対話

内なる者との対話の末に・・・

朝の占いコーナーのラッキーアイテムが持ってない物ばかりで、残念だと思う今日この頃、どうしても耐えられないことがある。

今日もお気に入りのラジオを聴きながら、ご機嫌に車で通勤していたのだが、ちょうど家と会社の中間地点で嫌な予感がした。

『これは数分後にきっとくるな!?』と。

そして、IKKOが出てきたら「どんだけ~」のお約束があるように、それは私の予想通りにやってきた。

腸のぜん動運動が開始すると共に、キリッと下腹部を締め付けるような痛みが走る。

もうこうなると、痛みで他のことが考えられない。

そして、『もう正直、いくらでも払うから許してくれ』という支払い先がわからない中での神頼みを開始する。神頼みが到底通用する相手ではないことをわかっていながらも。

案の定、相手は片手を腰に据え、もう片方の手の平を太陽にではなく私に向けて真っ直ぐピンと伸ばして見せてくる。つまり、答えはNoだ。

立ち直りの早い私は、すぐさまアプローチを変える。

まず、相手に刺激を与えないよう心穏やかに対話すべく、思考を一点に集中した上で深呼吸を何度も行い、対話のスピードを意識的に下げることを行う。ここから全てが始まるのだ。これは、二流のネゴシエーターでも知っていることだ。

心の準備ができたなら、実際に対話を開始する。

しっかり、ゆるりとしたペースを守れば、相手の怒りは少しずつ和らいでいく。寝ている子供の周りをそろり、そろりと物音を立てずに歩くように、慎重に、慎重にだ。

やはり、基礎は大事だ。何とか相手を落ち着かせることに成功した私に快楽がやってきた。

『このままいけば、何とか無事に会社に辿り着くことができそうだぜ!』

ご機嫌な外国青年の声を吹き替えるには、あまりも声がマッチしそうにないので、心の中で呟くことで我慢して、その後何事もなかったかのように車を走らせる。

高架上の道路から降りたら、ランドマークのコンビニを過ぎれば会社までもうすぐだ。私は、手順書通りに高架上の道路から降り、目印のコンビニまでもう少しというところで、第2波の予兆を感じた。

少し、腸がせん動運動しているように感じたのだ。しかし、自分の思い違いの可能性もあるため、これは非常に判断に迷うところだ。

コンビニに寄って安全を担保しておくという方法もあるが、このままスルーしても、何だかいけそうな気がする~ のだ。


運命の分かれ道

私は、何だかいけそうな気がする方に賭けた。

しかし、その判断が誤りであったこと直ぐに気付くこととなった。

強烈なせん動運動が開始されると共に、第1波の2倍以上の痛みが下腹部を襲ってきた。苦痛で顔が歪むのと同時に、アクセルペダルの足に力が入らなくなる。

暴れん坊の1t以上の鉄の塊をなんとか制御している中で、これまでの記憶が走馬灯のように駆け巡る。

お父さんと二人で漫画の絵を描いたこと、妻と初めて出会った時のこと、子供が初めて立って歩いた時のこと・・・

もう後戻りできる距離ではない。心は決まった。

私は少しでも痛みを紛らわそうと、ハンドルをギュっと強く握りしめた。

それに応えるかのように流線形の四角い箱は、いつもの動きを取り戻し、目的地へと滑り出す。

『何も考えない、ただ運転だけに集中だ』

心の中で何度もリフレインさせながら、ただ正面の道路の一点に視点を合わせる。

ここで、何やら頭の中でメロディーが鳴り始めた。微かなエレキの音が次第に増幅してくる。

こ、これは・・・、"やさしくなりたい" 

"家政婦のミタ" のテーマソングだった斎藤和義の "やさしくなりたい" じゃないか・・・。

「ちきゅうぎをまわしてぇ・・・」

いかん、いかん、一緒になって口ずさんではいけない、集中、集中。

気を取り直し、ただ正面の道路の一点に視点を合わせる。

ここで、また何やら頭の中でメロディーが鳴り始めた。微かなアコギの音が次第に増幅してくる。

こ、これは・・・、"さよならエレジー" 

菅田将暉の "さよならエレジー" じゃないか・・・。確かに "やさしくなりたい" と雰囲気似てるけども、けども・・・。

「ぼくはいまぁ、むくちぃなそらにぃ・・・」

いかん、いかん、一緒になって口ずさんではいけない、集中、集中。

そんな雑念が入りながらも第2波を乗り越え、なんとか会社駐車場へと到達した。


安息の地へ

しかし、まだ道半ばである。駐車場から、レストルームの個室まで歩いて7、8分距離があるのだ。

シートベルトを外し、体の向きを90度回転させ、両足を地面に着地させる。そして、下腹部を極力折りたたまないよう、気持ち反り気味の姿勢で両太腿に力を加えて立ち上がる。

ここで第3波が来たら、もう持ちこたえることはできないだろう。そうなると、次回の社内報の見出しは、"いい年した青年ぶちまける!!" なのかもしれない。

そんな不安を抱えつつ、私は歩を進める。そして、最寄りのレストルームがある建物が見えるところまで、意外とスムースに来ることができた。時間にして、あと2分位で個室に辿り着くことができるだろう。

自然と私の足の回転サイクルが加速した。

『もうここまで来れば大丈夫だ』と安心した束の間、第3波が何の前触れもなくやってきた。

『前触れないなんて汚すぎる。クソっ!』やり場のない怒りと痛みで思わず奥歯を力強く噛み締めた。

正確な数値をはじき出すことはできないが、これは第2波の2倍、つまり、第1波の4倍位の痛みじゃないだろうか。私の人生の中で、"倍々ゲーム" というフレーズがここまでふさわしい日が今後到来することはないだろう。

個室まで距離にして10m。しかし、その10mが1kmにも感じる気分だ。

私は苦痛に悶絶しながらも左手を下腹部に当て温めると共に、足の着地は踵からつま先に向かって順を追ってスローリーに接地するようにして、少しでも下腹部に振動を与えないように試みた。

端から見たら旧型のロボットが動いているように見えているかもしれないが、私はなりふり構わず歩を進め、ようやく個室に辿り着いた。

コメディーだと大概ここで個室が満室というオチなのだが、幸い個室は全て空であり、私はいつも御用達の個室へと滑り込むことができた。


内なる自分との戦い

しかし、個室に入っても最後まで油断できない。なぜなら、個室に入ることで安心感を得てしまい、気が緩んでしまうからだ。

気が緩んでしまうと、最後の最期で残念な結果を招いてしまうため、最も警戒すべきタイミングであると言えよう。

"気の緩みは黄門様の緩み" とはよく言ったものだ。

仮に気の緩みを意識の高さでねじ伏せることができたとしても、もう一つやっかいなことがある。それは、ベルトを緩めることで下腹部への負荷バランスが崩れるという点である。

ベルトがある状態においては、ベルトの下腹部への締め付け力と、下腹部の力がバランスの取れた状態となっているが、ベルトを外すという行為はそのバランスを崩すことを意味する。つまり、下腹部に余計な刺激を与えてしまうであろうパンドラの箱を開けるということに他ならないのだ。

しかし、今はこのパンドラの箱をどうにも開けるしか術はなさそうだ。

開けると決まれば、あとは素早さ勝負である。内なるせん動運動が先か、ベルトを緩めて着席するという一連の動作が先かの戦いである。

私は来たる戦いに備え、予めフロントホックを外し、ジッパーを下げた。あとは、ベルトを緩めて、スラックスを下ろしながら座るだけである。

私は、ここまでやれることはやってきたつもりだ。だから、後悔はない。もう人間が関与できる域を越えているので、後はもう天に任せるしかない。

私は覚悟を決め、ベルトに手を掛けた。

『緩めて、座る、1、2の動作』ただこれだけだ。

私は予め作ったイメージ通りに行動を開始した。

ベルトを緩めると、直ぐ様 "せん動運動" もそれに呼応してくる。

私はこれまでにないスピードでスラックスを下ろし、着陸体勢に入った。せん動運動も負けじと、荷物を外部へと運び出そうとしてくる。

座面が競馬のゴール板とするなら、私の臀部(でんぶ)がそこに向かって先行逃げ切りで、まだ見ぬダークホースが追い込みという構図だろう。

着陸態勢の最中、一瞬時の流れがゆっくりとなり、座面と臀部がクローズアップされている画が浮かんだ。そして、ストップモーションムービーのごとく情景が展開されていく。

脳内判定の結果、タッチの差で臀部がゴールに到達したようだった。ただし、実際の結果は確認しないとわからない。

私は下を向き、何一つ見落とさないという気迫で入念に現地確認を行った。

結果は、私の完全勝利だった。


朝一から大きな仕事はやり遂げた私は、意気揚々とオフィスへと向かった。

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