失敗の解釈の変換


私にとっての失敗の解釈は、おそらく、
最終宣告みたいなもの、
重ーーーーーく、しんどーーーーいもの
だった。

自分の事が恥とか、欠陥人間とか思っていたので

さらに失敗をするという事は
価値が0どころか、えぐれてマイナスになる様に捉えていたと思う。

これも、初めから言葉にして明確にわかっていたわけではなく、
怖い理由に気がついた時は25-6歳頃
新聞記者の方の取材を受ける、という稀な体験をした事があって
その時に会話してる最中に気がついたので
よく覚えていた。

何でこんな失敗が怖いか
隠したいくらいかというと
もう、価値がマイナスになったら、流石に生きると決めて生きているけと、キツすぎるからだ!
と分かった。

その頃は、怖い理由は分かったけど、
怖くなくす方法はさっぱり分からずじまいだったので、
どうたら良いのだろう?

と、悩みの種止まり。

失敗はそんなふうに捉えていたので
失敗の責任を取れない、受け止められない
逃げたい!
自分のせいではない!と言いたい。

34歳までは多分こんなだった。

仕事で関数の設計ミスをする。

心がとたんに焦る!!

この様に身体かもう自動的に反応してしまって、
結果対処に遅れが出たりする。

自分しか分からない、少しの遅れなのだけど
心がザワザワしてしまうから、
冷静を取り戻すのに時間がかかる。

世の中には自分のミスです!と言える人がいて
そして初動も早い人がいて、
そうなりたい、と思ってるし
カッコいいなあ!と思うし
その視点で世界を見たらどんなだろう??
と思っていた。

失敗にまつわる思い出を癒している段階。
失敗をするとね、
ゔっっ!!と逃げたくなるけど、
私が失敗をしました!
私のミスです!とあえて言う様にして
変化の途中。

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●失敗について私のメモ
【状態】
自分の責任だと言えない
逃亡したり嘘をついて誤魔化したい

失敗は死の烙印と思っている?
失敗が死と思っていたら、自分の生存権をアイデンティファイしているって事だ

【感情】
恥ずかしい
やっぱりダメだ
価値がない、と出てくる

【分解していく】

失敗すると怒られる
恐怖が染み付いてる
失敗すると無価値

なんでそう思ってるのだろう?

怒られる
恐怖
怒られている人はどんな人?

怒られる人はダメな人だ。
ダメな子だ。
ダメだよって怒られる。
失敗するのはダメな人だから失敗するんだ。
怒られるのはダメなんだ。
怒られるのは怖い。
良い子にしよう。
怒られない様にしよう。

怒られると置いてかれる。
要らないってされる。

あ、これ!ダブルバインドだ!

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ダブルバインドとは

私の失敗への恐怖の
原因のひとつかな、と思う事が、
ダブルバインドと言われる育児で使われる方法

●●しないと、▲▲(脅し文句)になるよ/するよ
という声かけの手法だ。

染み付いていて、自分でも使っていた。
子供がいうことを聞かないので、
使っていた時期がある。
ひとつの物事で、10回同じことを注意された、言われてやらなかったら▲▲だよ、と。

でも、使うのをやめた。
使ったので、子供に影響を与えたと思う。

子供が失敗を隠すようになった。
嘘をつくようなったからだ。


今、子供に与えた影響の責任を取っている。

親として、巻き返している。

ダブルバインドは私に失敗への恐怖を植え付ける事になった。

自分で自分の首を絞めるような解釈を
自分で、選んだのだけれどね。

言われてもへこたれない子供もいると思う。
でも、私は
額面通り言葉を受け取るので、
要らないってされるんだ、と思ったんだろう。

要らないってされても、自分のことを好きな子供であったなら、へこたれなかったかもしれない。

でも、自己肯定感が地の底だったので。笑

失敗という、物事の一時的なステータスに
自分の生存権を同一視したんだろう。

分かると、面白いなぁ!
書いてて重い内容だけど、今すごく自分が解明されて面白いです。本人としては。


ダブルバインドという声かけ自体は、子供に使わない方が良い声掛けとしてリストされているのは知っていた。

けど、失敗について自分に問いかけをしていて
ダブルバインドが自分に与えた影響を自覚したのは今年の4月、つい最近だ。

子供の影響も痛かったけれど、
自身までもNGワードを身をもって体感。笑


失敗への対処

ダブルバインドも使ってしまっても、巻き返せられれば良い。

自分の価値を見失ってても、
あなたは素敵だよ、
何が出来て、何が出来なくったって
あなたの価値は減らないんだよ、と伝える。
示す。
初めは外からでも良い。
植物に水をあげるように与え続ければ良い。
毎日毎日。

あなたにはこんなに素敵な部分があると
私にはそう見えているよ、と。

でも、そのうちに、外からの言に依存する事なく、ちゃんと自分で自分の価値を見出して

そして、本人が、
自分が好きだなぁ、と
それを腹の底から思えるようになれば。

マルだよね。

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