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歴代の哲学者は女性蔑視をしている
女性と男性とで知能の差は全体では大差ないが、中央値が高いのが女性、突出しているのが男性となっている統計データが存在します。
これは理に偏るか感情に偏りその中央値が低い男性、理と感情が混同する女性が平均値をあげて、理に偏るか感情に偏るかの部分が女性では少数であるという違いのこと。故に統計を取ると全体では男女ともに似ているという結果になるということです。
脳の観点からいえば、左脳を使う男性、左脳と右脳を半々で使う女性。平均を100とした場合、左脳に100使う男性と、左脳に対して50、右脳に対して50使用する女性、という認識です。
知能が50下がれば男性は左脳を50使うので酷い数値になる、女性も25と25で左右に振られて酷い数値になる。その逆なら男性は左脳が150、女性は75と75が左右に振られる、だから男性は極端に上がるか下がるか、女性は極端になるのではなく平均値になる。
ただ知能はグラデーションであり、何かが劣っているのが悪いとは言い難く、他の部分で要素の強い部分、強みというのは誰にでもあります。
勿論、それは弱みも含まれる訳です。
女性蔑視の長い歴史
ソクラテス(Socrates)は女性に対して批判的な見解を持っており、特に女性の知的能力に対する評価が低かったとされている。アリストテレス(Aristotle)も女性を男性よりも劣った存在と見なしていた。
:古代の哲学
理を重んじて欲望を抑制すること、かといって誰にでも正しいと思うことがあり、そこは軽々しく語らず、そうしていつしか宇宙の心理をも理で読み解こうではないか。
アウグスティヌス (Augustine of Hippo)は初期キリスト教の哲学者で、女性を男性の補助的存在と見なしていた。中世の哲学者トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)も、女性を「不完全な男性」と見なし、男性に従属する存在と考えていた。
:中世の哲学
神は絶対であり、理性は神を知るための補助であってたかが知れている。真実は聖書に書かれていることが全てなのだから、迷わずに従いなさい。
ジョン・ロック(John Locke)は17世紀のイギリスの哲学者で、女性の社会的役割に対して制限的な見解を持っていた。18世紀のスコットランドの哲学者である、デヴィッド・ヒューム(David Hume)も、女性の感情的な性質を強調し、理性においては男性に劣ると考えていました。
:近代の哲学
絶対という心理に神は入り込めない、信じることよりも考える力を持って理を重んじるべきだ。理を持ってすれば全てが解決できる。
ミシェル・フーコー(Michel Foucault)は20世紀のフランスの哲学者で、彼の議論はジェンダーや権力の関係を探求する中で女性の役割に対して批判的な面があった。
:現代の哲学
欲望が理性を動かしているということ、これは避けて通れない。今までの考えはこのことを知る為のものであって言語ゲームに過ぎない。それよりもあらゆる人の幸せについて考え、社会をより良いものにしよう。
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脳の違いは僅かだからこそすれ違う
よく現代では女性も男性も差は無いとされている風潮があるが、長い歴史からみてもそこに差が出てしまうかのように積み重なっていて、男性が女性に対する不信感、女性が男性に対する不信感は未だに根強くある。
これは脳という観点からみても確かに差が現れる。
実際のところ脳の構造として大体が3~5%程に男女に差があり、一部の研究では、男性の脳は女性の脳よりも大きい傾向があるとされている。しかし、脳の大きさが知能や能力に直接関係すると断定できるわけではない。
しかし、男性と女性の脳は、特定のタスクを処理する際に異なる領域を使っていて、例えば言語処理において女性は左右両方の脳半球を使う傾向があるのに対し、男性は主に左半球を使うことが多いとされている。
つまり男性は理屈から構築されていて感情が後回しになる傾向がある。
次に性ホルモンにも違いがあり、エストロゲンやテストステロンは脳の発達や機能に影響を与えることがあり、これにより行動や感情の違いが生じることがある。この値が低下する年齢もあって、その差は年齢によっても現れる。
男女の差というのは社会的・文化的な要因とも密接に関連している。
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哲学者らの女性蔑視
歴代の哲学者は女性蔑視を考えとして持っていた、その哲学者らをざっと並べていくだけでもかなりの数になる。
:女性蔑視の考えを持った哲学者
ソクラテス(Socrates) - 紀元前469年-399年
プラトン(Plato) - 紀元前427年-347年
アリストテレス(Aristotle) - 紀元前384年-322年
アウグスティヌス(Augustine of Hippo) - 354年-430年
トマス・アクィナス(Thomas Aquinas) - 1225年-1274年
トーマス・ホッブズ(Thomas Hobbes) - 1588年-1679年
ジョン・ロック(John Locke) - 1632年-1704年
アレクサンダー・ポープ(Alexander Pope) - 1688年-1744年
デヴィッド・ヒューム(David Hume) - 1711年-1776年
ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau) - 1712年-1778年
イマヌエル・カント(Immanuel Kant) - 1724年-1804年
アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer) - 1788年-1860年
オーガスタス・デ・モルガン(Augustus De Morgan) - 1806年-1871年
フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche) - 1844年-1900年
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein) - 1889年-1951年
ミシェル・フーコー(Michel Foucault) - 1926年-1984年
ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre) - 1905年-1980年
マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger) - 1889年-1976年
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特に目立ったのがアルトゥア・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)。
彼は「女性が子供を相手にするのに適しているのは、女性自身が子供っぽくて愚かだからである」と言い放ち、『パレルガ・ウント・パラリポメナ』という哲学書の中にある『女について』の章で語られている部分、その前段部でも「我々の子供のころの養育者、教育者として女性がまさに適しているのは、女性自身が子供っぽくて、愚かで、浅はかで、一生大きな子供だからである。つまり、本来の人間というよりも子供と男の間にある中間段階の種なのである。我々大人が子供と一緒に一日中戯れ、踊り回り、歌っている少女を観察したとき、男性が努力によってその少女の役割ができると考えるだろうか」としている。
女性はうまく立ち回って得をする生き方が得意というのも、ショーペンハウアーはそれを「女性の偽る力」であると断じる。男性も嘘をつくが、女性は罪の意識を感じていないかのように平然と嘘をつけてしまう、という論調である。
「女性の虚栄心は、男性のそれより大きくないときでも、まったく物質的なもの、つまり彼女たちを美しくするもの、つぎに豪華、華美、壮麗なものへと向かう悪い性質がある。ゆえに、社交もまたまさしくその一要素である。虚栄心は同時に彼女らの卑しい理性にもよるが、浪費へと傾く」
しかしながら「男性同士の間では自然状態ではまったく無関心だが、女性同士というものは自然ともうライバル心が存在している」といったことも書いていて、これには女性観で共感することもあるようだ。
ただ男性観にもライバル心は勿論存在していて、勝負事となると割と友人だろうが家族だろうが競争し敵対する。
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哲学は偏見のコレクションか
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)は哲学とは言語ゲームであって無駄であるとした。そんな彼も女性蔑視の考えは持っている。
つまりは相容れないというのが正しいでしょう。
ショーペンハウアーは明らかに女性を大きく批判するかのようにして語っているようにみえるが、理に反しながら、つまり間違いだとわかりながらも情で動けるかというとそれは男性には厳しい。
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その相容れない要素を極端に語っているようにもみえる。
割と親心と似ていて、どれだけ娘や息子が悪くても全力で守る、という感情に近いとも取れる訳だが、つまりそれは母性の要素なのではないかと考えられるが以下のような実験がある。
:男性10人だけの無人島と、女性10人の無人島とを比べた実験。
”男性はリーダーが出来て、それぞれ家を作る人、魚を取って来る人、果物やヤシの実を取って来る人、料理をする人と、役割が出来てみんなで協力して生活する島になる。女性だけのグループは、個人個人の女性が自分勝手で好き勝手なことをし、家も作らず、食料も調達できず、女性同士の口論や喧嘩が耐えなくなった‟
女性の最大の敵は女性であるというショーペンハウアーの言葉は、この実験結果からでもしっかりと捉えられていると考えられる。これ以外にも女性はリーダーになると戦争を好むという統計データもある。
フェミニズム
:19世紀後半
・第一波フェミニズム
この時期は主に女性の投票権を求める運動が中心。アメリカでは、1878年に「女性参政権協会」が設立され、1887年には「国際女性参政権連盟」が結成された。
:20世紀初頭
・第二波フェミニズム
この時期は第一次世界大戦後に始まり、女性の社会的・経済的権利を求める運動が広がった。1920年にアメリカでは女性参政権が実現した。
:1960年代から1970年代
・第三波フェミニズム
この時期は性差別や家庭内暴力、職場での不平等など、より広範な問題に取り組む運動が活発になった。1963年にはアメリカで「ウーマンリブ」運動が始まり、1970年代には多くの法改正が行わた。(ウーマンリブ運動とは女性解放運動のこと。)
:21世紀
・第四波フェミニズム
現在のフェミニズムは、ジェンダーの多様性やインクルーシブな社会を目指している。インターネットとソーシャルメディアの普及により、世界中で女性の権利を求める声が一層大きくなっている。
:インクルーシブ
障がいの有無や国籍、肌の色、年齢、性別などに関係なく認め合い、共生できる社会を目指すことを指す。
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古代ギリシャでは女性は家庭内の役割に限定され、教育や政治への参加が制限されていた。古代ローマでも女性は法的に男性の保護下に置かれ、独立した権利を持つことが難しかった。
中世ヨーロッパに入ってもまだ女性は主に家庭内の役割に限定され、教育や職業の選択肢が限られていた。宗教的な影響もあり、女性の地位は低かった。
19世紀に入って女性の権利運動が始まる。特にアメリカやヨーロッパで女性参政権を求める運動が活発化した。20世紀初頭には女性参政権が一部の国で実現し、女性の社会的地位が向上した。
1960年代から1970年代の第二波フェミニズムが広がり、性差別や家庭内暴力、職場での不平等などに対する運動が活発になり、21世紀には第四波フェミニズムが登場し、ジェンダーの多様性やインクルーシブな社会を目指す運動が広がっている。
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宗教観
仏陀は「女は仏になれない」としていて、長い歴史を持つ宗教は女性蔑視の教えがあります。逆に平等を謳う宗教は長く続かず、争いも絶えない。
なぜイスラム(特に原理主義)が今日まで強い宗教であり続けるのかという意味合いも考えさせられる。ヒステリックの語源、ヒステラ(ギリシャ語)は子宮という意味であったり、仏教でも「女性は外面は菩薩に似ているが内面は夜叉である」と説いていたりします。
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◇
最後に……。
女性は長い歴史でずっと差別されていて、非常に極端な扱われ方をされていました。
ここまで長年差別されたのですから、女性割引サービスぐらいはあっていいように思えます。
長い歴史には女性というのは自身の欲に忠実で平然と嘘をつく、だからこそ争いごとの種となるので隔離して家の中に閉じ込めてしまえとさえされていた訳ですが、現代では女性は権利を主張することができます。
ただどうしても社会に入ると、これだけ長い歴史、男性社会で長年占めていたところに女性が参入したので、女性に不都合が生じています。綺麗ごとを抜きにして、それは仕事そのものもそうでしょうし、仕事における金銭面でもそうでしょう。
ならばと男性と女性とを分けても問題となり、男女でも互いに相容れないし、同性でも大きく揉め事が増えていく。
しかし、その一方で資本主義な行動は女性に分があります。
女性は男性を利用して通常では稼げない額を稼ぎます。例えば億という額を稼いだのに、納税額が9千万となったとする話が1980年代にあって、現在でも4千万円以上なら約半分は持っていかれます。これは億を稼げば約5千万近く持っていかれるということです。
そんな中、税のかからない状況で何億も稼いでしまう。
漫画である”カイジの世界”でも実世界のいただき女子には敵わないというのが面白いところですね。からゆきさんと呼ばれる文化が過去の日本にあり、売春が今も色濃く残っていますね。それらが無法にあったことで問題となり、それらを取り締まる法もつくられました。
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実際に私の過去にあった話ですが、アニメをミュージカルにしたものにハマるミュヲタと呼ばれる人たちと関わったときに、話を聞くと壮絶で「今回は全然行けなかった」と言い、よくよく話を聞いてみると、全公演の内、半分は観ているというのが私の身近にいました。
金額にしてグッズ諸々合わせて何百万という浪費です。
ゲームセンターであらゆる美少年が登場する対戦ゲームが流行ったときには『お洒落をしてゲーセンに行く』という文化もありました。自分の好きなキャラクターに会いにいくのだから当然と言い、毎月数十万円も衣類に使用し、平然と関連商品に数百万円と使用する。
女性というのは嫌なことを書きますが、未成年の頃から簡単に売春に向かうことができ、思春期の頃にお金を持っているケースがあります。男性はそれと比べて学生時代は貧乏というかお小遣いの範囲内で済ませます。精々悪さをしても金額としてたかが知れていて、多くても貢いでもらうぐらいの額が限界でしょう。
よって男女では趣味のスケールが違うんですね。
ただ、例えば風俗という営業はおかしな話で、売春は禁止されているにも関わらず、風俗営業は問題はないとされています。行っていることはまったく同じであり、かといって公的ともなく言い訳のような内容で営業が可能となっています。あくまでも売春ではなく、同意があってそのときに偶然一目ぼれが互いに発生して愛し合っていて、金銭のやり取りは個人間ではないので問題無い、としている。
売春も同様に同意はあるでしょうし、ここに金銭のやり取りが仮に別にあっても愛し合っているからという言い訳は通用しないのですが、これはどういう理屈でそうなっているのか。
さらにはそこに宗教の影があったり、反社会的なもの、利権に絡むものもあったりしましたが、現在では売春はほぼ無法地帯となっている。
理というのは欲がないと成立しません、人が無欲なら損得が皆無に等しいので理という言葉さえ生まれなかったでしょう。だからこそ、もし現社会を勢いよくつけたいのなら女性に見習う部分は多いにあるといえます。
例えば男性には風俗での性的サービスが行えないという言い訳がありますが、男性が見た目に極端に気を遣えば男性に向けてのサービスもありますね。それは女装であったり、ゲイ文化であったりと多様です。
それだけではなく、欲に忠実で平然と嘘をついて私利私欲の実利だけを求めるというストイックさは平均的な男性には苦手とされています。これは実際に私の身近にいた人の話ですが、2mを超える筋肉隆々な男性をどう倒すかと質問すれば「首を掴んで殴り、そのまま投げ飛ばす」というのを平然と言い、本気でそう思っている140㎝台の華奢で小柄な成人女性もいました。男性はそういった理に反することが言葉遊び(哲学)でさえ困難ですよね。
勿論、これは実際にあった例えなだけであり、そんなことをいう女性が多数という訳ではありません。男性にもそういう方はいらっしゃるでしょう。
冒頭にも書きましたが、統計データでは男性は大きく知能が低いか高いかで、女性はその中央値だけが高い、つまり理に偏るか感情に偏りその中央値が低い男性、理と感情が混同する女性が平均値をあげて、理に偏るか感情に偏るかの部分が女性では少数であるという違いのことですね。統計を取ると全体では男女ともに似ているという結果になります。
男性にも様々な理の無い会話は存在し、会話が成立しないレベルの人もいます。
明らかに持って生まれたものに不足を感じる男性や、急に怒り出すおじさんもいるし、反社会的な行動を取る若者やおじさんもいますね。
この記事内にある『脳の違いは僅かだからこそすれ違う』の項目にも書きましたが、エストロゲンやテストステロンは脳の発達や機能に影響を与えることがあり、これにより行動や感情の違いが生じることがあって、知能の値が低下する年齢もその差によっても現れます。若年でも発生するし、中年でも初老でもその値が変化します。
そこに社会的・文化的な要因とも密接に関連しているものもあります。
しかし、その偏った思考の男性よりは偏った思考の女性の方が金銭を大きく稼ぐ能力は圧倒的に男性より高い訳です。
つまり知能とはグラデーションであり、何かが劣っているのが悪とは言い難く、他の部分で要素の強い部分もあるということです。
ただ、現社会が求めているのはインクルーシブ、つまり、障がいの有無や国籍、肌の色、年齢、性別などに関係なく認め合い、共生できる社会を目指すことを目標としています。
さて、どちらも勿論重要ですが、どちらを最優先に実行すべきでしょうか。
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以上……。
◇