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どうにもならないカラダと感情。

人生の大半を彼氏なんていない状態で過ごしてきたから、生理前後の心身の不調をあまり気にしたことがなかった。
仕事に行くのがしんどい…とか、立ってるのがつらい…とか。生理だし仕方ない。。。と思う程度。市販の薬が効くときもあるし、効かない時もあって、その時は痛みがおさまるのを待つだけ。

この歳になって、彼氏と毎日同じ空間で過ごすようになって初めて、自分のPMSの症状が結構深刻なのかもしれないと感じるようになった。年齢的なこともあるかもしれないが、最近は自分のダメな部分を並べて自らに突きつけるのは当たり前。落ち込んで急に涙が止まらなくなることもある。
そこに心配してくれる彼が居て優しくし接してくれたとしても、例えば何でもない一言で傷ついた気持ちになる。ちょっとした行動が目についてイライラする。口に出せば不快にさせることがわかっているから我慢する。その我慢がさらに状況を悪化させる。
当然のようにPMSという言葉さえ知らなかった彼にとてもガッカリしたけど、友人にその事を話したら、"男子なんてそんなもんだよ"と返されてさらにガッカリした。
そういえば新入社員だった頃、男性ばかりの部署に配属されて、上司に生理痛がひどくて…と休みの連絡をしたら「ハハハ。了解しました。」と言われた。その時、そうか…“生理”というコトバは使うべきじゃないんだ…と思った。一般社会では生理痛はハハハと軽く笑われるような事なのか…。“体調不良”という万能な言葉を使えばよかったのに…50代のおっさんに少しの理解を期待した自分に後悔したのを覚えている。自分が不快な思いをするだけだなんだと思い知った。
実際彼に生理痛の痛みをわかってもらおうとして「男子の大事なところにボールが思い切り直撃した時の痛みが数日続く感じだよ。」と言ったら、“ハハハッ!それはヤバいな”とやっぱり軽く笑われて終わった。
いや、笑うところじゃないんですけどね…と新入社員だったころの不快感が蘇っただけだった。


独りなら、だれも傷つけないでやり過ごせるのに、ふたりでいたら途端に相手を傷つけることにしかならない。おまけに自分のカラダもつらい状況。自分で状況を悪化させてそのすぐ後にそれを後悔してまた落ち込む。その負のスパイラル時期が月に一度やってくる。つい最近も、その負のタイミングが、月に2回の彼の子供が泊りがけで遊びに来る週末にきて、私の精神状態は最悪だった。タイミングが重ならなかったとしても、自分の存在や気配を消すように私物を片付けて彼の部屋をひとりで出て行かなければならないその日はいつもなんとなく虚しい気持ちになるのに、その時はもういろいろと重なりすぎていて心もカラダもボロボロだった。そういうときに、自分でさえどうにもならない感情を、彼がどうにかできるわけがなく、放ってしまった言葉やとった行動を後悔してまた落ち込む。でもその全てが本気ではないことを理解してほしい…。というのは都合が良すぎるのだろうか…?


PMSが発症する時だけは離れて過ごすのが一番いい。幸い今はそれができる環境にある。(今後それができない状況になったら…?という未来の不安は置いといて)彼もその方が楽だろう。厄介なことに気をもまずに済む。
でも、その選択肢を選ぶこともできないくらい寂しいというのもまた現状。ここ半年、慣れない土地に移住して話し相手は彼しかいない。友人も知り合いも、近所付き合いさえもない毎日。彼が仕事から帰宅した後、一緒に過ごす時間が唯一、言葉を交わす時間だった。
その時間を失いないたくないがために彼の家に通って家事をする事で自分の役割を得ている感覚。「体調悪い時に無理してそんなことしなくてもいいんだよ」と言ってくれた事もあった。でも、それがなくなったら今の私は何の為にここにいるのだろう…。そう思うと、家事をする事で自分を保つしかない。


世の男性にPMSについて理解を求めるのはやっぱり無理があるのかなと思う。こちらが仕方ないとあきらめてもっと違うことで一喜一憂したり悩んだりした方がよっぽど有意義な気がする。

そして私はもう少し自分に甘くいられたらいいのになぁと思う。楽観的にモノ事が見られたらもっと日々を楽しめるのに。。。