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短編小説|思弁家の彼と彼女は影の囁きから赤色の意味を知る

 静かな夜、月明かりが街を優しく照らしていた。古い図書館の前に立つ一人の青年、裕也はふと足を止めた。図書館の窓から漏れる微かな光が彼の影を長く引き伸ばしていた。

「影って不思議だな」と裕也は呟いた。影は常に彼と共にありながら、決して触れることも話すこともできない存在だった。

 その夜、裕也は図書館の中に入ると古びた本棚の間を歩き回った。ふと一冊の古い本が目に留まった。表紙には『影の秘密』と書かれていた。興味を引かれた裕也はその本を手に取り、静かにページをめくり始めた。

『影はただの光の反射ではない。影には意識があり、時にはささやきかけてくることがある』と書かれていた。裕也は嘘くさいなと思いながらもページをめくり続けた。

「そんな馬鹿な話あるもんか」

 裕也は誰に話すでもなく呟く。

 その瞬間、彼の影が微かに動いたように見えた。裕也は目を凝らして影を見つめたが何も変わっていないようだった。しかし、何処かの奥底で何かがささやいているような気がした。

「裕也……裕也……」影がささやいた。

 裕也は驚いて本を閉じた。影が話しかけてくるなんてそんなことがあるはずがない。しかし、その夜から彼の影は時折ささやきかけてくるようになった。影のささやきは彼の心の奥底に眠る秘密や、忘れかけていた記憶を呼び覚ますものだった。

 裕也は次第に影との対話を楽しむようになった。影は彼にとってもう一人の自分のような存在になっていった。そして影のささやきに導かれるように裕也は自分自身の本当の過去を見つけ出していった。

「裕也、君には、ママが居たんだよ」

「裕也、君には、友達が居たんだよ」

「そうか、そうだったんだ!」と裕也が影に自身の過去について教えて貰い、確かにそうだったと思い出す。

 彼が暮らしていた施設は自然に溢れる木々に囲まれたちいさな町、そこにぽつんと存在していて、そこではジャパニーズと呼ばれる人達が集まっていた。ある時は漫画を読んだり、ゲームをしたり、またあるときは散歩をしたり、お遊戯をしたりした。

「裕也、裕也」

「なあに、今日はどんな僕の話をしてくれるの?」

「君はね、赤い色が嫌いだった」

「確かにそうだった、赤い色が嫌いだった!」

 裕也は忘れていた嫌いな色を思い出した、彼は今日もひとつ過去を思い出しては影との会話を心から楽しんだ。影と話すとわからなかったことがひとつひとつはっきりとする、ああ確かにと納得する。

「君はね、いつも泣いていたよ」

「うん、確かに泣いていた!」

「君には友達が居たんだ、いつもゲームをして遊んでいたよ」

「うんうん」

 泣くことを思い出した彼は施設の皆と観たあるダンサー達の芝居をみて大泣きした。周りは驚いた様子で彼の涙に喜んだ、裕也が初めて涙をみせたからだ。

 暗闇にプロジェクターに映し出された月明りの元、影がいくつも並んでダンサー達は踊る。裕也が観たその光景はいつも影と話しをしている自分とをだぶらせては友達がよみがえったみたいに感じられた。

 その演目は両親が不幸にも死んでしまい、子供までもがこの世を去ってしまう、それをダンサー達が見事に演じきる。

「裕也……裕也……」

「何、今は皆がいるから静かにしなきゃ駄目だよ」

「違うよ、今日はお別れに来たの」

「……え?」

 それからは影の返事が無くなり、幾日かの日が過ぎる。


 その日はハロウィーン、施設内で芝居を演じることになっていた。各々持ち寄った衣装を着用したり、メイクをしたり台詞が書かれた台本を読んだりして準備していた。

「翔太、翔太」

「なあに」

「凄いっ、やっと自分の名前を思い出したんだね!」

「何言ってるの、僕の名前は翔太だよ、それはずっと前から変わらない」

 彼は影との会話から自身の本当の名前を思い出した、彼の名前は翔太。施設内では歓喜の声が上がった、翔太が自分の名前を理解したと喜んだ。

 芝居が始まる。

 緞帳どんちょうが上がりひとりの少年が駅のホームで電車を待っていた、そわそわとした様子でそれでいて背筋は伸びていて凛としている、それは決意の表れだった。

「がたんごとん、がたんごとん」

 列車が描かれたダンボールを持った電車役の少女が現れる。

 そこに飛び込む少年、列車と少年が激しくぶつかる、そうして少年は何度も転がって仰向けになっては舌を出して観客席の方を向いた。

「翔太っ!どうして、翔太っ!」

 そこに駆け寄る影、その影がその少年を抱き上げようとする、しかし上手くいかない、影が少年の体を覆うようにすり抜けていく。

 電車役の少女は翔太にたいして叫んだ。

「・・・・・・・・・!」

「・・・・・・・・・・・・・!」

「・・・・・・・・・・・・!」

 機材トラブルだろうか、あらかじめ用意された音声が流れず、リップシンクだけが合っていて声だけが出ていない。

 数秒間沈黙が流れる、遅れて声が聞こえた。

「お母さん、お母さん!もう翔太はこの世にいないの!もうこんなことやめようよ!」

 ふたつの影が少女に近寄る、ひとつの影の両手が少女の首にかかる、もうひとつの影はライフルの影をみせてもうひとつの影に引き金を引いて撃った。

 少女はゆっくりと息絶える、ひとつの影は頭を前後に駆動させてその場に倒れた、もうひとつの影が映像の少年に話しかける。

「ごめんね、翔太、お母さん助けられなかったね」

 編集された演出だろうか、緞帳どんちょうが下がりENDと文字が浮かび上がる。

 次に影が実態をみせて色が付いた、赤色だった、お母さんと名乗るその女は自身の影に話しかける。

「影って不思議だなぁ……」

 棚から影の秘密と書かれた本を手に取って開いてページをめくる、そこには『影はただの光の反射ではない。影には意識があり、時にはささやきかけてくることがある』と書かれていた。

「そんな馬鹿な話あるもんか……」

 女は誰に聞かせるでもなく呟く。

「裕也……裕也……」影がささやいた。

 その影の声の主はその女の声だった、泣いているようだった。

 女は低めの棚の上に立て掛けられた一枚の写真を見た、そこには男と少女と少年が赤い弁当箱を持って一本の桜の木の下で食事をしている様子が写っていた。

「裕也はもうこの世にいないわ!いい加減にして!」

 女は本を叩きつけるようにして投げつけると映写機にぶつかって床に何枚か写真が散らばった。どうやらその本には写真が挟まれていたようで、女が何枚か拾い上げる。

 一枚目には図書館の前で女と男がおどけた様子で写っている。二枚目には列車が描かれたダンボールを持った少女とそれをみて笑う少年、三枚目には数人で踊っているひとりの少年が写っている。

 四枚目の写真には目の焦点が合っていない男に食事をさせる少女の写真、五枚目にはよだれをだらだらと垂れ流してニタニタと笑うひとりの少年と作り笑いのようなひきつった顔をした女が写っていた。

「パパ、玲奈、ごめんね、今までありがとう」

 そう言って女は床を綺麗に磨いては車のキーとシャベルと大きい荷物を二つ持って部屋から出た。

 暗闇の中、赤い車は電灯に照らされ黒い影が伸び、静かな森へと消えていった。

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