JO1河野純喜と二度出会う
はじめに
当方生粋のジャニオタです。中2で嵐にハマり、Hey!Say!JUMP→Travis Japan(ジャニーズJr.)と追ってきました。
自担が文春にすっぱ抜かれて一時ジャニーズから離れるも、結局戻ってきてしまう。(きっと私にはジャニーズの血が流れています。前世はジャニーズだったのかもしれません。来世はLAPONEに就職すると決めました。)
日プの開催と1pickの脱落
日プの開催が決定した当時の私は、IZ*ONEをゆるく追っていました。(初めて好きになった韓国アイドルは少女時代です。歳がバレそう。)
ズワンちゃんを知ったのは結成後で、愛しのキムチェをプデュ時代から応援できなかったことを悔やんだので、日本で開催されると聞き、最初から最後まで見届ようと心に誓いました。
時は流れ無印ファイナル。私の1pickはデビュー評価まで残ったものの、11人に選ばれずデビューを逃しました。
「もしも推しがデビュー組だったら」という都合のいい妄想を繰り返し、その度に感じる悔しい気持ち。それに反して、約半年間応援してきた練習生たちのデビューが確定し、晴れやかな姿を見て誇らしく思う気持ち。私の心の中はかなり複雑でした。
とはいえ、JO1がデビューした3月には気持ちの整理がつき、彼らは多くのメディアへ出演していたので、見かけたら手を止めて見るという感じで応援していました。(2pickが汐恩だったので、少し気になっていたのもあります。)
ファイナルから数か月後、1pickは新設された事務所でアイドル活動を始めるのですが、ジャニーズの供給量に慣れていた私は、あまりの供給の少なさにどんどん気持ちが離れて行ってしまいました。
それと同時に、日本の芸能界で活動するためには、かなり大きな後ろ盾が必要不可欠なのだと痛感しました。
青髪最強河野純喜爆誕
運命はいつも突然にやってくるものですね。
STARGAZERのメインビジュアルが解禁されたあの日。
Twitterにトレンド入りしてたか、おすすめに出てきたか、はっきりとは思い出せないけど、JAMのみんなが「学園コンセプトだ!」って喜んでた(よね?)あの日。
青髪の河野純喜を見た瞬間、
え、、めちゃくちゃカッコいい、、、
思わず息を吞みました。
恥ずかしながらこの時まで、純喜は完全にノーマークでした。プデュ中に「ダンスは苦手だけど、そのかわりに歌でグループに貢献する」ってよく話してたのを覚えてる。
純喜、こんなにカッコよかったっけ?
なんというか、もうオーラそのものが全然違くて。かなり垢抜けて洗練されたビジュアル。
アイドルとして活動していく上で筋肉を落としたのか、かなりスタイリッシュになってる。
練習生時代苦手そうに上ずってた高音もなんなく出せるようになって、おまけに表情管理まで付いてきた。
まるで別人のように成長してて、
「あ、好きかもしれない」
そう直感で思ったのはきっとずっと忘れない。
まだ雑誌は買ってないから!
それから、追える供給は少しずつ追っていました。
伝説の子供が落ちるMVも、JAMの皆さんに混じって正座待機していたので、この時点で3割ぐらい沼に浸かっていたかもしれません。
ジャニーズJr.のオンコンの電波が悪くて、どん被りしていたSTARGAZERのリリース記念配信を見た記憶もあります。
その後、公式YouTubeのフリースロー対決を見てDVD特典が見たくなり、初回盤Aを購入。
この頃になると、母親に「あんたJO1にハマったの?」と気づかれ始め、「いや、でもまだ雑誌は買ってないから!雑誌に手出してないからまだ大丈夫!」と謎の抵抗。
しかしその数週間後に最強ビジュアルananを購入。(これだからチョロヲタは、、)
ジャニオタ VS K-POP仕込みランダムシステム
しかし生粋のジャニオタ、ここで立ち止まります。
これは果たしてこの先もハマっていくタイプの沼なのか。
はたまた片足だけ突っこんで終わるタイプの沼なのか。
どちらなのか暫く見極めなけらばならない。
だってJO1は韓国の文化も取り入れたアイドルだし、今まで担当のグッズを好きなように欲しい分だけ買ってきた生ぬるいジャニオタが、ランダムなんてシステムに順応できるはずない、、、
と悩んでる間も、カムバ真っ最中で終わることを知らない雑誌祭。さすが吉本と言わんばかりのバラエティ番組への出演。音楽番組への出演はJO1にとって貴重だと知り、噛みしめながら拝見しました。
そして気付いたのです。
これはもしや、だいぶハマっているのでは?
「ふむふむ。FCは月額制もあるのか。500円だしとりあえずいいよね!」と軽い気持ちでFC入会。翌月には純喜のプラメも契約。
JAM完全体へ
ここまでくれば、片足突っ込んだ沼にどんどんハマっていくのは秒です。
The STAR期、奇跡的に当てた純喜とのヨントンでハートをガッチリ掴まれ、CALLENGER期には推しの初センターを記念してCDを何枚積むバケモノに進化していました。
(ちなみに、ジャニオタ時代は1形態1枚ずつしか買わないタイプでした。)
あんなに怖がっていたランダムシステムも、自引きすることに快感を覚えてしまったのでもう後戻りはできません。
ああ。オタクの順応性、なんて素晴らしいのでしょう。
私、どこへ行ってもオタクになれる。
そう。きっと私は、
Born To Be オタク