No.1伝言係を目指してもいいかなという話。

間に立つもの代理店の宿命である。「あなたのいる意味は?」を常に問われ続ける。たしかに間に入る者は無くても成り立つし、何かを生産しているわけでないので、居なくてもなんとかなるでしょという立場であることは否めない。
だからこそ、明確に私がいる意味を発揮しなければならない。

それと存在する意味を問われるときに指摘される行動はだいたいこれだ。「右から左に流しているだけ。伝言係をしているだけ。」こういうふうに思われたらほとんどの場合指摘が入る。

伝言という言葉で思い出すことがある高校の宗教の授業の時間のことだ。私はキリスト教の高校だったため、3年間聖書について学ぶ時間があった。その最後の授業でやった伝言ゲームのことだ。
なんの言葉だったか覚えていないけど、全然キリスト教とは関係ない言葉で伝言ゲームをした。1回も上手くいったグループはなかった。

それがなんの意味があるのかと思ったが、「これが宗教です。」と私たちの先生が言った。(宗教の先生は学校にある教会の牧師さん。たぶん正確な説明ではないがこういう人のことをチャプレンと呼んでいた。)
2000年以上の間、石板や紙の書き写しなどはしていたものの、結局は口伝で神様のお話をつないできたということ。それにはこの伝言ゲームのように正確ではないこと。だから、聖書というものがあるが結局何がもともと正しいことだったのかは分からないということ。

そう、伝言ゲームは難しいのだ。右から左に流すだけでも受け手乃思い込みなどで勝手に情報が書き換えられてしまうかもしれない。そのために、伝え手の背景・意図を捉えてポイントを受けてに伝えるという「中身は右から左かもしれないが、バックグラウンドまでを含んで受け取りやすい形に変換をする」ということがいる意味を発揮する一つの手段かなと感じだ日であった。

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