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VRが今後必要な理由

 VR機器は思っていた以上に企業側でも売れず、購買層もプレイ時の感想は概ね良好にも関わらず続けてプレイするのははばかれる。

 これはプレイ時の満足感はあるけどもそれに見合った使用感が悪いというのが大体の意見になっている。


▲需要はあるし供給も間に合っているが開発が遅れている。

VR機器とARグラス


 VR機器の使用感の悪さは相当で、装着するときの不快感、それは重さだったり装着する手間だったり目の疲れだったり、そういった様々な不便さからまたプレイしようと思えない、さらには場所まで取ってしまう。

 VR機器は高価で息抜き程度のプレイを推奨されるものとなっていて、それを見て開発が進められているのがARグラスだが、これも結局は眼鏡を装着する面倒臭さと目の負担が相まって使用する側は連続使用をしたくない。

 ここに酔える人ならそれにたいして「今、私は最新のテクノロジーを使用している」というモチベーションから使用頻度を上げるものとなっているが、それ以外のライト層にはまったく響かない。

 ただ確かにプレイ時はかなりのリアリティと現実と仮想空間の行き来のような新しさはある。

シームレス


 現状、スマートフォンなどの効率の良さは相当で、これに適うものをVR機器やAR機器に置き換えるとなると利便性でまったく太刀打ちできない。

 ARグラスのようにVRよりも眼鏡に近く、没入感は薄いものの多少の利便性を持っていてもモニターが眼前に迫る目の疲労感はどうしようもないが、これがもしシームレスに展開されればライト層に広がり、それこそスマートフォンよりも流通する可能性はあります。

 例えば部屋の模様替えをするときに、仮に指を弾いて景色を変えられるほどの仮想空間が実現するなら誰もが使いたい訳です。

 買い物をするときに眼前に仮想空間が現れて、本なら本棚と本、食品なら食品棚と食品が出てくる。それを指でスワイプするようにして選択し、それを仮想のカゴに入れて電子決算が出来るとか、そういったシームレスな要素があって初めて重視される。

 これはその機器自体、本体が別にあって、それが各場所に配置されていて、あとはイヤリング型とかスマホのようなものを携帯しておくだけで自動でそれがシームレスに展開するとか、そういった扱いなら今後可能だとは思う。

 その開発を進める為にもAR技術やVR技術は進化しなければならず、多少の不利益を顧みずに進めていくのは必須だと思われる。

体験


 人はあらゆる不便をこれまで解消してきました。

 狩猟民族だった我々人間の元となった生物は幾度も強者に食べられたり殺されたり、果ては逃げまどいながら生きながらえるのがやっとの状態から武器をつくっては狩る側に回り、作物を育てて食べたりして繁栄した。

 そうしてその不便さのベクトルが下がり、洗濯は洗濯機と乾燥機に、文はブログや漫画、果てはそれが動画にもなってはそれらがほぼ無料化にまでとなった。

 そうなってくるとその無料で楽しめる暇つぶしの材料が"不便"という扱いにまで落ち、もはや人はあらゆる惰性が通常となり、SNSにまで発展したことによって発言までもが尊厳を失った訳です。

 知識というのは商売に秀でた賢いユダヤの商人からすれば金銭より重視すべきものとして扱われてきました。

 しかし、現代においてその知識は得ることの大変さは多少あれども時間をかければ無料で手に入ります。ましてChatGPT等々のAIによってそれを探してもらうことも簡単になり、人の知は無料の功罪により罰せられ、価値は遥か下に落ちました。

▲一見して生ぬるく非情に毒性が強いもの。

 どちらかというと思考法とかその人の考え方が重視され、それが出来ないから知識が手に入る状況でも知は手に入らないという矛盾はあります。

 ただここまで何もかもがすぐに見れたり入り込めたりすると、人間の価値そのものを人間が下げる行動になっていき、トップの不在、リーダーの不在を感じさせ、その話題性で金銭が動き、その話題性で価値が下がる、という副作用が発生しました。

 こうなると求めるものは今ある既存の無料で配布されているものの価値は薄く、かといって出来ない自分との対峙は嫌という事柄から他者を攻撃し、その矛先における自分の価値を求めるようになります。

 つまり体験を欲している状態が慢性化していると捉えていい訳です。

成功体験


 漫画やアニメでもあるように、転生して強者として生まれ変わる、こういった内容が流行るのは今に始まったことではありません。

 これは間接的ですが、社会不適合者が活躍したり、反社会的な人間が活躍したり、弱者が努力して成功する所謂弱者が活躍する漫画やアニメや映画は過去から現在に至るまで溢れています。

 これは出来ない民衆の心を掴み、それを愛してやまない慈しみの要素として次々に流行していきました。

 これは成功の体験を自身に投影させていたに違いありません。

創作活動の体験


 創作活動というのは想像している以上に難しく、たとえば軽やかに演奏するギター奏者を真似てやってみても、ピアニストの真似事をやってみてもそのどれもが険しく厳しいもので、その習得そのものの難易度もさることながら、そこで成功しようと考えるとあまりにも細い道で懸命な判断でなら誰もやりたがりません。

 しかし、これのハードルが現在少しずつ下がっています。

 これは次の世代、体験を簡単に出来る時代が迫っているという啓示のようなもので、文で絵を生成してもらったり、適当な線を引いてそれを絵に置き換えたりと、様々な分野でその創作活動の体験が簡略化されました。

 これはこれから先にさらにそうなっていき、そこでの習得の難しさは軽減されていきます。

実感


 ここに実感がわかないのは一部だけで、ライト層は喜ぶべき事態になっている。それ以外の技巧者や研究者からすると今までのことが無かったかのように振る舞いますが、それを活用しなければ取り残されます。

 ただし、不安がることをよそにそれが不要になることはほぼ無く、技巧の価値は現代より先にもっと上がります。しかし、無料の功罪の影響から提供されている動画などの価値は下がり、技巧派の人たちはメディアを実体験に寄せる必要があり、VRで見せたり実際に見せる実感のわきやすい状況での見せ方が重視されるでしょう。

 それを見る側も真似るのですが、実際には出来ないので仮想空間でそれに等しいか超えるものを体験する、これが体験をしたい技巧者や研究者以外の大衆の思考になって欲して強まっていくでしょう。


…最後に。

 これから先は体験がキーワードになっています。

 あらゆるものにたいしてそうなっていて、可愛いと思われたいかっこいいと思われたい、凄いと思われたい知的に思われたい、こういった体験をしたいという要素に入っていて、それらと創作物との相性が良い為にVRやARの仮想空間と現実との境が準備されました。

 それらは時代が追い付いていないというよりも、不便さに適わず、物の大きさだったり目の疲労感だったり、準備するものと扱うときの効率の悪さが目立って使用が限られていた。

 だからこそシームレスなものの開発をしなければならないのだが、その開発の元となる物が不便過ぎて使用がされないので開発が遅れているというのが現状です。

 次はARにいったん焦点が当てられ、次にシームレスな展開を望み、その開発が進んでいくでしょう。

以上…。


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