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ヒゲダンの『アポトーシス』が名作過ぎるので歌詞を1行づつ解説する。#1

『プリテンダー』あたりからの標準的なニワカファンの私ですが、曲を発表するたびに前回超えを繰り返してくるヒゲダンって凄いとずっと思っています。そして新曲の『アポトーシス』に至っては日本の音楽史上に残る神曲キター、と感じ、だいぶ休眠中のノートにも何か書いておきたいという熱いものがこみ上げてきました。

曲も歌詞も素晴らしいのですが、ここでは歌詞について勝手な深読みを書きなぐっていこうかと思います。表現物について、関係ない者が後付で講釈を垂れるなんてダサいことは百も承知なのですが、それでもこみ上げるものを抑えきれないのは先述の通り。古今東西素晴らしい歌詞というのはたくさんありますが、『アポトーシス』に関しては、いろんな人がいろんな解釈を加えることでさらに作品の良さが増す稀有なタイプだと思ったりもして。

ヒゲダンのほとんどの作詞作曲を手掛け、メインボーカルでもある藤原(ふじはら)聡さんは、歌唱力おばけであることはみなさんご存知ですね。また歌詞のユニークさも注目されています。単語の選び方、ゴロの合わせ方が独特で、曲の世界観、リズム感がさらに引き立っている、的な。あと僕は例えば『プリテンダー』の2番Aメロ部分、

「誰かが偉そうに語る恋愛の論理 何一つとしてピンとこなくて 飛行機の窓から見下ろした街の夜景みたいだ」

なんて語り口がちょっと村上春樹みたいだなあと勝手に思っているのですが、今回はそうした小説をも凌ぐ日本語によるイメージ世界を作り出していると感じるのです。

さて、あまり前置きが長くなるのもあれなので、さっそく行きます。まず動画を埋め込んでおくのでまだの方はぜひご視聴ください。Apple musicのCMでたくさんOAされているので、冒頭部分だけでも聴いたことのある人は多いと思います。ちなみに、アポトーシスというのは個体の組織の成長の過程で、プログラム化された細胞死のことを言うのだそうです。そのあたりも頭の片隅におきながらどうぞ。

訪れるべき時が来た もしその時は悲しまないでダーリン

一行目は、恋愛における別れの歌のような印象ですよね。ダーリンというのも、男性女性、どちらがどちらに語りかけているのかはまだわかりません。

こんな話をそろそろ しなくちゃならないほど素敵になったね

ここでもまだ恋愛ソングのような感じです。あるいは卒業とか何かのデビューとかポジティブなこと。予定されている、ということまではわかります。おそらく、テーマ性を際立たせるためにあえてそうしているのだと思います。

恐るるに足る将来に あんまりひどく怯えないでダーリン

ここで、訪れるべき時とは恐ろしいことなのだと明かされます。「恐るるに足らない」という表現はよく聞きますが、「恐るるに足る」というちょっと引っかかりがある表現をしています。このへんは曲に乗せたときの言葉のリズムの問題と、恐ろしいとストレートに言えない主人公の心情を表しているのだと思います。細かいことですが、なんとなくではなく、これもあえて考え抜いてこうなっているのだと思います。

そう言った私の方こそ 怖くてたまらないけど

訪れるべき時に対して恐怖を感じている主人公は、おそらく女性であることが明かされます。このあたりの、ワンセンテンスずつ世界に引き込んでいくテクニックもなかなかだなあと思います。

さよならはいつしか 確実に近づく

恐怖を感じるような別れ、それは「死」だろうとリスナーは感じ始めます。

落ち葉も空と向き合う蝉も 私達と同じ世界を同じ様に生きたの

そして「死」を具体的に示す題材が提示されます。空と向き合う蝉、という表現がオシャレ、と評判な部分ですが、大事なことは滴る緑や騒がしい鳴き声で盛夏を彩った植物や昆虫が、もう今は命を失って目の前にあり、そこに主人公が100%の共感を覚えているという点です。また、ここで蝉を出すことでこのあとのサビの部分の表現がより確かなイメージとなってリスナーに響いて来ます。

今宵も鐘がなる方角は お祭りの後みたいに 鎮まり返ってる

ここまでくると、鐘がなる方角というのは東西南北ではなく、「死」に向けた行末であろうことが理解できます。ただし、まだそこまで明確に定義していないことを覚えておいてください。祭りの後の静けさという若干手垢の付いた表現が陳腐にならないのは、「蝉」で夏の活動的なイメージをすでに伝えてあるので、その落差をリスナーがリアルに感じており、クリシェが上滑らないからだと思います。

なるべく遠くへ行こうと 私達は焦る

遠く、というのは距離的時間的な長さなのかちょっと曖昧にしてあります。なにしろ死が近づいて焦っており、それはどちらでもいい、という気分を伝えたいのではないでしょうか。ここでは焦りを伝えることを主眼としており、その焦りはこの後に続く「空っぽ」という表現、または全体に呼応するように作られています。

似た者同士の街の中 空っぽ同士の胸で今 鼓動を強めて未来へとひた走る

ここから視点が広がります。誰も彼も、みんな焦ってるでしょ、そこをカラ元気で未来へ向けて走り続けてるんでしょ、と主人公は強がります。「鼓動を強めて未来へとひた走る」という字面はとても前向きなのですが、文脈を追いかけると、主人公の内面はだいぶ後ろ向きなのが見え隠れします。「空っぽ」という単語は最終的に計3回使われ、その空虚なイメージを補強するモチーフもこの後いくつか出てきます。生に執着する虚しさ、みたいなものが大きなテーマだと言えると思います。

別れの時など 目の端にも映らないように そう言い聞かすように

確実にやってくる離別(=死)に対して見て見ぬふりをして、未来へと走っているんでしょ、と主人公は嘯きます。言い聞かせている、つまり自分を騙していないとついつい死と向き合ってイヤになるでしょ?とある意味達観を示します。

ここまでが1番です。こうして仔細に見てくると、主人公がちょっと(かなり?)拗ねている感じがして、どこかいじらしい感じもありますね。曲のメロディやコード感、構成がとてもスケールの大きい作りになっているので、1番だけ聴くとこうした主人公の心の揺れみたいなものが浮き上がりにくい感じもしますが、これが2番になると「拗ね」度が増して来て、それがまた聴く人の琴線をくすぐるようになっています。

単語選びの丁寧さに加え、フレーズの前後でイメージが呼応して増幅する、リアルになるという計算も巧妙なのがわかると思います。こちらも2番になるとさらにイメージの呼応がエコー化してリスナーの心の様々な部分に反響していきます。2番がスゴイんです。

と散々前フリしておきつつ、長くなるので、今回は1番までです。自分の熱量にタイプする指が追いつきません(笑)著作権上どこまでなら引用なの?という問題もあろうかと思うので、あと2回ほどの続き物にしようと思います。

よろしければ、「2番」、「大サビ~エンディング」の回も読んでいただければと思います。

(続く)



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立花新具
サポートのしくみがよくわからないので教えてください。