なぜ体罰を否定するのか
個人的に体罰は暴力と認識しているので、以降暴力と表記する
結論
法律で禁止されているから
という馬鹿が言いそうな説明をもう少し詳しく書くと
悪意を持って暴力をふるいたい勢力を止められなくなる
体感、というか社会で生きていればわかるが、大抵の人間は自己都合優先が当たり前で、暴力を振るう選択肢が軽くなってしまう。そして暴力事件が増えると私は推測する。
国際社会に老いてこの考えは当たり前になっているため、日本だけ取り残されて、損失が生じることが想定される。
そもそも体罰は法律違反
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/04121502/030.htm
これが私達の日本社会全体の現時点での結論だ。
これを覆したいのであれば法改正を行うための正規の手続きを持って改正し、合法になった後に体罰をすべきだ。
体罰を肯定する人たちの主張
かなり途中の、かつ一部の内容を抜粋したのでこの文章だけでこの記事の内容を決めないように。
アスリート、基成功者論に絞って否定してみる。
体罰と相性が良い、かつたまたま体罰を含めた教育が成功した人間は成功者の中にはそれなりにいるのかもしれない。
否定
しかし考えてみてほしい。多くの人間は凡人だ。
彼らは何をどうしても成功するはずがない。
その中で体罰をしたからなにかが変わるのか?
おそらくその中で良い方向に変わる、受け止める、解釈できる人もいる。
ではそうでない人は?
最悪鬱などの精神疾患や自殺などに至っているのはもはや周知の事実だろう。
さらに、体罰をそれなりにまともにやり過ごせた凡人にも隠れたダメージが存在する。
もちろん、精神疾患などで後ほど現れる可能性もあるが、
よりたちが悪いのが、思想感染だ。
「体罰は当たり前、いいこと」という思想が感染する可能性が高い。
さて、話は少し変わるが、私は「痛みを知る人は、その分人に優しくなれる」 は私は嘘だと思う。
極端な例で申し訳ないが、現状のイスラエルを見るととてもそうは思えないからだ。
話を戻す。
体罰を受けたからといって、体罰をやめるようになるだろうか。いやならない。
なぜなら現状法律で禁止されているにも関わらず、そうなっていないからだ。未だに小さな火は残り、子どもたちを苦しめているからだ。
体罰を肯定したあとに否定する
頭の悪い子に対して体罰は有効かもしれない、しかし
「頭の悪い子に対して体罰は有効」これについて、私もそう思う。
というか体罰は有効な場合は多いという可能性はあるはずだ。
しかし、しかしだ。
体罰は代償があまりにも大きい手段だ。
さらに教育という分野は未だ未知の部分が多い。
つまり、体罰以上に効果のある手段、並びに教育ノウハウの確立はまだ見込めるということだ。
そう考えると、体罰とは思考停止に等しい。
または、コストパフォーマンス重視の手段であると言える。
コストパフォーマンスが良い。いい響きの言葉かもしれない。
しかし考えてみてほしい。教育だ。そして、このコスト重視の負を受けるのはすべて子供だ。
少子高齢化については政府が警報を鳴らしているほどに重大な問題ではあるが、
育児で追い詰められて体罰を使ってしまいそうな方、または現状出ている方は育児、ないし感情のコントロールまたは知能の観点で育児に向いてないので何かしらのサポートや、最悪子供を手放すことを考えるべきだと思う。
暴力で亡くなるくらいなら施設に送ってあげたほうがまだマシだろう。
ここまで子供だけに焦点を当ててきたが、大人でも同様だ。
というか大人は体罰と称して殴られたらそれは労基なりなんなりへ駆け込めば捕まる。
子供だってそういった知識がないからそうしないだけだ。
つまり、子供にターゲットを絞って暴力を行使する連通は弱いものいじめとさほどかわらない。
力による強制力の恐ろしさ
体罰賛成者は犯罪予備軍だ。それに協力する連中も同じだ。私には詐欺師にしか見えなかった。
暴力、肉体的な強制力はなるべく使うべきではない。
しかし、それでも使うべき状況は確実に存在する。
自衛隊、警察、
民間でも警備員なども力による制圧を行う機会が存在するかもしれない。
私達は基本的に法による強制力で戦うべきだ。
もちろん、法律はすべてしっかりと把握している方が強い。
でも日常生活でそこまで理解しなくてもいいはずだ。
この暴力に対する抵抗について、老人と女性には特に強く賛同してほしい。
なぜなら男女において力による優位性が高くなればなるほど、このグループは不利になるからだ。