シアスター・ゲイツ展・その2
ということで後編と思ったのですがさらに長くなったのでその2にしました。
そうなんです。「アートは生活から離れすぎたんじゃないか…」というのが、帰りの53階下るエレベーターの中でふつふつと思ったことなんです。なんか、いきなり「ですます調」になってしまったけれど、これを考えるのはかなり壮大な事になりそうなので、その前にまず、この感想が湧いてきたきっかけとなった展示で感じた「違和感」に焦点を当てようと思います。(また、長くなりそうだ。。)
さて、今回の展示の入り口に置かれていたパネルにゲイツ氏の書いた文章が掲げられていた。その中の一文に、こう記されていた。
「本展はブラック・アートに特化した展覧会ではありませんし、民藝品を再生産しようという試みでもありません。「アフロ民藝」は融合とも衝突とも異なります。むしろ、ものづくりと友情を通じて、人が文化の持つ影響力の可能性に身をゆだねた時に、何が起こるかを示すものだと言えます」
この文章を読んで、正直かなりの「?」が浮かんだ。そして、この時点でとにかく作品に身をゆだねるしかないなと思った私が、この展示を回ってみて、観終わった時、それでも今回の展示が融合であり衝突であると思った。ただ、同時にそれは決して人種とか民族性に対しての融合や衝突ではないとも思った。
シアスター・ゲイツ氏が、日本にやって来て、重ね合わせたものがあるのだとしたらそれは、前回の文章で説明した民藝から感じ取った「圧」と彼が創るものの「圧」だと思う。(この「圧」という言葉については前編を参照いただければと…)単に日本の陶芸の技術を融合させたものでも、形式を取り入れたわけでもない。ここに置いてあるのは、彼の提唱する「ブラックイズビューティフル運動」を、陶芸という技術と日本の「民藝」という名もなき民衆の文化的抵抗の物語を彼が葛藤の末に「翻訳」した結果生まれてきた作品たちだ。そして、どう翻訳されているかが作品によって、というか展示する場所によっても違うのだと思う。そして、ここで言う「翻訳」って、融合と衝突の先に生まれるものであるように思っている。
私は、ほんの少し前まで、「翻訳」という言葉の意味をあまり理解して使っていなかった。ただ、他の言語に置き換える、当てはめるというような意味としか思っていなかった。けれど、この翻訳という作業は衝突無くしては行えない作業なのではないかと最近思うようになった。文化と文化がただ融合するなんてことはあり得ない。歴史を含め文化、言語の成り立ちに差異が必ずあるからだ。人間が言葉を使って考える生き物である以上、その言葉が翻訳される時に、背景にある文化の構造や差異の影響を少なからず受ける。そして、そもそも言葉が表現できるのは、その実際の事物や現象のほんの一握りだけだ。表せないものの方が多く、さらに言語や文化が違えば、その国に無い言葉(無いので自覚されないもの)が無数に存在し、大なり小なり透明な衝突を余儀なくされることは間違いないと思う。そして、衝突のない融合は融合ではなくどちらかがどちらかに同化しているだけか、無いことにされている状態だ。文化は交錯せず表面を合わせた状態になる。そして、本来重要なのは、融合したり、衝突したその先に、どのように翻訳されたかなのだろう。その結果生まれた作品を私たちは鑑賞している。そして、鑑賞者もまた、衝突から跳ね返ってものを見た時に何かを自分の中に「翻訳」しているはずなのだ。(「翻訳」という言葉についてはかなり思うところが多く、もっと掘り下げる必要があるので別に文章を書くことにしたい)
だいぶ脱線してしまったので話を戻すと、前編では、今回の展示と日本民藝館の展示を観た時に同じ「圧」を感じたというものであったが、後編では違いについて書きたいと思う。そこから、今回感じた違和感につながればと思う。
まず、民藝館では、前述したように2時間あの館に入っていると空間が、今までの、平行垂直に慣らされた世界を是正されるような感覚があり、建物の空間に馴染んでしまう。外から来た人間を一瞬同化させてしまう感覚に陥る。だから中に入る時、そして外に出た時に、ものの見え方が変わるような、ここで普段の生活を外側からみるような体験をした。対して、この森美術館ではどうだったのだろうか?この美術館の展示区域自体が広大で、天井も高いし、彼の作品の「圧」で窮屈にならないように、間合いをとって展示されている環境だった。そこに、世界観の統一をするかのようにお香の香りがあったり(それも作品の一つ)、音楽がうっすら聞こえたり、蔵書の展示は彼の部屋にいるようだったし、陶器の貯蔵庫をそのまま持ってきた展示もあった。このスケールは森美術館のような広大な空間でないとできないだろう。言ってみれば、「アフロ民藝」の世界観一つひとつに没入できるように工夫され展示されていた。しかし、その作り上げられた空間の中で、私は最初から最後までこの展示環境に慣れなかった。多分、日本民藝館にいた時よりも、長い時間過ごしていたし、結構蔵書も立ち読みしていたと思う。それでも、ずっと展示と周囲の環境の不協和音を感じ続けた。最初は私の集中力がないのか?と思っていたが、だんだんこれ永遠に慣れないようになっているのではと思い始めた。これは、いったいどういう事だろう。
この作品たち、こういう場所に置かれることでの「圧」は、民藝館のような場所に置かれる時よりも、はっきりとその存在を主張する。緩和されない。その上、この計算され尽くされたホワイトキューブ(真っ白で絵画や展示の邪魔にならないように作られた鑑賞のための空間)は彼の作品が主張すればするほど、その「圧」を全て反射するだけでなく、その無機質な白い環境もまた目に入る。なんというか、影に対してそれと同じ分だけ光を反射する鏡のような役割を果たしてしまい透明になってくれない。絵画を額に入れて平行、垂直に飾るときとは違って、今回の展示ではその無機質な環境が完全に作品との間に妙な距離感を作り出し、光と影がぶつかり合うような不協和音を感じる瞬間が至るところにあった。おそらく民藝館のような場所では空間によって緩和されていた作品の傾きや特異な形やうねり、色が、この中では変に強調され、一つの美術館の中で、民藝の世界と平坦な都市の世界を短時間短距離で行き来させられてしまう、その感覚的な移動に少し酔ってしまう感じになると言えば分かりやすいだろうか。しかもこの展示は味覚以外の全ての感覚を使う、使わされる。これが、屋敷ごと切り出して、自然に馴染むように展示品が置かれ、空間全てを民藝と捉えることによって、民藝の美しさが表現される日本民藝館の展示と大きく異なる点である。日本民藝館の展示が融合だとしたら、こちらは明らかに衝突だ。もちろん衝突しているのは、このホワイトキューブに対してだと思う。作品たちは、この空間にぶつけるように置かれているように見える。そして、そこから跳ね返ってきたもの、その衝突した不協和音とも言える距離感を私たちが受け取るときに何かが「翻訳」されるはずなのだ。翻訳の本来の使命は、おそらくそこにある。
シアター・ゲイツ氏は愛知県常滑市に関心を持ち、そこに根付く陶芸文化と自身の作品を融合させてきた。第2の故郷と呼んでいるほど、地域の人達と一緒に自身の創造性を育んできた場所として重要な拠点だと話している。2022年に行われた愛知芸術祭の時の関連動画で話す姿がとても印象的だった。今回のポスターにあるような刺すような視線はそこにはなく、とても柔和な印象だ。そして、その時の展示は、旧丸陶管の休眠状態の住宅の特徴を活かし蘇らせるような展示であったという。これは、どちらかというと日本民藝館と同じように、建物ごと空間ごと表現された展示であるように思う。そこでは、ブラックアイデンティティーと日本の哲学の融合というテーマに基づいて、ワークショップや音楽イベントが開催されており、融合という部分が前面に打ち出されている展示と言えた。それは20年関わってきた常滑市であるからこそできたものなのだろう。
そして、今回の東京森ビルの大規模な展示だ。
実はこの展覧会を知った時に、私は展示される場所に驚いた。世界的なアーティストで大規模な展示ということは分かっていたが、森ビルと民藝がどうしても結びつかなかった。というか、単純にどうして53階まで登らなくてはいけないのだろうと思った。商業的な理由かもしれないし、その辺は考えないようにして美術館に向かったのが正直なところだった。しかも、エレベーターで上がる前に掲げられている巨大なこのポスター。なんかもう、一見さんの私は最初から怒られている気分になってしまう。日本民藝館に行ったときも、圧倒的場違い感に入り口でもじもじしてしまったが、あの時は確か木喰像のポスターに微笑みかけられて、入れた。しかし、今回は完全にブロック感しか無かった。これ、歓迎されてない・・・。
そして、今回の展示を見終わった後、冒頭に書いたように「アートは実際の生活と離れすぎたのではないか?」という感想をもった。これは、何周か思考が回ってからの感想ではあるのだが、作品の傾向がとか作品そのものではなくて、おそらくホワイトキューブという環境と作品との距離感から感じたものだ。もっと言えば、前述したように作品自体の発する「圧」と平行垂直を好むホワイトキューブの反射の仕方の不一致が不協和音を作り出しているように思う。ただ、この不協和音を間近で強く感じてみて、民藝がかつて「下手物」扱いされていたという状況も感覚的に少しだけ分かり始めた。(実はこの状況が私には本を読んでも民藝館の展示を見てもよく分からなかった。)だから、生活空間ごと没入させる展示が必要だった。この空間に民藝は馴染まない。ただ、私の中で今回生じた「翻訳」は少し違った。この不協和音を感じた後で尚、民藝はやっぱり民藝館のような場所でのみ展示された方が良いとは全く思わなかったのだ。
日本の民藝運動の主唱者である柳宗悦氏は、著書の中で急速に進む商業主義、機械主義に対して民藝を「偉大な平凡」「用の美」と表現し、「美しさのために作った器よりも、用のために作った方がさらに美しい」と書いた。使うことを目的として作られたものが使われることによって培われた生活の中での美に価値を見出した。それから100年経った今、この都市生活の中では、生活空間自体が、ホワイトキューブ寄りになっている。しかもここはその象徴と言っても過言ではない森ビルだ。確かに作品を展示するための場所ではあるけれど、どちらかというと展示作品よりもホワイトキューブの環境の方に日常性を感じるような人たちがぱっと見生活していそうな場所だ。この美術館は、つくられた都市の延長のように感じる。都市からスルスルっと53階の美術館まで来てしまう。という意味でここでの展示は、日本民藝館の展示とは全く違う「翻訳」になっているのではと思った。つまりは、ホワイトキューブが「日常」で、展示されているものの方が体験くらいでしか触れる機会のない「非日常」の象徴である。そして、非日常と言っても、以前はこれが多くの人の日常であったということであり、まずその年月の距離感と差異をはっきりと自覚させられる。ホワイトキューブは、本来作品たちの魅力を増幅するべく考えだされた空間だ。そして、平行垂直、等間隔に作品を並べるとでより強化される。そして、この増幅装置の恐ろしいところは、増幅する一方で繊細な「圧」は反射されない。インスタント品はもとより、中途半端な圧は、この圧倒的な白と巨大な空間に吸収されるか何も響かないまま床に落下する。そして、見る側に伝わらず「翻訳」されない。無いことになってしまう。実はこのホワイト一色の壁って、広くて自由で展示しやすそうに思えるが、飾った瞬間にかなり作品を選別してしまう空間でもあると思う。また、作品を並べるときにも、平行垂直(均等)を無言の圧で求めてくる、なんというか間接的に支配してくるような一面を持った展示空間とも言えると思う。
これなんとなく、都市構造そのものにも言えるなと思う。例えば、この造られた巨大都市の中で言うならば、再開発のために立ち退いた雑居ビルやら、残った中でもひっそりと存在するお店だったり、そこに根付いていた人の暮らしに例えたらどうだろう?たった数年前の出来事がすでに新しいビル群の印象にに塗り替えられ、元の景色はまったく思い出せなくなっている。ちょっと例えはおかしいけれど、「平将門の首塚」くらいのインパクトがなければ、隠されてしまうのだろう。
しかし、今回の展示では、配置からして、かなりの偏りや様々な仕掛けがあり全く均等ではない。具体的に言えば、常滑の職人と協働して作ったレンガが床一面に敷き詰められていたり、白い壁が完全にまっ黒に変えられていたり、2万点もの陶器が壁を覆い尽くしている状況もある。作品自体も配置も含め、このダイナミックレンジたるや相当なものだ。それでも、やはりここに展示する以上、ホワイトキューブ側の「圧」を完全に消すことはできない、前編で書いたゴスペルの残香のようなものがホワイトキューブ側にも存在するということか。(「白」ってこんなに扱いづらい色だっけ??)・・・空間から感じる「圧」と視覚的な印象が合わず、どこかでぶつかりあう。一方で、白一色の壁をそのまま使っている展示では彼の作品たちの「圧」や癖、うねりのような特異さを極端に増幅させられていると言う印象を持った。もうね、これ、ずっと衝突し続けている。従うか無くなるかの2択しかないように見えるホワイトキューブの展示でこれだけ衝突できるのは、彼の作品のスケールと何より背負ってきたブラックアイデンティティという背景の「圧」でこの美術館を箱ごと鳴らせる存在だからであると思った。
彼のとあるインタビューの中で、アメリカの陶芸と日本の陶芸の違いや、常滑で作品制作をする中で、黙々と無心でその作業自体に没頭し生み出すということを日本に来て初めて学んだと語る場面があった。日本古来の職人的な哲学や自然観、不規則性が、彼の中にアメリカとは別のもう一人の陶芸家を生み出したと語っていた。上書きでも融合でもなく、自分の中にアメリカと日本のニ人の陶芸家がいると表現したところがとても印象に残っている。彼の作品自体は、使われるものというよりは現代アートという捉え方の方が合致する。前述したようにすでに歴史といってもよい非日常なのかもしれないし、「用の美」と言うにはこの巨大な陶器たちを一体どうやって使うのかも想像がつかない。しかし、この無造作に置かれたような、ゴツゴツした庭に石が転がっているような陶芸の展示も含め、この作品たちが発する「圧」は背後にあるたくさんの群衆を想起させる力があり、この場所で手を変え品を変え増幅し、ホワイトキューブにぶつけられている。これ、一貫してホワイトキューブに対して抗い続ける展示を来場者は目にし続けるわけだ。この空間に永遠に慣れない理由、不協和音の答えはおそらくここにある。
この展示はシアスター・ゲイツ氏の個展とされているが、彼以外の作品も多数展示されており、ものすごい物量の常滑の職人がつくった陶器や作品も展示されている。彼が日本の文化や日本人の特性をどう見ていたのかについて詳しいところまでは追いきれなかったが、寡黙な職人気質の人達が創り上げる作品を、民藝運動とは別の方法で最大限の敬意を払って、この53階まで連れていき、ホワイトキューブにぶつけてきたのではないかと思う。たった一人の常滑の職人が作った2万点もの作品をいわば人生そのものの展示として全て彼は持ってきた。この展示を見て何も感じない人はいないだろう。
冒頭に書いた展示前に掲げられていたパネルの文章には続きがある。
「民藝運動には多くの成果もあれば批判もありますが、私にとって重要なのは、民藝がその土地に根付く作り手に敬意を払い、外部からの文化的アイデンティティの押し付けに抵抗するその方法です」
彼は、日本の文化でホワイトキューブ(のようなもの)に抗う方法の一つを今回の展示の中で示しているように思う。そして、これは2022年の愛知芸術祭の動画の中で常滑という地域との出会いに感謝と恩返しをしたいとしきりに話していたゲイツ氏の最大にして最高の敬意と友情の表し方ではないか。彼の体の中で2つの国の文化が衝突や融合を繰り返しながら「翻訳」された作品たちであるからこそこの衝突ができるのだと思った。何より、冷静に考えて地方のthe職人の中で、そのど真ん中の陶芸の技術を学ぶこと、これは日本の中だってかなり大変なことだ。まして異国の方が、20年もの間その土地に根付いているということ自体に驚く。私は、スポーツの現場で異国からの指導者が「日本では日本ぽい考え方ができる指導者しか受け入れられない」と離れていく場面をかなり目にしている。それくらい「お家芸」とも言われる分野で、たとえその道の第一人者であっても、いや、あるからこそ深いところで関わることの難しさに直面するのではないかと思う。そして、彼の作品をみていると、これ、指導したというか関わったであろう職人たちは、日本的アイデンティティや流派的な諸々を押し付けることをせず、アメリカのアーティストとしての彼の方法を尊重した関わり方をしたのだろう(想像に過ぎないけれど)と思った。それは、何より常滑の職人たちの作った陶器と彼の陶器を連続して目にした来場者は一見してわかるだろう。そうでなければこんな形での敬意の表し方はしないはずだ。そしてこの方法は、名も無き寡黙な職人たちに足りないものというか、思いつかないものを示唆し補完してくれてもいる。この衝突の仕方は、ゲイツ氏が体で学んで「翻訳」した日本文化や日本の陶芸、民藝を通してからしか気付けない、同時にアメリカのアーティストである彼にしかできない方法なのだろう。
観る側も同じだ。あのポスターの指すような視線は、自分の作品たちの表現に観る側もまた「ちゃんと、衝突しろよ」と促しているようだ。言い換えると、都市環境の中で、隠されてしまった「圧」に気づくための展示として、この森ビルの一面ホワイトキューブの中にあの作品たちが展示される必要があると思った。
この展示は「不協和音」をきちんと認識するための展示なのではないかというのが私の結論であり、そして何よりこの「不協和音」こそが「アフロ民藝」の発する友情と敬意を纏った「圧」だったのだ。
さて、最後に、この展示区域前に掲げられていた文章の全文をあげておきます。もうね、あのポスターを見た後でこの文章を読んで中に入る気持ちを想像してもらえたら・・と思います。結構最初からハードル高いんですよ。
でも、53階まできたら、さすがにやっぱり帰ろうとかにはならないものですね・・。
そして…ここで一つ疑問が残る。
では、ホワイトキューブが日常に近くなっている都市の、ホワイトキューブ側の「用の美」はどこに行ったのだろうか? この辺にも私の「アートは生活と離れすぎたんじゃないか」という問いに対するヒントがあるのかなと思う。
というわけで、森美術館を出て、なんかもう、ふらふらしながら53階から降りるほぼ直通エレベーターに乗った。やっぱりあのポスターの第一印象は正しかった・・・。
ということで、次回は(あるのか?)
あ、文中にある昨年日本民藝館の前でもじもじしてしまった話はこちらです。今回の全編と合わせて読んでいただけると嬉しいです。鞍田崇氏の著作を参照しつつ、最後は謎の「かさこ地蔵」の話になってしまい、今読むとエッセイにすらなっていない・・・。
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