では、改めて最初の質問に戻りましょう。シーボーンの災厄を引き起こすことにおいて、エーギル人はいったいどれだけ莫迦げた役割を演じていたでしょうか?進化し続けるシーボーンの大群が効率的に学習できる機械に例えれば、エーギルはシーボーンの大群を完全に根絶できないまま、その学習に付き合っているトレーナーの役割を果たしています。攻撃行為を通じてシーボーンの大群の「紛争」の遺伝子を活性化させ、同時にエーギル自身との生存競争を通じて、人類文明を学習する中で非常に侵略的な進化を遂げさせました。
なぜエンド2でカジミエーシュ大騎士団とリターニア金律守護衛の連合陣形はシーボーンの波で一日も持たなかったのか、シーボーンが戦ってきた相手はエーギル文明の戦争兵器たるアビサルハンターだからではないかと思います。もちろん、これはエーギルがシーボーンの脅威を無視すべきだという意味ではありません。ただし、今エーギルがこの脅威に対する処理法には、着眼点から2つ大きな誤解がありました。
狂人号イベントで、グレイディーアはウルピアヌスに対して質疑を挙げ、彼女の意見として、シーボーンのような海のカスは放っておいてはならない。なぜならば、シーボーンはいずれエーギル文明に脅威をもたらすだろうと考えていたからです。それに対して、ウルピアヌスの返答は実際に、このやや傲慢な思考方式に対する批判になっています。深海教会によるエーギルへの浸透及びエーギル内部の裏切りを除けば、エーギルのために尽力するエーギル人たちがシーボーンに直面する時の1つ目の誤解は、まだ大きく育っていない脅威を芽生えの段階で摘み取れると思っていたことです。これは強い文明が生まれたての弱い文明に対してのみ使える手段で、自分たちが既に頂点まで来ていると思い込むエーギル人が未だに、彼らが摘み取ろうとしているシーボーンは下等生物ではなく、想像もできない古の文明から生まれてきたものだと気付いてないでしょう。確かに、イベリアの無敵艦隊の過去の栄光からエーギル文明の繁栄の一角を伺うことができますが、たとえエーギル文明が本当にテラ諸国の頂点に立っているとしても、シーボーンの大群がそもそも四次元生物である可能性の前では無力です。
ミヅキローグライクの勲章「発散的視界」のフレーバーテキストは、シーボーンの大群が持つ未来予知の能力について触れています。つまり、シーボーンはもしかしたら本当に思考の中だけで大群の発展を計画することができるかもしれません。
多くのドクターが取り上げたように、ミヅキローグライクにあるほとんどのシーンは、ドクターとミヅキが「異境の入口」の石碑の前で見た未来の可能性に対する演算に過ぎないかもしれません。このような時間次元と空間次元を超えた思考能力はドクターとミヅキに独占されるものではなく、シーボーンの大群の一部である可能性が高いと思われます。
未来を演算できる例の石碑に書かれた文字は、旧文明がシーボーンの遺伝子に指令を刻んだ時に使用した文字と完全に一致しているならば、知的思考ができる生物として、なぜシーボーンは自分たちの領地内にある石碑を使えないでしょうか?暗い海の中心の深くに、海神イシャームラが最初から未来を予見し、石碑に浮かび上がった幾千万の可能性の中から1つを選んで、自分の未来にした可能性はないのでしょうか?
アビサルハンターのストーリーで、ハンターたちが遭遇したシーボーンは、イシャームラの死は最初から最後まで「それ」自身の計画の中にあると言いました。同時に、ファースト・トーカーも繰り返しスカジに、イシャームラが残した神託は何なのかを尋ねていました。仮に、この旧文明が残した石碑はずっとシーボーンの存続を庇護しているのならば、石碑は四次元空間の計算を通して海神に意思決定のための情報を提供している可能性があります。イシャームラはアビサルハンターに殺されたのは、最初から「それ」自身の選択であるかもしれません。
殺されるに連れ、イシャームラの血はスカジに注がれ、その身体に宿り、イシャームラが得られたのはスカジの行動を通じてテラの大地や各国の文明を窺う機会です。これもまた、イシャームラが担当する「探索」の権能に一致しています。
もしこの仮説が成り立っているなら、これからの展開もイシャームラの予想から外れていないかもしれません。
エーギル内部の裏切り者たちの行動によって、スカジに憑いて共に行動するイシャームラは自然の成り行きに任せるだけでかつての身体に戻れるとすでに予見できているかもしれません。
今までのエーギルは、すでに己の存在がシーボーンの大群に対して脅威であることを証明しました。更に、テラ諸国の文明を知り、身をもって外部からの脅威を学んだイシャームラは、己の紛争の権能を完全に呼び起こすことができ、当たり前のように大群が向かう先となる。
また、未来の予見能力をめぐるこの推測は、なぜミヅキとドクターが旧文明の遺跡に戻らないと目の前の危機に対処できないかについても説明がつくと思います。
一方では、「ファーストボーン」は生まれつきで大きな強みを持っています。例えば、「蔓延の枝」の死んででも成長する旺盛な生命力。だから、イシャームラがもたらす災厄は、それに匹敵する「ファーストボーン」の強みを利用して鎮める必要があります。もう一方では、イシャームラの神託は旧文明のシーボーン体系での未来の予知能力から来ている可能性があるため、これは既に現在のテラ文明が到達できる限界を超えています。この視点からイシャームラ、ドクターとミヅキの駆け引きを考えると、エーギル文明が最初からシーボーンを海のカスと見なし、餓死させようとする行動はいかに傲慢でばかげているかが明らかになるでしょう。
もちろん、この点においては深海教徒も同様です。自分たちこそが進化を率いる先駆者だと自負し、あちこちで活動していますが、実際に彼らも旧文明の石碑による予測に沿った盤面でただ踊らせられている脇役に過ぎないかもしれません。
ステージ「声なき叫び」と「海神の信者」の説明文によれば、人類が恐魚やシーボーンに対する見方は結局のところ、一方通行の希望的観測や自己陶酔に過ぎないとされています。エーギルは最初から最後まで自分たちが戦っているのは何なのかを理解できず、シーボーンの背後に存在していたとっくに滅んだ古代文明に対しても敬意を欠きます。
海神の「父」が実在することを既に知っているならば、「神託」は単に海神の意志の表れだけではなく、その本質についてもっと早く気付くべきだと思います。
エーギル人の2つ目の誤解は、シーボーンの脅威を引き起こしたのは誰だということに対する認識不足です。「狂人号」のイベントのウルピアヌス、そして「潮汐の下」のファースト・トーカーの話から、私たちは既に過去の真実を一部知ることができました。
「潮汐の下」のイベントでは、シーボーンの行動を観察すればわかりますが、最初シーボーンが人類を攻撃してきた目的は領土の拡張というわけではなく、人類の身体に囚われている同胞の血肉を解放しようとしているのです。
イシャームラは「紛争」を象徴する「移住」の海神だから、エーギルに攻め入るのも時間の問題だと思っているドクターもいるかもしれません。個人的に、シーボーンの大群はその独特な生態に沿って発展していくと、少なくとも今のように、端的になる可能性が低いと考えています。まず、シーボーンの拡張と侵略は、「存続」という永遠のテーマに従って外部環境に適応するために行った「進化」で、シーボーンたちに特定な生存プレッシャーを与えない限り、シーボーンの進化は今のように、特定な方向に向かって一直線に進むことはないと思います。次に、シーボーンの間には階級も上下関係も存在しないため、シーボーンたちは確かに海神の神託に従っていますが、その理由は海神が向かう先が最も大群の生存と発展に有利な方向である他ありません。
エンド3「凪の代償」で、イシャームラが敗北した後、「ファーストボーン」の身分が剥奪され、つまり、「ファーストボーン」というのは、ミヅキローグライク3階ボスステージに出てきたボス・パスファインダーと同じように、他のシーボーンの一歩先を進んだだけの存在に過ぎないかもしれません。
真に警戒するべきなのは、「紛争」を司る「移住」の海神ではなく、シーボーンが代々繁殖する中で、彼らの遺伝子に刻まれた紛争の本能です。神託は子孫の本能に刻まれ、エーギル人によるシーボーンの巣への攻撃は、シーボーンたちの戦闘本能を目覚めさせました。海の中心に、アビサルハンターがシーボーンの幼体を虐殺し、注ぐがごとく血が流れ、ウルピアヌスが言ったように――
大群が脅威に晒されている。大群はそれに対抗できる機能が必要である。これこそがシーボーンが覚醒した根本的な原因かもしれません。エーギル人がシーボーンを憎んでいながらも、真にエーギル人に死をもたらし、全てを裏で仕組んだのは己の同胞であることには気づいていないようです。
ミヅキローグライク・エンド1の「記録の碑群」で、ウルピアヌスは深海司教キケロの避難所兼実験室を発見し、中からキケロとエーギルの上層部とのやり取りを示す多くの手紙を見つけました。
それらのエーギル人は、「紛争」を象徴するイシャームラを、かつて大いなる静謐をもたらした「始原の命脈」と接触させ、世界を壊滅させるほどの大いなる静謐を起こそうと計画しているようです。確固たる証拠から判断すると、以前イベリアのエーギルに対する非難は確かにそれなりに道理があるでしょう。なんといっても、イベリアの無敵艦隊を吞み込んだ大いなる静謐は、エーギルの裏切者たちによる「始原の命脈」に対して行った段階的な実験がもたらした結果だったのかもしれないのだから。
深海のストーリーが示すように、シーボーンの力を手にするために、エーギル人はスカジの親族を殺すことも厭わず、それをシーボーンの仕業に見せかけ、エーギル人のシーボーンに対する敵意を煽りました。エーギルの裏切者たちはわざと勇猛なアビサルハンターをシーボーンの巣に送り込んで、表には海神を倒し、シーボーンの脅威を抑える言い訳を立てましたが、実際にこの行動は逆にシーボーンの反撃意識を確立させ、シーボーンを侵略的な方向に学習・進化させたかもしれません。
上記の2点は深海教会のエーギルに対する浸透を除いた、エーギル文明自身にある問題です。では、結局シーボーンの問題は解決する必要はあるかのか?もちろん必要だと思いますが、どうすればいいのか、少なくともエーギル今のやり方ではだめだと思います。
良いニュースとして、ミヅキローグライクのエンド2とエンド3で起きた悲劇は、アークナイツの本当の歴史で実際には起きていません。では続いて、今までのミヅキローグライクのストーリーについて、またはこれらのストーリーの分岐点がどこにあるか、どのような物語が語られたかについて話してみましょう。
三、エンドの考察&キャラクター及びボスに関する議論:発散的視界
ミヅキの話は既によく知られていると思いますが、彼を育てた老司教については、まだ掘り下げて説明する価値があるでしょう。
老司教キケロ、陣営は深海教会です。
既に多くの人が彼からシーボーンの細胞を入手し、それを嚥下することで己をシーボーンへと転換しました。ミヅキとハイモアもその人たちの中に含まれています。
しかし、以前に見た、シーボーンを崇拝するがためにその中に加わりたいクイントゥスと、人類を嫌うがためにシーボーンになることでより良い人類になろうとするアマイアとは違って、深海司教キケロは、少なくとも彼自身の見解では終始人間側に立っているようです。
キケロは自身のことを、シーボーンから「神」の果実を盗み出そうとする人間の研究者に喩えました。
キケロの望みは、人類がシーボーンとの接触を通じて自身の進化と発展を実現することです。一代また一代、シーボーンに対抗するために「贈り物」を受け取っていくと、いずれ彼が期待している完璧な人類は生まれてくるでしょう。
この点だけでも、キケロの観点は圧倒的多数の深海教徒の対立面に立っており、シーボーンと人類の争いに立脚して物事を考える社会ダーウィニズム的な気質が漂っています。即ち、人類がシーボーンの「贈り物」を受け取る最も称賛すべき方法は直接シーボーンの細胞を嚥下することではなく、アビサルハンターのように、シーボーンに対する強烈な恨みを抱きながら人間としての認知を固く守って、こうすれば、シーボーンの血肉の中で自我を失うことがなく、逆にシーボーンの生命力を有しながら「強靭な精神でもって、あらゆる利器の副作用を克服する」、より良い人類になることができるという考えです。
キケロのミヅキとハイモアに対する態度は、まさにこの理念を反映しています。ハイモアがどんなにキケロにシーボーンの細胞を求めても、キケロはまだ「人類」の概念を背負いきれないハイモアにそれを渡すことを拒み続けていました。ハイモアが彼に問いかけても、キケロは決してハイモアの質問に直接答えることがなく、ハイモアが自分で答えを見つけることを望んでいました。
キケロは「人類」という言葉に畏敬の念を抱いており、人間が皆、より善い、より美しく、より優れた存在になることを求めて歩んでいくべきだと考えています。
キケロ自身が言ったように、深海司教として、彼の研究課題への探求手段は、「狡猾で、相手を頷かせるための欺瞞に満ちた誘いと、拒絶を許さない利己的な使用」という側面があるかもしれません。他の深海司教と同じように、自分自身の志を実現するために、キケロも過去に多くの罪を犯し、深海教徒としての本性は隠せていないかもしれません。
ミヅキローグライクの正しい歴史は、経験と見聞の積み重ねによって、ミヅキはキケロが自分に問いかけたこと、つまり「どうすればより良い人類になれるか?」という質問に答えられるようになったと考え、それで老司教キケロを探すためにイベリアの近海に戻ったという展開です。このストーリーが対応するのはミヅキローグライクのエンド1、「平凡こそ幸せ」です。
このエンドの中で、シーボーンについては多く触れられていなく、イシャームラが目覚める災難も起こっていません。ハイモアがロドスに来たことが事実の為、このエンドこそが実際に起きた話だと考えていいでしょう。皆様が一番気になることはなぜハイモアがボスになったか、その経緯だと思います。
ハイモアのプロファイル、そしてエンド1の「記録の碑群」を参考してわかったのは、ハイモアは自身の悲惨な遭遇によって人類を嫌うようになり、それでシーボーンの一員になりたいという考えに至りました。しかしキケロは終始、海の使者から得たシーボーンの細胞をハイモアに渡してやりませんでした。ではなぜハイモアはミヅキローグライクでシーボーンの細胞を呑み込んで自我を失い、「偏執の泡沫」になったでしょうか。
答えはおそらく「記録の碑群」で言及された、ウルピアヌスがキケロを追う中、自分の拠点がウルピアヌスに見つからないように、キケロが反対方面に逃げたことにあるかもしれません。この予想外の逃亡はハイモアに、こっそりとシーボーンの細胞に触れる機会を与えた可能性が高いと考えます。
キケロがミヅキに出会って、再びハイモアに会った時、ハイモアは既にシーボーンの細胞を吞み込んで完全に制御を失った状態にありました。ハイモアは本来、これによって自由を手に入れるつもりでしたが、自我と自分の歌声が徐々に大群の血肉にかき消されてなくなっていくことに気づきました。
ミヅキに倒された後、ミヅキはハイモアの命を救い、彼女の崩壊寸前の身体を安定させ、人間とシーボーンの間にある存在にしました。
そして、ハイモアの浅はかな行動は彼女自身にとって自分のことを見つめ直す機会を与えてくれましたし、同時に、私たちにも老司教キケロの人類に対する考えを知る機会を与えてくれました。
エンド1のストーリーで実際に起きたことは、表のミヅキ、老司教、ハイモアの接触と、裏のウルピアヌスがイベリア近海の深海司教に対する追跡調査だけです。これは狂人号のイベント後、アビサル一行はエーギルに戻る準備をしていることに対応することができ、「記録の碑群」のストーリーを踏まえると、ウルピアヌスは今、深海教徒たちが企んでいる驚愕の陰謀を初歩的に理解し、この全てを阻止する決意を固めました。
これは今後のエーギル編の物語の展開に、少しでも安心できるオープニングをもたらすことができるかもしれません。
続いてのエンド2とエンド3に至っては、誰が老司教を探しに行くかのような簡単な話ではなく、実装前のWEIBO宣伝テキストで書かれたように、オペレーター・ミヅキが先にイベリア近海に入り、海の奥深くへと進み、ドクターがその後ろに続いているという話だそうです。ミヅキはなぜ海の深くにいく必要があるのか、ローグライクのストーリーは直接教えてくれませんでしたが、エンド2・エンド3とエンド1のもっと大きな違いから一連の推測を展開することができると思います。
エンド2にもエンド3にも、イシャームラが目覚めてしまいました。既に分析した通り、イシャームラが目覚めたということは、スカジが既に深海教会の手に落ちてしまったと見ていいでしょう。この点から議論を始めると、スカジが深海教会の手に落ちる可能性がある分岐点は狂人号のイベントシナリオです。
狂人号のイベントで、ウルピアヌスが取った一番大事な行動は、エーギルの内部に裏切者がいて、今のエーギルはアビサルハンターたちの行方を知らない情報をグレイディーアたちに共有し、エーギルの都市についての情報を得ても、絶対に戻るなと忠告したことです。だから狂人号のシナリオの最後に、幸運にも私たちはグレイディーアたちが陸に戻った姿が確認できました。
たとえエーギルの都市がすぐそこにあるとしても、優れた危機察知力によって、グレイディーアは自分の強烈な帰郷の念を抑えられました。
私個人の推測では、テラ世界の正統的な歴史におけるエーギル編のストーリーはこれからも引き続き描かれていくでしょう。けれど、それはスカジが深海教会の手に落ちていないという前提で、ウルピアヌス、ケルシーなどの慎重な計画にイベリア裁判所の力を加えて、ロドスが少しずつ深海教会の陰謀を明かしていく展開になると思います。
もちろん、この数日WEIBOを見て、シナリオの分岐点についての他の解釈も見かけました。もう1つのシナリオ分岐点は「潮汐の下」のサルヴィエントにあるのではないかと考えるドクターもいるようです。もし当時、スカジがファースト・トーカーの話を聞いて動揺し、その時点でエーギルに疑念を抱き、深海教会に加わったら、イシャームラもミヅキローグライクの時と同様に目覚めていたかもしれないと。この推測も理にかなっていると思います。というのも、エンド2とエンド3が示すのは、ミヅキとドクターが石碑から見た幾千万の可能性だとしたら、この分岐点は確かに成り立つでしょう。しかし、エンド2とエンド3を既に起こったIFルートのストーリーとして捉えると、「潮汐の下」イベントが終わり、「狂人号」イベントがその後に続くお話で、更に「記録の碑群」でウルピアヌスはサルヴィエントでの事件をとうに聞き及んでいる以上、サルヴィエントでの分岐点はとっくに決着がついたと考えていいと思います。この分岐点が最も役に立つのは、スカジ、歌い手スカジ、濁心スカジ、およびイシャームラの4人の違いを理解することです。
スカジは巨大な剣を背負って、身体の中にイシャームラの血が宿っているバウンティハンターです。
歌い手スカジはイベントストーリーでの一時的な姿で、バウンティハンターであることが変わらないものの、サルヴィエントに潜入するために衣装を変えたということです。同時に、海に近づきすぎたことで、スカジの体内にあるイシャームラの意識が強まり、その影響でスカジはストーリーの中でたまに精神的な揺れが発生し、シーボーンに対して親近感が湧いてくる現象が起きました。
濁心スカジは2周年「潮汐の下」のイベントで実装したスカジの異格です。「潮汐の下」でスカジがシーボーンに寝返ったIFと見ていいでしょう。濁心スカジのプロファイルとボイスを読めば、シーボーンに寝返った後の濁心スカジは、ミヅキローグライクのエンド2「静謐なる時代」に負けないくらいの大きな災難をもたらしたことがわかります。
ミヅキローグライクはこの異格の設定を基に、スカジに憑いているイシャームラの設定を更に掘り下げてくれました。
1つ気を付けなければならないのは、ミヅキローグライク・エンド3の最終ボスは濁心スカジと異なる存在です。濁心スカジの正式名称は「Skadi the corrupting heart」、つまり「スカジ・腐蝕された心」で、それに対してミヅキローグライク・エンド3のボスの正式名称は「イシャームラ・腐蝕された心」です。前者の場合はスカジが完全にイシャームラに賛成し、身も心もシーボーンの大群を受け入れた状態で、後者の場合はスカジとイシャームラの意識が戦っていながらも、スカジ自身がどう考えていようが、身体の中のイシャームラの意識が浮かび上がって、スカジが知らない・もしくは嫌がっているまま「腐蝕された心」になってしまった状態です。だから濁心スカジのプロファイルから推測して、ミヅキローグライクにおけるイシャームラはある程度、濁心スカジの設定とは異なっていると思います。
狂人号のイベントと展開が異なるシナリオ分岐点で、イシャームラが無事に目覚めたことを考え、この時のスカジは既に深海教会に拉致された可能性があり、だからミヅキとドクターが深海に向かった目的は、迫り来る危機に対処するためであるという比較的に信憑性が高い推測を得ることができます。ミヅキローグライクにおけるほとんどのステージとイベント、またはキャラクターの悲劇は全てイシャームラの目覚めがもたらす災難に深く関わっています。
人々は限られた淡水資源のために大喧嘩していました。これは「貯水池」ステージです。
恐魚が人間を捕食する中、一部の人は恐魚を崇拝し、保護することを選びました。これは「教徒の住処」ステージです。
シーボーンの個体は人間を真似し、人間よりも高い学習能力と団結力を利用して、人類の部隊編成と戦術を圧倒しました。これは「深度認知」ステージです。
恐魚の侵攻を阻止するために、人類はドローンに生物を絶滅させるほどの強い攻撃性を持つ指令を組みましたが、ドローンの制御が失われたことで逆に脅威にさらされる結果となりました。これは「機械の災い」ステージです。
シーボーンがもたらした大きな災難に直面して、「潮汐の下」イベントでスカジからハープをもらったアニータはもうシーボーンの大群に同化され、恐魚になっても岩礁の上にハープを奏で続けていましたが、最終的に他の恐魚によって食い散らかされました。
イベリアの聖徒カルメン、彼は引き続き裁判所を率いて故郷を守るためにずっと創生秘術で命を伸ばしていました。
災難が訪れた時、彼は故郷を守るために最後まで戦うことを選びましたが、故郷が再び目の前に崩壊していくのを見て、彼はもはや正気を保てず、他人の身体に恐魚の血肉が少しでもついていたら彼の誤解と攻撃を招いてしまうことになりました。
私たちがよく知っている裁判官アイリーニはシーボーンと恐魚との戦いで、知覚も意識も最後の僅かしか残っていない瞬間まで戦いました。彼女の半身は既に恐魚に化してしまいました。
しかし、私たちが彼女に「ダリオの灯り」を届けると、彼女は力を振り絞って、最後に一度私たちの道を照らしてくれます。
またはかつてスカジと共に戦ったアビサルハンターたち。深海教会の陰謀を阻止するためなのか、あるいはシーボーンの大群からスカジを連れ戻すためなのか、ウルピアヌス、グレイディーア、スペクターは海底の鐘乳洞で最後の瞬間まで戦いました。ウルピアヌスの腕は斬りおとされて、亡くなっていても変わらず戦士の姿で立っており、まるで永遠の安眠についた2人の女性を守っているようです。
これらのシーンが私たちに見せたのはアークナイツの正史でありえない光景で、このような一風変わった展開から公式が群像劇を素晴らしく描き、キャラクターを深く描写する能力を見せてくれる一方で、これまでのアークナイツの物語とは異なる感触を私たちにもたらしました。
イシャームラが目覚める前提で、ミヅキローグライクのエンド2とエンド3の分岐点は、ミヅキとドクターは無事にイシャームラがもたらす災厄を阻止できたかどうかにあり、ではこの2つのエンドで比較的にハッピーなエンド3を例にまず展開していきたいと思います。イシャームラがシーボーンを率いて陸地へと進行し始めたと知った時、もしドクターとミヅキは深海司教が鍾乳洞に残した研究ファイルを無事に見つけたなら、ファイルの注釈に従って、ミヅキとドクターは深く海の中心にあるシーボーンの起源とされる地に辿り着くことができます。これはつまり前に触れた「蔓延の枝」の核心となる器官を保存した研究庭園です。
旧人類であるドクターがいるおかげで、2人は通常立ち入ることができない庭園の奥深くに入ることができました。ミヅキは自ら「蔓延の枝」の核心となる器官と融合し、「成長」の海神が欠けていた意識となりました。その後、「成長」の海神として、ミヅキはイシャームラとの正面対決で勝利し、負けたイシャームラは大群の方向を代表できなくなりました。しかしこのエンドでは、狂った深海教徒たちにはまだ他の用意がありました。
即ち前に触れた、「存続」の海神--「始原の命脈」を狂わせ、「始原の命脈」と覚醒した「イシャームラ」との接触を通じて世界が滅亡するほどの「大いなる静謐」を引き起こす計画です。この最後の災難を阻止するため、ミヅキは自分の命を代償にシーボーンの大群を制約し、シーボーンたちに陸地から遠ざけるように命じました。
このエンドで、人類はシーボーンに殺されずに済みましたが、このような平和な光景は一時的なものに過ぎないのです。大群の意志による侵食に対抗するために、ミヅキの人間性は少しずつすり減らされています。
ミヅキを偲ぶドクターが海岸に戻って、自分を犠牲にして全ての人を救ったオペレーターのことを思い起こすと、海水は巻きひげのようにドクターの靴にそっと引っかかり、きらきらと輝く紺碧の光は浮かび上がります。それはミヅキの人間性が依然として残っている証であり、仲間を懐かしみ・名残惜しむ気持ちの表れでもあります。
このエンドで、スカジはすべての人を傷ついた自分を許すことができません。イシャームラはかつての自分の仲間を殺しました。シーボーンの大群に属していなくとも、彼女にはもう帰る場所がありません。大群の思いやりと慰めを聞き、未だに人間の感情を抱えているスカジは海に漂い流れ、まるで潮の中の異物のように、波が巻き上がると、ただ孤独に己の悲しみを歌い続けるしかできませんでした。たとえドクターが岸辺にいても、彼女とドクターが象徴する過去はもはや触れられない距離が隔てられています。
エンド3はハッピーエンドとは言えませんが、エンド2の「静謐なる時代」と比べてはほとんどの人類が助けられたのが幸いでした。それに対し、エンド2のストーリーでは、ドクターとミヅキはそんなについていませんでした。彼らは深海司教が残したファイルを見つけることができず、逆に深海に向かう途中で最後の騎士に遭遇しました。このルートでは、最後の騎士がドクターとミヅキが旅道の終わりに直面するラスボスです。パッと見て、この展開はちょっと理解しがたいかもしれません。海を敵とする騎士はなぜドクターとミヅキを敵と見なしたか、ヒントはエンドフラグのテキストにあります。
共に行動する中、些細なことによりミヅキがシーボーンであることがバレたのか、ついにミヅキのことに気づいた騎士は突撃してきました。
一方でドクターについては、可能性は2つあります。1つ目は秘宝「潮の香り」のテキスト:
これはつまり、ドクターは最初から最後の騎士の眼中にないということで、ミヅキに攻撃してきたからドクターはミヅキと一緒に迎撃しました。
同時に、ここにもう1つの可能性が存在しています。海神が旧文明と切っても切れない関係があるように、顔認証だけで「蔓延の枝」の核心となる器官が封印された庭園に入れるドクターは、シーボーンとの何かしらの関連性がある傾向を示していないとは言い切れません。
もしかすると、最後の騎士はドクターがシーボーンの起源を知っていることに気づき、その独特な思考回路が一気に繋がって、ドクターが海神と同源であるから殺そうとした可能性もあるかもしれません。
秘宝「騎士の血肉」のフレーバーテキストを参考にして、大波に突撃すると、満身創痍の騎士は海そのものを殺すことができません。私個人の意見として、これを通じて運命への抵抗を表すのも理にかなっていますが、実際に確証される可能性が高いのは1つの推測だと考えます。
プレイヤーが最後の騎士に勝利するときのシナリオによると、騎士は土の香りがしたため、「同類」という言葉を口にしました。これらの言葉は「種が海に落ち、紺碧の花が開く」ことに繋がっています。「紺碧」はミヅキのことに対応し、これによって最後の騎士の一連の行動が説明着くようになりました。彼は間違えてミヅキを大波に勘違いし、攻撃を仕掛けました。しかし実際に戦ってみて、ミヅキには土の香りがしており、海に属していないことに気づきました。
残念なことに、騎士と戦ってまもなく、イシャームラは3人の前に現れました。
記録の碑群のストーリーによれば、最後の騎士は崩れ落ちるまでイシャームラに突撃を続けていました。
ミヅキはドクターをイシャームラから守るために、シーボーンでありながらも大群の意志に対抗し、最後は波に呑み込まれました。この後、物事の運びは冒頭に取り上げたように、シーボーンは枯葉を巻き上げる勢いでテラ諸国の連合軍を壊滅させ、利刃は自爆して時間を稼ぎ、大炎は人類最後の防衛戦を築き上げました。
ミヅキの犠牲によって奇跡的に生還したドクターはケルシーに続けていく勇気を与え、彼女は獣主と取引をし、いくつかの人類古代技術を回収し、人類最後の都市を築き上げましたが、それでも、テラ世界がシーボーンの攻勢によって壊滅寸前であるのはもう覆すことができない事実になってしまいました。
一方で、「イシャームラ・腐蝕された心」の体内に残っているほんの少しのスカジの意識は、この既に狂った海神に、全ての手段を尽くしても大群の意思をドクターの下に届くようにと促しています。
ちなみに、「この大地」まで迫害されたこのエンドで、ミヅキについてのほんの細やかなことが描かれました。ミヅキがドクターを守るために自分を犠牲にした後、彼の最後の細胞は海に沈み、最後は「蔓延の枝」に保護・吸収されました。
ミヅキと「蔓延の枝」は現時点で直接な繋がりがないはずですが、なぜ「蔓延の枝」はミヅキの細胞に好意を示したか?第二章では、「蔓延の枝」はシーボーンが海の環境に適応するために自分を犠牲にした海神の先駆者かもしれない仮説を立てました。ミヅキにも同じような自己犠牲の精神があり、これは「蔓延の枝」の気持ちを揺り動かした主な原因かもしれません。何といっても「蔓延の枝」の核心となる器官には、人類の切なる感情が残されていたのだから。
このエンドで、ミヅキは自身の行動をもってキケロの問いかけに答えました。彼は確かにより良い人間になれました。「成長」の海神は意識を無くしても彼に枝を差し伸べて、キケロが求めていた「物質に勝る精神(*日本版公式訳:精神論)」は、最も良い解釈が得られました。
以上、ミヅキローグライクの全てのストーリーがほとんど含まれたと思います。エンド2とエンド3はグッドエンドとは言えませんが、だからこそ、私たちは今まで以上にこれからの追加シナリオでさらなる目の前がパッと明るくなるような新しい展開がくることに期待しています。もしかしたら濁心スカジのコーデ「昇華」のフレーバーテキストのように、「移住」の海神として、彼女はシーボーンを率いて人類文明を滅ぼさずに済む道を歩み、大群の方向を果てしなき星の海に向かせることもできるかもしれません。
月次の内容を含め、ミヅキローグライクはこれから色んな追加コンテンツがあるに違いません。最後は少し全体的にまとめると、最初のレユニオン編メインストーリーが見せてくれたのはアークナイツの大地と源石を中心とした世界観だとしたら、ヴィクトリア編のメインストーリーは私たちの視線をテラ諸国の文明に向かせ、そしてシーボーンを中心とした深海シリーズのシナリオとミヅキローグライクは、間違いなくテラの世界のより完全な一面を私たちに明かしてくれました。
ドクターが源石の公式を知っているように、海の中心に旧文明の研究所が残されており、大地、天空と海洋の中には、想像に絶する古き遺跡が隠されているのかもしれません。
一方で、北の大地で活躍している悪魔と星空の向こうにいる正体不明の存在は今の私たちにとってまだ知る術がなく、この全てが本来の姿で私たちの目の前に現れた時、またどんな災難が訪れることになるでしょう。私たちが唯一望んでいることはこのような悲劇は実際に起こらないことです。そして、ドクターの私たちはアークナイツを希望という名の道へと導くことができることを願います。