日本民藝館に行ったこと
最近「民藝」に関する本を読んだ。
鞍田崇著 「民藝のインティマシー」「いとおしさ」をデザインする,
明治大学出版会,2015
この本を読みながら、そもそも「民藝」がどういうものを指すのかを知らなければ、文中に出てくる「民藝ブーム」という状態があったことすら全く実感していないという事に気づいた。早く言えば私の興味外の出来事なのだ。興味が無いというよりも意識していないことと言った方が正確かもしれない。そして、文中の「何かしら不快な淋しさ」これの指し示すものが、言葉にされてもどうにも実感として分からない。ということで、現物をまず見てみたいというのがここに来た動機だ。とはいえ、見て、「はいこれです」と分かるものでは無いということだけは分かった上で、何もしないよりは少しは良いのかな・・と、その程度の消極的な動機である。
入る前にちょっと、自分の「民藝」のイメージって何だろうと考えた時に、端的に言うと五箇山の白川郷+かさこ地蔵(民話?昔話)で爺さまが作った傘という相当短絡的で断片的な印象くらいなもので、もはや、民藝=北陸、東北で作られた何かとしか思ってないでしょ自分ということに気づいただけだった。これでは民藝=かさこ地蔵か鶴の恩返しになってしまう。。
そして、8月某日、炎天下すぎる中、久しぶりに駒場東大前駅に降りた。少し住宅街を歩くと日本民藝館が突然現れる。
うわ・・・なんか、えっと、入りずらい。そして反対側を見ると西館(旧柳宗悦邸)がある。
いや、これは無理だ、絶対入れない・・・。大名屋敷っぽいのに、さらに屋根瓦のお陰でさらに堅固になっている。圧倒的、場違い感というか神聖なものを壊してしまいそう感というのか、ただなんとなく人様のお宅にお邪魔するようで緊張しているだけなのか・・・。でも折角来たしなと思って、若干挙動不審な感じで、受付に近づくと、
あ、どうも。木喰作の仏像のポスターに迎えられる。そういえば、だいぶ昔に、仏像好きな友人に円空と木喰の仏像がものすごい数並んでいる展覧会に連行されたことを思い出す。その中の一つ、木に直接彫り込まれた愛媛かどこかで発見された仏像に吸い込まれるように目を奪われ、心に彫り込まれた事を思い出す。心には彫り込まれたが、どこのなんという仏像かをメモしていなくて、その後、どう検索しても出てこないので、会いたいのにお会いできないでいる。
そして、この笑顔になんとなく許されたような気になって、というかこの笑顔にもう背中は向けられない・・・チケットを購入した。
「お邪魔します」と心の中で唱える。
「先に西館どうぞ」と案内されたため(その日は偶然解放日だった)。ちょっと重たい木の扉を開けて、入ってみると、土曜+限定公開日なこともあって意外と人が多かった。そして、中は威圧感はなく、木造の田舎の家なのだが、梁とか柱とかそういう部分の重厚さや、歩くときに少し軋む音がする階段や廊下や木の香りは、確かに白川郷でも同じなのだが、昭和初期の建築だけあって、書斎などは和風だけど洋風だ。昭和初期の文豪達ってそろってこういうところで本を書いていたんじゃないかなと思わせる部屋だ。そして、もっと特徴的なのが1階の食堂で、大きな丸いダイニングテーブルと椅子がある洋風の空間の奥に、掛け軸がある床の間??がある。それが洋と和がすっぱり分けられながら同居している不思議な空間だった。後で調べたら、客間らしい。よく考えるとこの設計は、お客さんのおもてなしがこの一部屋で完結する効率の良いものだ。たくさん来客があったらしい。えっと時代っていつだっけ?と思うような造りだ。明治から昭和初期までの家を一気に見せられた感じというのだろうか。新しいものと古いもの、「物への愛は日々の暮らしに根を下ろさなければならない」という柳宗悦の言葉を少しだけ思い出す。
とか諸々考え事はあったのだが、かなり人が多くなってきたのと、やっぱり、人の家の書斎とか、寝室とかを観ているのがちょっと落ち着かないので、後ろ髪引かれながらも外に脱出して、チケットを買った本館に戻る。
本館の方は西館よりも入った瞬間から「洋」の印象が強くて開放的だ。そして、展示なのか、館の備品なのかはガラスケースの有無以外はもはやよく分からない。そして、私が民藝のイメージど真ん中の、東北地方でつくられたお面や陶器、藁で編んだ雪草履・・・そうそう、これね、と思うものもあるのだが、朝鮮や中国で創られた、描かれたものの展示の前で足が止まる。
分厚い冊子だ。1ページ30cm×40cmくらいの大きさがある。そこには縦書きに書かれた全く読めない真っ黒な文字ととても繊細な筆致の絵が周囲に描かれていた。しばし、その得体の知れないたくさん詰め込まれた真っ黒な文字のカリギュラフィーと柔らかな絵の対比に見惚れていた。あ、これ、多分サンスクリット語が、中国に入ってきて縦書きになったものだ。実際に見るのは初めてだった。そして、占いの様子を記したものであると解説を読んだところで、本の一節を思い出す。
そこにあるのは、自然に即さざるを得ない、活用せざるを得ない生活だ。今と違って当時は、占いで田畑の位置を決めたりしていた。占いの結果が生死に直結する。人間て実はランダムに選択するのが苦手だから、今では、この占いという方法が実は偏りを防ぐために功を奏していたのではないかという説もあるけれど、当時の人たちはそんなこと知らない。ただ、生活のために行い、その方法を伝えるためにこの膨大な量の字と絵は描かれている。書道で言うような、掠れと滲みで奥行きを出し、白や黒の美しさを表現する事を目的としていない。「伝えるため」だから詳細な絵が必要であり、ベッタリとした墨で読めるように書かれる必要がある・・ということか。
この朝鮮や中国からの展示品、特に書と絵が融合したものが、その都度目にとまる。あの墨の黒さと蛇のような不気味さに少しだけ愛らしい絵が足されたあの感じが妙に、私にとっては落ち着く。これが鞍田さんの著書の「愛おしさ」なのかどうかは分からない。そこに結びつけるのは超絶短絡的だ。多分、自分は、字を字として見なくて良い、読まなくて良いのが、楽すぎて、そっちに流れたいだけだと思う。ただ、人によってはあの漆黒の文字に不穏さを感じるかも知れないなと思いながらその部屋を出る。
しかし、もう字は読まなくて良いという謎の開放感から、棟方志功の版画は何も考えず表現だけを見ることができた。背景が掠れて読めそうで読めない描き殴ったような文字の羅列、さらに全面に字面を隠すように人の画のある作品は、強烈な怒りの表現として素直に受け取って、字は読まない。あの怒りの裏に流れているのが淋しさなのかも知れないなと思ったりはするけれど、これはこういう表現だから、潔くその表現に殴られていれば良い。作品の見方が解放的になっていく・・。そして、この謎の解放感は、この空間にも起因すると思った。展示されている空間が、広めの板の間で、古い小学校の教室の扉や廊下の窓がなくて広い空間になった感じというのだろうか。なんとなく、長野県松本市のあがたの森の旧松本高校校舎を思い出した。こちらの民芸館本館は、西館の柳邸と同様に、詳しくは分からないが、時代が融合された内部のつくりで、出窓があって鹿鳴館にあるような椅子があるけれど、その外側には大きな、醤油作りに使いそうな壺があったりする。展示品なのか、館の備品としてなのか一角に非常に精巧に彫られた木の時計があるが、針は今の時間じゃなくて止まっている。ちょっと不思議な時計だったのでしばらくぼーっと見ていた。それを通過して展示を見れば、今度はイスラエルや南米等、異国の展示も並んでいる。そんな中で、時間を知らせる、振り子時計の鐘のような音が、突然鳴る。えっと、ここはどこで、今何時? 西館の中では時代だけあれって思ったけれど、こちらの館の中にいるとさらに時間も空間もが歪む感覚があって、最終的にはそれに心地よさを感じ始める。正しい時間を確認しようと思ったがやめた。退館時間が近くなったら誰かが教えてくれるだろう。
陶器もたくさん展示されている、だいぶ、この辺で見慣れてくる。何に見慣れてくるかというと、「いびつさ」だ。この館の展示を見始めた頃に思ったのが、どの作品も「いびつ」に思えるということ。編まれたものでは元々の素材からかそこまで感じないのだが、全ての陶器にどうにも「いびつさ」を感じてしまう。電動ろくろを使わない陶芸を経験すると分かるのだが、とにかく真っ直ぐとか並行とか、左右対称なんてほぼ無理だ(ちなみに私は、小学生の時3年間「焼きものクラブ」に入っていて、小学校に炉があって焼いてくれるのでお遊び程度に作りまくっていた時代がある・・。)ここにあるのものは、もちろんそんなものとは比べ物にならないくらい形が良くて精巧に作られているし、そういうものが現在に残っていると思う。それなのに、少しの傾きやほんの少し左右対称になっていないことが気になってしまっていた。これはもう、今、自分が住んでいる部屋や生活空間の中に、こういう多少なりともいびつなものが、全然無いからなのではないかと思った。
思えば、本当にない、機械で作られたものは、基本左右対称だ。非対称な器とか見た事ない。デザインとか意味や理由があって、そういう形にしていないと、なんとなく斜めとかは不良品にされてしまうから、日常目に入らない。「平凡」の中だと歪みは個性だが「平均」となった時にはそこからちょっと(機械で感知するような微々たる差)でも外れると不良品になってしまう。だから、ほんの少しの傾きとかに多大な違和感を持ってしまうのだろう。この茶碗が自宅にあったら、かなり違和感ある。違和感があるもの、というだけで美しいととらえられるだろうか。この、時空か少し歪んだような空間の中だから生かされるのかもしれない。そういえば、鞍田さんの著書に戻ると、
こんな風に書かれていた。私は、民藝どころか建築についても無知なので、この内装を時空が少し歪んだようなとしか表現できないことが悔しいけれど、言わんとしていることの断片には触れられているのだろうか。
この空間に慣れてくると、いろんな作品(制作物?)を見た時に、あ、これ作った人左利きなのかなとか、ちょっとの差にそれを作った向こうの人を想像し始める。左右対称の美しさとか揃ったものの希少さって、昔から追い求めていたものだったはずで、人の体は、利き手、利き目、利き足、癖があるのだから歪んでいるし、歪みすぎると良くないので治そうといろんな事を試みる。でも、それは結構難しい、というか完全にはできない。でも、物や道具ははるか昔に、機械で作る上でそれを達成してしまった。揃っていて当たり前になってしまったのだなと思った。
たくさんの展示のある中で、私の「民藝」というものへの理解は上記の程度だが、その中で少し、いや、かなり感動したのが、久しぶりに見た「水滴」だった。これは、今では「水差し」と言われる書道用品で、展示してあるものは、亀の形をしていた。この形は歴史の物語の中で書かれているのを読んだり、見たことがあったが、実物を見たのは初めてだった。あの、亀の口の注ぎ口は水が多すぎず少なすぎず出るように、多分ものすごい工夫がしてあるのだろう。墨を摺って大量に木簡に書き写さなければ、書類ができない生活の中では、適量の水を注げる道具は書き写す効率を上げるために必須だったのだろう。意外と、摺った墨って水がどんどん蒸発する。そして、その道具が亀というのがすごく良いなと思うのだ。やたらと外観も凝っていて、そのためにツルッと滑らないのかなとも思う。と同時に、墨と筆の生活でない、使ったとしても墨汁でことが済んでしまう現代で、これはもう絶滅に瀕しているのかなと少し淋しくなった。でも、そういうことなんだな、多分。
そして、最後に今回の展示の要になっている三体の木喰像に出会う。
館内でここだけは撮影可能になっていた。
ここまで来たら、もう言葉は要らない。見つめたら良いと思う。
ほとんど全ての展示を見終えて外に出る。入り口と出口は同じ扉だ。
16時30分くらいだったか、もちろんまだ日差しは強い。
そして、あれ、なんか違わないか?というか、やたら木の幹とかを見てしまう。↓こういうのとかです。。。
もはや、平行とか左右対称じゃない、整然としていないものを目で追いたくなってしまう、というか勝手に探す。そして、あれ?
こんなところにお地蔵さんいらっしゃいました???
来た時、緊張していたのもあるけれど、全く目に入っていないのだよ。
で、また、ちょっと「かさこ地蔵」の話を思い出してしまう(流石にしつこい。。)
いや、その民話自体じゃなくて、その解釈の話なのだが、印象的で忘れられない。もう相当前、まだ自分就職したばかりくらいの頃、確か1月2日、仕事帰りに電車に乗っていた。その時に、ラジオをイヤホンで聴いていて、そこで話されたものなので、真偽はよく分からない。調べたけど、原典にはいまだに辿り着いていない。
「かさこ地蔵」の話の中に、お爺さんが、正月に食べるものが無いので、傘を作って売りに市場に行ったが、売れなくて、さらに帰りに吹雪になって、そこでお地蔵さんを見つけて、あまりに寒そうだから、売れなかった傘を5体の地蔵に被せて、さらに足りないから自分の被っていた手ぬぐいまで最後の1体に被せて帰ってくるという描写がある。でも、雪深い山村だから、行きにも雪に埋もれたお地蔵さんはいたはずで、でも描写がない。行きと帰りで道を変えるのは考えずらいし、帰りは吹雪の描写なので余計に雪に埋もれて、お地蔵さんたちは見えずらいはずなのだ。なのにどうして、帰りに発見したのか? それは多分、行きは売るという目的があってそれを考えているから、見えていない、または見えていても何も思わなかったんじゃないかという説だった。だから、これを売って、正月の食べ物を手に入れようと思っていたその期待が裏切られて、一緒に作ってくれたお婆さんにも申し訳ないと思いながら、さらに吹雪にも遭って、すごく惨めな気持ちになった。その状態になったからこそ、吹雪の中に立っているお地蔵さんを見つけて、自分と同じ状態をそのお地蔵さんに感じて共感した。単なる善行、信心深さ、思いやりという話ではなく、何かしらの利益を考えていた時は気づけず、そこで失敗した時に、行きと帰りで見る世界が違ったというストーリーなのではと、そのラジオでは語られていた。この説についてはどこにも無いので、そのパーソナリティの作った話かもしれないし、描写されていない=見えていないと決めつけるのはご都合主義、こじつけ、無理筋と言われればそうかもしれない。これを聴いた時に今まで考えたこともない解釈にぼーっとしてしまい、最終電車だったのに、通勤快速で降りるべき駅を乗り越し、始発までファミレスにいたという経験付きで覚えている。
これと「民藝」とを強引に結びつけるつもりは全く無い。なんというか、今日、こんな昔のことを呼び起こされるくらい、短時間で確かに行きと帰りで見えるものが違った経験をしてしまったというだけの話だ。人によっては「錯視みたいなもんだよ」と言うかもしれないし、それならそれでも良いし、実際、理論的にはそうだろう。私にとっては、全然知らなかった「民藝」と「日常、生活」についての距離が、ほんの少しだけ縮まった体験、えっと・・・縮まったとかではないか・・距離感が朧げに見えた、そんな体験として、そっとしまっておきたいと思う。
<引用文献>
・鞍田崇 , 民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする,
明治大学出版会,2015
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